第7話 願いと決意

 僕の反論に梅崎がどんな説明を試みるのだろうかと思っていると、意外にも梅崎は深いうなずきを返した。

「おっしゃるとおりです。

 だが、まさにその点こそが、さっきオレが『お伽話』といった理由なんです。

 つまり、洪作は五十円玉に賭けたんですよ」

「賭けた?」

「ええ、実は洪作が綾葉さんと出会うきっかけは、一枚の五十円玉だったのです。

 それで、洪作は五十円玉に全てを託したんです。

 まだ学生同士の自分たちではあるけれど、父親の反対を押し切り、今までの生活を投げうって駆け落ちする。

 本当にこんな大それたことをしてもいいのだろうか。

 自分自身に迷いはあるけれども、もし五十円玉を使った計画が成功したら神様が承認してくれたと考えることにしよう。

 洪作はそう結論づけたのです。

 自分の思いを込めた硬貨が直接仲間の手に渡り、さらにその硬貨が恋人の手に渡っていく。

 自分の手を離れた硬貨がしっかり恋人の手に渡るだろうか。

 渡ったとしてもその暗号を解いてくれるだろうか。

 どこかの段階で失敗する恐れはある。

 だけどこのある意味バカげた計画が成功すれば、自分は彼女と縁があったということになるし、これからもうまくやっていける。

 そう思ったんですね

 だから、今井上さんが言ったようなより確実な方法は取らず、あえてあのようなやり方をしたんです。

 成功する可能性は低くなるかもしれないけれど、それだけに成功したときには自分は彼女と結ばれる運命にあったのだと思える。

 まあ、ありきたりな表現にはなってしまいますが、洪作は五十円玉硬貨を自分と綾葉さんとを結ぶ赤い糸だと考えていたんですね。

 その赤い糸というのは今にも切れてしまいそうな、か細いものだった。

 でも洪作は、どんな困難があろうとその赤い糸が彼女のもとへ届くと信じていたんです。

 ただ、成功しなかったときには、自分は彼女とは縁がなかったと思って潔く諦めよう。

 そう考えていました。

 だから成功しようがしまいが、彼はこの土地を離れることは決心していたんです」

 長い沈黙が訪れ、電車の規則的な振動音だけが心地よく響いている。

 明滅する夜の景色を映し出している窓に僕は顔を向けた。

 やがて僕の顔が消え失せた窓には、映画のスクリーンのように幾つかの場面が浮かび上がる。

 自分は暗号を正しく解いたのか、彼は現れるだろうかと不安に思いながら父親の監視を振り切って道路に飛び出した女性の姿。

 彼女が暗号を解いてくれたことを祈りながら彼女の家に向かって自転車で急ぐ男性の姿。

 自転車は女性の目の前に現れ、女性は自転車の後部席に飛び乗る。

 自転車はすぐに走りだす。

 女性の父親はわめきながら、その後ろを自転車で必死に追いかける。

 闇夜を走る二台の自転車。

 追いつかれないように男性は必死で自転車のペダルをこぐ。

 その男性の腰に女性はしがみついている。

 その二人の男女の満ち足りた笑顔。

 二人が乗る自転車はゴールである駅へ向かって、シャッターが下りたわびしい真夜中の嵐山のメインストリートを疾走する。

 ささやかな現代のお伽話。


「井上さん、今日この場であなたに会ったのも、まさしく縁だったのでしょうね」

 再び物思いにふけっていた僕は、梅崎の言葉を認識して視線を戻した。

「実は、洪作と綾葉さんは現在、東京で暮らしているんです。

 オレは二人に会うために今、東京に向かっているところなんですよ」

 そう言って、梅崎は晴れやかに笑った。

 僕もつられて微笑みを返す。

 なにか胸の奥底にじんわりと暖かいものが込み上げている、そんな心地よい感覚があった。

 と同時に、僕は腹の底にグイと力を込めた。

 遠距離恋愛に不安を感じ始めていた自分。

 彼女を愛し続けることができるのかと疑心暗鬼に陥っていた自分。

 そんな迷いは吹っ切って、これからも彼女をずっと離さない。

 僕はそう誓った。

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