第2話 殺人

 馬原進太郎は、立心館五階の小教室に向かっていた。

 絶対に公表されては困る秘密について話し合いの場を設けるために、脅迫者である登志谷としや康夫が指定した場所だった。

 文芸部に所属している登志谷は、その活動場所となっている五〇三号室の鍵を預かっているとのことだった。

 小教室には、折りたたまれた数台のキャスター付きデスクが、積み上げられた椅子とともに部屋の廊下側の壁に整然と寄せられ、普段よりは広々と感じられる空間の中、窓際の壁にもたれるような格好ですでに登志谷が待ち構えていた。

 すぐに話し合いは決裂し、馬原は登志谷につかみかかっていた。

 ちょうど登志谷がペットボトルの水を口につけたときだった。

 登志谷は不意をつかれ、ペットボトルは床に転がった。

 十数秒で格闘は終わった。

 医学的な見地からの断言はできないが、相手を殺してしまったに違いないという直感的な確信めいたものがあった。

 しばらくして我に返り、ドア越しに見える廊下や、開いたカーテンの先に見える向かいの修志館に人の姿がないのを確認すると、慌てて五〇三号室から逃げ出した。

 廊下を早足で歩き、迷うことなく階段で一階まで降りることにした。

 登志谷を殴りつけたときの生々しい感触がまだ残っている。

 そのことを認識したとき、自分がジャケットのポケットに凶器を押し込んだままであることに気づいた。

 瞬時に、顔中がカッと熱くなるのを感じる。

 もみ合っているときに登志谷のバッグから飛び出した布の巾着袋で、中に金属製の物体が入っているようだった。

 無我夢中でそれをつかんで登志谷を何度か殴り、無意識に持ったまま教室を出てしまっていた。

 どうしようどうしよう。

 幸いにも階段では誰にも出くわさず、全速力で一階にたどりつくとホールを横切り、そのまま建物を抜け出した。

 立心館に入るときはそうではなかったが、いつのまにか小雨が降り出している。

 傘は持っていなかった。

 雨に濡れながらなおも早足で歩いていると、友学館の入口の手前で長方形の箱が目に飛び込んできた。

 学内では名物的存在である事務員の田上がこしらえた、木製のゴミ箱だった。

 その脇には、赤いカラーコーンが置かれ、側面には「ペンキ塗りたて」と手書きで表示された紙が貼り付けられている。

 一刻でも早く、こいつを手放したい。

 そのことだけが頭の中のすべてを占め、ポケットから少しはみ出してしまっている布の巾着袋を素早く取り出すと、乱暴にその表面をジーンズのポケットから取り出したハンカチで拭う。

 できうる限り自然な足取りでゴミ箱に近づくと、半ば放り投げるような格好で袋をゴミ箱に落としやや足早に遠ざかった。

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