第13話 探偵活動 六日目
その次の日。
昼近く、待ちに待った知らせが届いた。
その郵便物には簡単な文書で、洪作が最優秀研究論文の座を獲得したことが記されていた。
洪作は入学して以来、初めてといってよい開放的な気分を味わった。
自分には何事をも可能にする潜在的な能力が宿っているように思えた。
狭苦しい部屋に閉じこもっている気分にはなれず、アパートを飛び出し、キャンパスに向かう。
周りのものは目に入らず、ただキャンパス内をあてもなく歩き回りながら事件に対する思考に熱中する。
そうするうちに、いくつかの推理を生みだすことができた。
立心館でエレベーターの乗り降りを何度も繰り返し、移動や扉の開閉に要する時間を計った結果、上昇・下降の区別なく、以下のことが分かった。
・五階分の移動→十六秒。
・四階分の移動→十四秒。
・三階分の移動→十二秒。
・二階分の移動→十秒。
・一階分の移動→七秒。
・扉の開閉→七秒。
洪作はさらに、エレベーターから凶器が捨てられた友学館のゴミ箱までの秒数を計った。
友学館は殺人現場の立心館と隣接していて、距離的に近い。
エレベーターの扉が開いた瞬間に飛び出して、走ってゴミ箱にたどり着くまでは九秒かかった。
その後、洪作は立心館に戻り、五〇三号室から走って移動し、階段を利用して友学館のゴミ箱にたどり着くまでの時間も計測したところ一分二十秒だった。
「色々なことが分かったことで推理はいくらか前進したんだけど」と洪作は胸の内でつぶやいた。「だけど、推理が一つの結論を導くには何かが欠けているんだ。でも、それが何かが分からないんだよなあ」
もどかしかった。
はがゆかった。
手がかりは今まで見聞きした出来事の中に埋もれている。
そんな根拠のない確信はあったが、洪作はとうとう行きづまった。
一階ホールの時計は、時刻が間もなく午後二時三十分に達することを示している。
殺人が起きたのは、この頃だったんだな。
そんなことを思ったとき・・・
それは起こった。
文字通り、洪作の全身に震えが走る。
まったく、僕はなんて間抜けだったんだ!
ついに求め続けた手がかりに出会えた!
午後二時三十分に訪れたその出来事は多少おおげさにいうとすれば、洪作にとってまさしく神からのお告げだった。
洪作は、犯人が階段を使って逃走したことはほぼ間違いない、という結論に達していた。
あと一点、エレベーターについて確認できれば完璧だ。
そうすれば馬原を追いつめることができる。
階段で下りてきたという教員連中のアリバイは証明されたということだから、もし、教員以外に階段から下りてきた人物が馬原のみであることが証明できれば・・・
興奮して下を向いたまま歩き出した洪作は、前方から向かってきた長身の男と接触してしまった。
慌てて謝ろうと相手に顔を向けた瞬間、あまりの僥倖に思わず洪作は笑い出しそうになった。
その男は、事件の日に一階のホールで、雨を眺めていた洪作の隣に立っていた黒縁眼鏡の長身の男だった。
洪作は、「すいません」と軽く頭を下げてから、躊躇なく勢い込んで話しかけた。
「あの、殺人事件があったとき、あなた、ここにいましたよね?」
すると男は立ち止まって、洪作を不思議そうに見やった。
「あの、僕、ジャーナリズム研究会の流藤と申します。
研究の意味で、色々と事件を調べてまして」と、相手の視線に合わせるために見上げながら自分でも驚くほどすらすらとデマカセを発していた。
洪作の自信あふれた物言いに、顔立ちから三十代と思われるその男は信用したのか、
「ああ、たしかに、ここにいたよ。
秋山さんを待ってたんだ。
じいさん連中の勉強会があるっていうから終わるのを見計らって、ここで待ち伏せていたんだよ」
「そうなんですか。
で、えーと、お名前は?」
「長谷川だ、ここの卒業生じゃないよ、R大学の大学院生をやっている。
秋山さんがここへ来るまでは、だいぶ世話になったんだ」
「長谷川さん、あなたは何時から、ここにいましたか」
「そうだな、二時三十分の少し前、五分前だったな」
「その時以降、あのエレベーターから出てきた人を見ましたか?」
「ああ見たよ、ええと、一回、二回。
何人だったか忘れたけど、二回目は外人がいたっけ」
「そうです、それは僕たちだ。
その後、エレベーターで降りてきた人はいましたか?」
「そうだなあ、あ、そうそう、しばらくして、エレベーターがまた下りてきたな。
でも、その中に、秋山さんはいなかったよ。
学生ばかりだったな、若いやつらばかりだった」
「では、その後は?」
「それだけだ、俺が引き上げた二時四十分頃まではね。
結局、秋山さんはその会合には欠席したらしいんだ。
後でわかったことだけどね」
洪作は、長谷川の返答に満足した。
一呼吸置いて、次の質問に移った。
「では、それでは階段はどうでしょう?
誰か下りてきましたか?」
「ああ、下りてきたのは、じいさん連中だけだった。
まとまって下りてきたわけじゃないが、ええと、確か七人だ」
「本当ですか?
あの時間、階段から下りてきたのは、先生だけですか?
学生はいませんでしたか?
ひとりぐらい、いたんじゃありませんか?」
何気ない口調で尋ねたが、洪作はその実、緊張で全身が硬直していた。
相手の返答次第で、自分の推理が完成するかもしれなかった。
ここで自分が望むような回答が返ってこなければ、またウソをでっちあげるかな、という思いがちらりと洪作の頭の隅をよぎる。
少し考えてから、長谷川はおもむろに口を開いた。
「いや、俺は秋山さんが降りてこないかなと思って、階段の方により注目していたからよく覚えている。
あの時間、階段から下りてきたのは先生たちだけだったよ、間違いない」
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