第3話 死体発見
人を殺してしまったという現実に、やはり馬原は動揺していた。
これまでの人生でそれなりの紆余曲折はあったし、本能のおもむくままに後ろめたい行為を犯したことも、少なからずあったと言わざるをえない。(事実、学生の本分たる学業についても、過去に何度かカンニングを犯していた)。
しかし、殺人は初めてだった。
混沌としている脳が、自分の意思を見失ってしまったかのようで、ふらふらとしばらくキヤンパス内をあてもなくさまよった。
その間に突発的な雨は三時ごろには降り止んでいたが、午前中のように太陽は顔を覗かせず、灰色の空に覆われている。
自然と馬原の足は、再び立心館に向かった。
人だかりは見受けられず、まだ登志谷が発見されていないことがみてとれた。
その一階ホールの奥の右手にある、オープンスペースとなっている談話室には日曜日のせいか、男性一人の姿が見受けられるだけだったが、隅に置かれたテレビの画面では大学野球の試合の中継が映しだされている。
長年にわたるライバル校との秋季大会の決勝戦で、三対四と劣勢の試合展開は七回表にさしかかっていた。
ぼんやりと立ったままその様子を眺めていたが、ふと我に返りすぐに建物の外へ引き返した。
さきほどと同じようにキャンパス内を彷徨する。
あの狂気の瞬間から、一時間ほどは経過していた。
もうそろそろだろうと思いながら馬原は立心館に向かったが、来るべきときはいまだ訪れていないようだった。
もう一度談話室を覗いてみると、馬原が所属している社会学部の、これも同じ三回生二人の知り合いが椅子に向かい合って座っている。
馬原は、そちらへ近づいていった。
「生協でバイトしている、あの子なんやけど」
「また、その話かいな」
「だって、あの笑顔、あの声が、たまらへんわ」
「そんなに気になるんやったら、本人に聞けばええんちゃう?」
「だって、恥ずかしいやんけ」
「なんでや・・・ ったく」
「名前を想像するって、楽しいやん?
アヤカちゃん? アヤノちゃん? なんてのはどうや?」と、ニヤける本田。
「どうって、キショクわるー」と川崎。
「ユカっていうのは、どう?」と、馬原も本田と川崎の会話に加わる。
普段と変わらないたわいないやりとりをすることで、平静を保てる気になる。
「ねえ、聞いた? 聞いた? 死体が発見されたらしいで、この上でな」と、しばらくして荒々しく入ってきた小久保が言った。
ついに、発見されたか。
もう、そろそろだろうとは思っていた。
他の連中と同じように、驚きの反応をごく自然に示した。
「えっ 死体? なにそれ?」
「それがさ、経営学部にいる俺の友達の登志谷やねんな。
生協のコンビニでバイトしてるねん。
いや、してたねん。馬原、知らんか?」と小久保は馬原に目を向ける。
もちろん自分が登志谷と面識のあることは知られたくなかった。
それに実際に生協で会ったことはない。
「生協で? さあ、知らないな。
見たことないと思うけど」と答えた。
さらに馬原はその後の会話でも、「ああ、下の名前じゃなくて、名字だったの」と発言しておき、登志谷と関わりがないことを強調することを忘れなかった。
おおむね一連のやりとりに馬原は満足していたが、ただ一点だけ気になることがあった。
途中で何となく視線を感じたことがあり無意識に顔を向けると、隣のテーブルに一人で腰掛けていた男の目とぶつかった。
その男は目をそらせるどころか、自分が相手を見ていたことを知ってもらいたいかのように、数秒間、馬原に視線を固定させてから手に持っていた文庫本に目を落としたのだ。
誰だろう、まったく覚えはないけど、じっと見つめられていた気がする。
何だか薄気味悪かったが、気にして不安に駆られるのも馬鹿らしいと思い、そのときはすぐにその男のことは忘れてしまった。
その後、小久保たちは連れ立って殺人現場の見物へ出かけたが、馬原はさすがにそのような気分になれず、ひとりキャンパス内の喫茶店へ行くことにした。
だいぶ落ち着きを取り戻していた馬原は、夕食には早かったが多少の空腹を感じてなにを食べようかとあれこれ思案している自分に気付き、なんだかおかしくなった。
ブルーベリータルトとアッサムティーを頼み、ジャンガリアンハムスターのカシユカのベレツトを忘れずに買わなきゃなどと、とりとめない思いにふけりつつぼんやりと見慣れた外の景色を眺めながら休息をとった。
喫茶店を出るころには、普段どおり周りの景色が目に入ってくる余裕ができていた。
各種の冊子やチラシが並べられている、入り口手前の陳列スペースで足を止め、毎号楽しみにしている「カレッジ・ダイアリー」を手に取る。
A3のコピー用紙を利用した両面刷りの最新号は、「速報」と題し、三時三十分に終了した試合が、九階裏に五対四で逆転サヨナラ勝ちという結末を迎えたことを告げている。
ふと左隣に人の気配を感じた。
意識せず「ダイアリー」に目を通していると、そちらから、「さきほどは、どうも」という声がした。
周囲には誰もいなかったので明らかに自分に向けられた言葉だと思い、聞き覚えのない声だったが、振り向いてみた。
その男はニコニコというよりはニヤニヤと、まるで好感の持てない笑いを顔に浮かべている。
中途半端に長く伸びた髪の毛は寝癖が残ったまま、乾いた唇はかさかさで、無精ひげが口元やあごに生えているためとても清潔とは言いがたい。
「さっき、談話室で会いましたよね?」
そのなれなれしい口調とあいまって、馬原は早くも嫌悪感を覚えた。
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