第8話 石崎綾葉
「あのう、すみません」という、恐る恐るといった遠慮がちな声がした。
去っていく馬原の後姿を見送っていた流藤はそれまでまったく気づかなかったのだが、いつのまにか傍らに女性が立っている。
その女性を認識した瞬間、流籐はぎょっとしたように目を見開いた。
「あ、すみません、突然で。
あたし、石崎綾葉っていいます、生命科学部の。
あの、さっきの人、馬原さん、ですよね」
緊張で口から言葉が出て来ないので、流藤は黙ってうなずいた。
「あたし、この前、見たんです」
話す声は弱々しいが、決然とした表情をしている。
「何を、見たんです?」と流藤がやっとのことで口を開くと、石崎綾葉はじっと大きな目で流藤の顔をのぞきこみながら、
「もしかして、今そのことを話していたのかなって。あたし、見ちゃったと思う」
それからしばらく目を伏せていた綾葉が再び顔を上げ、「立心館で、馬原さんが」と言葉を続けようとしたときだった。
「あ~ちゃん、こんなところにいたの。
もう三十分も待ってたのよ。
なにやってんのよ」
「えー、うっそ」
親しげに呼びかけてきた女性に、びっくりした顔で綾葉は振り向く。
「ったく、このおっちょこちょいめが。
みんな怒っているよ。
また、携帯の電源、切ってたでしょ。
ほら、はやくはやく」
ワンピースの袖を強く引っ張られ、よろけるようにして流藤の元から離れていく綾葉は急に後悔したような顔つきになって、「やっぱ今の話、忘れてください」と言い残し、軽く頭を下げて慌ただしく退場していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます