第16話 仮定②の検証

「へえ、秒きざみのアリバイだね。

 まるで退屈しのぎにもならない推理小説みたいだ」

 馬原の皮肉には何も答えず、流藤は片手に持っていたペットボトルの中身をぐいと一口飲むと話を再開した。

「さて、次に仮定の②です。

 ②僕がエレベーターを一階で下りた後、再び上昇してきたエレベーターに犯人が乗り込み、一階に下りたと仮定する場合。

 その際にかかる時間ですが、六階で僕がボタンを押した午後二時三十分00秒を起点とします。

 一階から僕のいる六階までは、五階分の移動ですから十六秒。

 六階での扉の開閉に七秒。

 いったん停止した四階までは、二階分の移動ですから十秒。

 四階での扉の開閉に七秒。

 再び停止した三階までは、一階分の移動で七秒。

 三階での扉の開閉に七秒。

 三階から一階までは、二階分の移動で十秒。

 一階での扉の開閉に七秒。

 合計しますと七十一秒。

 午後二時三十分00秒プラス七十一秒イコール午後二時三十一分十一秒。

 つまり、再びエレベーターが上昇を始める時点で、午後二時三十一分十一秒であることがわかります。

 一方、僕はある人の証言から、僕がエレベーターを下りた後、再び上昇したエレベーターから一階に下りてきた人物が何人かいたことがわかりました。

 そこで、問題となるのは、そのときエレベーターを降りた人物が、ゴミ箱が撤去された午後二時三一分五十秒までにゴミ箱にたどりつくことが可能だったか、なのですが・・・」

「それは、可能だったんじゃないの?

 その理論でいえば、例えば、再び上昇したエレベーターは二階で止まり、すぐに一階に下りてきたとすれば? 

 犯人は六階から二階までは階段で駆け下り、運よく二階で止まったエレベーターに乗り込み一階で下りたとも考えられるじゃないか? 

 だとすれば、エレベーターの動きとしては、一階から二階へ七秒、扉の開閉に七秒、二階から一階に七秒、計二十一秒だね。

 この時点で午後二時三一分三二秒。

 これなら、ゴミ箱までの移動時間を考えるとかなりきわどいことは確かだが、ゴミ箱が撤去される午後二時三一分五十秒までにぎりぎり間に合った可能性がある。

 そして、田上さんがゴミ箱を持ち上げてから屋内に運び込むまでの時間を考慮すれば、ブロンズ像が濡れるための時間があったとも言えるんじゃないか。

 これは難癖じゃないよ。

 そっちが、秒単位の話を持ち出すから、こっちもそのルールに則ったまでだ」

「ええ、再び上昇したエレベーターが二階で止まったならね。

 ただ、実際には、エレベーターは、再び六階まで上昇していたのですよ」

「六階? なんで、そんなことが言える?」

「手かがりとなったのは、僕が本に挟んでいた栞でした。

 六階で本を開いたときには確かに挟んであったのに、一階ホールに下りたとき、台車の車両から剥がれ落ちて床に捨てられた状態で見つけました。

 これは、何を意味するのか?」

「意味するのか、って・・・

 そりゃあ、エレベーターの中で落としたんじゃないの? 

 一階でエレベーターから降りたとき、乗っていた誰かの靴が故意にか偶然にか、その栞を外に出して、それを通りかかった台車が巻き込んだんだろうね」

「それは、ありえませんね。

 なぜなら、エレベーターに乗る前に、僕は本をバッグにしまいましたから。

 だから、あの栞が本から落ちたとすれば、エレベーターに乗る前です。

 紙製の栞ですから、着ていた服にくっつくことは考えられません。

 栞は、六階の床に落ちたのですよ」

「でも、現に、一階に落ちてたわけだから。

 そうだ、廊下はワックスが塗りたてだったと言ったよね?

 だから、栞が六階の廊下に落ちた後、靴の裏で栞を踏みつけて、そのままエレベーターに運び込んで、中の床に落ちたんだよ」

「いいえ、それもありません。

 僕は、エレベーターの奥の壁に背中を付け、床全体を見ましたから。

 床は磨かれたばかりの状態で、ゴミ一つ、落ちていませんでした」

「ちょうど靴の裏に張り付いたままになっていたかもしれないじゃないか」

「いや、靴の裏に張り付くことはありえないのですよ。

 本を取り出すときも、エレベーターのボタンを押すときも、僕は腕だけを動かしたのですから。

 本をバッグから取り出して以降、初めて足を動かしたのはエレベーターに乗り込むときですが、そのときは一歩目でエレベーターの中に入りましたから。

 つまり、エレベーターに入る途中で靴の裏を廊下につけていないのですよ。

 従って、靴の裏に栞が貼りつくことは不可能というわけです」

「・・・」

「以上より、僕がエレベーターに乗り込んだ時点では、あの栞は六階の廊下にいわば置き去りにされていたことが証明されたわけです。

 すると、やはり、その後で再びエレベーターは六階まで上昇し、そこで乗り込んできた台車の車輪に張り付き、そのまま一階まで運んできたということになります。

 すると、どうなるでしょう。

 一階から六階まで、十六秒。

 ドアの開閉に七秒。

 六階から一階まで一六秒。

 合計三十九秒になります。

 再びエレベーターが上昇を始める時点の午後二時三十一分十一秒プラス三十九秒イコール午後二時三十一分五十秒。

 つまり、僕が降りた後で再び上昇したエレベーターが六階から一階に下りたとき、午後二時三十一分五十秒に達していました。

 ちなみに、各移動にかかる秒数の誤差として最大で0.九十九を加算すれば、その時刻は午後二時三十一分五十秒よりさらに後になるのです。

 一方、ゴミ箱が撤去されたのも、午後二時三十一分五十秒です。

 エレベーターからゴミ箱に移動する時間も必要である以上、これでは犯人が午後二時三十一分五十秒の時点でゴミ箱の前に立つことはありえません。

 従いまして、僕がエレベーターを一階で降りた後、再び上昇したエレベーターに乗り込み、一階に下りた人物が、それは犯人ではありえません。

 というわけで、仮説①および②で想定される人物が犯人ではない以上、犯人はエレベーターを利用していないことになる。

 そう、犯人は犯行後、階段を利用して逃走したことになるのです」

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