第12話 探偵活動 三日目~五日目
その次の日。
朝から一日中、授業を欠席して、洪作は考えた。
時に、煙草をふかしながら、テレビを漫然と眺めながら、お気に入りの音楽を流しながら。
「トライアングル」の「the best thing,worst thing」は、イントロを除けば一分四十秒という短い時間の中で、繰り返し、洪作に訴えかけていた。
どんなにつらいことがあっても、それは生きている証しだから。
絶対的な真っ暗闇でも、絶対絶対、光が差し込むから。
だが、何も浮かばなかった。
三分三十七秒の束の間のトリップは、洪作にいくらかの高揚感をもたらしはしたものの、劇的な発想を生みだしはしなかった。
やっぱり、推理小説みたいにはうまくいかないよな。
憂鬱な気分のまま、ただ時間だけが無為に流されていった。
その次の日。
昨日と同じ様に、洪作は考え続けた。
その行為はほとんど惰性と化していたが、午後になって漠然と予感めいたものが生まれた。
そのまま辛抱強く思考を集中させていると、ようやくゴミ箱の中身をとっかかりにして一つの推理が出来上がった。
さっそく洪作はアパートを飛び出しキャンパスに向かうと、事務員の田上をつかまえた。
話し好きの田上は、洪作の存在を疎ましがらずに、長年勤めあげた自らの仕事への誇りからくる自信をもって推理の正しさを保証した。
洪作は有頂天になって、今度は馬原を探し求めた。
まるであてはなく、立心館で待つほかはなかった。
だが、あたりがすっかり闇に包まれ午後八時をまわっても目指す相手の姿は現れなかった。
仕方なく洪作は、とぼとぼとアパートに引き上げた。
その次の日。
洪作は朝から立心館で待ち続けた。
夕方になりやはり駄目かと諦めかけたころ、建物を通りすぎる馬原をみとめた。
洪作はすぐさま走り寄り、やっとのことで推理の披露にこぎつけたのだった。
そのとき、最後にぶつけた言葉、階段を下りてくる馬原を見たものがいる、というのはまったくのデタラメだった。
だが、洪作のハッタリを馬原が否定しなかったことで、ようやく確信めいたものを得た。
本当に、犯人は馬原なんじゃないか。
そう思っていたところ、突然登場した生命科学部の石崎綾葉が何か重要そうなことを言いかけたが、そのまま聞かずに済んだことは、かえって洪作を安堵させた。
僕はあくまでも推理で馬原が犯人であることを証明したい。
例えば犯行現場を目撃した証人の存在でこのゲームがジ・エンドだなんて、まったく、興醒めじゃないか。
だが、綾葉の存在は洪作に鮮烈な印像を残した。
以前、他学部受講許可科目の一つである漫画文化論の講義で一目見たときから洪作は彼女の姿に魅了されていた。
とはいえ、もちろん言葉を交わしたことはなく、勝手に自分の小説のヒロインとして登場させることが、洪作のできる唯一の愛情表現だった。
それが、ついに対面での会話が実現したのだ。
その言葉遣いで分かったのは、彼女が洪作が描いたような京都人ではなく、おそらく洪作と同じく関東の人間であろうということだったが。
綾葉は、白を基調に、色とりどりの斑点をあしらったワンピースをふわりとまとっていた。
よくみると斑点にみえたのは羽を広げた蝶々のシルエットで、黒髪にアクセントを添える淡い水色のカチューシャと相まって、たとえ初対面の人間でも相手を拒まず包み込むような親しみやすい雰囲気をひきたてていた。
洪作は自分の推理がどうやら的を射たらしいことと同じくらいの幸福感を、綾葉との出会いで味わっていた。
綾葉との会話は、はっきり覚えている。
洪作が発したのは、「何を見たんです?」という一言だけだったが、それが会話であったことは間違いない。
洪作にとって、記念すべき日となった。
コンビニエンスストアや映像ソフトのレンタルショップなどでの事務的な会話を除けば、同年代の女性と言葉を交わしたのはおよそ一年半ぶりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます