第6話 つきまとう男
事件から五日が経過した。
だが、馬原に警察の捜査の手が伸びてくることはなかった。
学内では騒然とした雰囲気が続いていて、事件現場となった小教室は当然のことながら封鎖され、使用禁止となっていた。
その日の午後五時近く、馬原はキャンパス内にある図書館に向かっていた。
張りつめていた気持ちが徐々に緩んできたせいか、いずれ読むつもりだった小説をすぐに借りたい欲求にかられたのだ。
途中、立心館を通りすぎるとき、左手から突然声をかけられた。
「やあ、馬原さん、また会いましたね」
二度と顔も見たくないと思った男、流藤だった。
行く手を阻むようにすばやく正面に廻りこむと、馬原の反応も待たずやけに元気よく喋りだす。
「この前の事件、まだ犯人は見つかってないみたいですねえ。
いや実は、僕、色々考えてみたことがあるんです。
ぜひ、聞いてくれませんかねえ」
魔が差したというのか馬原は立ち止まってしまい、返事をするのでもなく、かといってその場を離れるでもなく、相手の顔をなかばあきれたような表情で眺めていた。
それを受諾の意と解釈したらしい流藤は、事件の概要を滔々と語った。
「というわけで、おおよその経緯はわかったわけですが、僕はふと、おかしなことに気づいたのですよ。
何だかわかりますか?」
それまで無言を通していた馬原だったが、何の気なしに、「さあ・・・ わかんないけど」とおざなりの反応を示すと、流籐はうれしそうにうなずいた。
「ゴミ箱なんですよ」
「ゴミ箱?」
「ええ、凶器のブロンズ像と巾着袋が捨てられていたゴミ箱です。
そのブロンズ像の底には、さきほど言ったとおり、『試作品』と書いた紙が貼り付けられていて、その文字は滲んでいたそうです。
これは当然です。
あの時間、ちょうど犯行時刻とされる午後二時三十分頃から突然雨が降り出して、おおよそ三十分くらいは止まなかったのですから。
おそらく、犯人が巾着袋をゴミ箱に捨てた際、口が緩んでいた袋からブロンズ像が飛び出し、雨に濡れた像のインクの文字が濡れてしまったわけです。
このことを踏まえると、犯人は雨が降っていた時間、おおよそ三十分の間にゴミ箱へ捨てたことになります」
「まあ、ねえ」
「さて、そこで、もうひとつの事実に気づいたことが、僕の推理の出発点になりました。
それは、巾着袋とブロンズ像のすぐ上に捨てられていた物、そう、『カレッジ・ダイアリー』です。
あの『ダイアリー』には、その日の午後三時三十分に終了した野球の結果が記載されていました。
試合後に急いで刷ったとしても、陳列されるまで最低でも十分か十五分は必要でしょうから、それを手に取った人間がゴミ箱に捨てたときには、午後四時近くにはなっていたはずです。
一方、雨は三時頃には止んでいた。
ここで、僕の疑問が生まれたのです。
仮に、雨が降り止むぎりぎりの時間、すなわち午後三時に凶器が捨てられたとしても、午後四時頃に『ダイアリー』が捨てられるまで、すなわち三時から四時頃までという一時間近くもの間、なぜゴミ箱には他の物が捨てられていなかったのか。
その問いに対する答えは、すぐに生まれました。
つまり、その間、ゴミ箱は物を捨てられない状態にあったのではないか、ということです」
「何が言いたいのか、よくわからないんだけど。
でも、巾着袋やブロンズ像の後に捨てられた物が、たまたま、その袋や像の下に入り込んでしまうことだって、十分ありえるんじゃないの?」
「確かに、そのとおりです。
しかし、僕のこの推測を後押しする事実がありました。
それは、あのゴミ箱はペンキが塗りたての状態だったことです。
塗りたてのペンキに、雨。
これは、ペンキにとってのいわば天敵ですよ。
そこで、ゴミ箱を作ったあの名物おじいさん、事務員の田上さんに確かめることにしました。
果たして、この答えは、僕の推理を裏付けるものでしたよ。
田上さんは、雨が降り出したことに気づくと、すぐに、あのゴミ箱を事務室へ撤去したそうです。
その時刻は、ちょうど二時三十一分五十秒。
ゴミ箱を持ち上げようとしたときふと腕時計を見たら、長針は文字盤の六を左にわずかにずれ、秒針がまさに十に差しかかっていたとのことでした。
ちなみに、なんでそんな細かい時間まで記憶に残ったかというと、彼の住所が二丁目三十一番地五十号だからだそうですがね。
それはともかく、ゴミ箱を元の場所に戻したのは雨が止んでからだいぶ経ったころ、午後四時前。
そのときはゴミ箱の中身がたまってから処分しようと思ったそうで、そのまま外に戻したということでした。
ただ、あのおじいじさん、視力が弱っているのに眼鏡が好きでないので普段はかけてなかったために、ゴミ箱の中身まではわからなかったとのことでしたがね。
さて、このゴミ箱の撤去という事実がいかに重要なポイントであるか、もうおわかりでしょう。
つまり、犯行時刻の午後二時二十八分から、ゴミ箱が撤去される午後二時三十一分五十秒までという短時間に、犯人は立心館を脱出したことになるわけです。
ちなみに、犯行時刻は被害者が身につけていた腕時計の針が止まっていた時刻、午後二時二十八分で間違いないでしょう。
登志谷さんは几帳面な性格で、時計の針をきっちり合わせるタイプの人間だったようです。
それと、その時計は前日に買った物だそうですから、時間が狂うこともまず考えられない。
あとは、まあ、犯人が時計の針を動かしたなんてこともないでしょう。
現場の状況を考えても突発的な犯行でしょうし、日曜日だからって結構人の出入りがありますから、死体が直ぐに発見されることだって十分にありえる。
犯行時刻の偽装はある程度の時間の幅がないと成立しませんから、人の出入りがある場所で殺人を犯した人間に、アリバイ工作なんていう発想は浮かばないでしょう。
凶器を現場から持ち出して慌ててゴミ箱に捨てたということからも、犯人は動揺していて、とてもそれどころではなかったことがうかがえます」
馬原はいくらか自分が追い詰められた気分になったことと、流藤の断定的な物言いに対する反発心とで、真剣に頭を巡らせ反駁を試みた。
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