第6話 梅崎の説明
「ところで」と梅崎が話を再開したので、僕は物思いから我に返った。
「もう、井上さんはお気づきでしょうが、今言った駆け落ちには、五十円玉二十枚の両替が関係しているんですよ。
しかも、両替を頼んだ洪作が企んだ計画は、井上さん、あなたなしでは成立しませんでした」
僕は自分が持ち出した話でありながら、駆け落ちという衝撃的なエピソードに気を取られて、両替男の話をほとんど忘れかけていた。
「両替男、つまり洪作君の計画には僕の存在が必要?
しかし、僕は洪作君と知り合いじゃないですし、その計画とやらに荷担した覚えはありませんよ。
いずれにしても、あの両替は犯罪とは無関係だったんですね?」
「ええ、犯罪などというものは一切存在していません。
あえていうなら、あったとすれば・・・」
「あったとすれば?」
「そう、お伽話があったのです」と、梅崎。
「お伽話ですって?」僕は驚いて聞き返した。
「そうなんです、両替男に関する物語は、いわば現代のお伽話でした。
そこには童話の要素が含まれていたのです」
五十円玉二十枚の両替という行為に対して漠然と悪いイメージを抱いていた僕にとって、梅崎の言葉は予想外だった。
梅崎はこの後一体どんなお伽話とやらを聞かせてくれるのだろう。
僕は大きな興味を感じた。
「しかし、僕は絶対に両替男とは無関係ですよ」
「いいえ、あなたも、両替男の計画を手伝っていたんです」
「でも、さっきも何も知らないって言ったでしょう」という僕の言葉には耳を貸さず、梅崎は確信ありげに話を続ける。
「両替男は五十円玉の束をあなたに差し出した。
それをあなたはどうしましたか?」
「どうしたかですって?
そりゃあ、受け取ったに決まっているでしょう」
「受け取った硬貨をどうしましたか?」
「受け取った硬貨をどうしたかって?
レジスターの中の五十円玉を入れるボックスに入れましたよ、当たり前でしょう」
「では、そのボックスに入った五十円硬貨はどうなりますか?」
「お客さんの釣り銭として使われますよ、当然でしょう」
「そう、それが、両替男が両替を頼んだ理由だったのですよ」
「ん? 一体何を言ってるんです? よく分からないんですけど」
「受け取った硬貨の束はレジの硬貨を入れるボックスの中へ。
そして、そのボックスの上部にかたまってたまった硬貨は、その後ろに並んだお客さんの釣り銭のために。
つまり、両替男は後ろのお客さんに暗号の硬貨を渡すために両替したのです」
「暗号の硬貨を後ろに並んでいるお客さんに渡すために両替したですって?
しかしあの五十円硬貨には変わったところは・・・」
「そう、なかったでしょうね。
しかしどの硬貨にも製造年という数字がありますよ。
両替男に必要だったのは四種類の数字だったのです。
しかし四枚ではレジの中に入っている他の硬貨と混ざりやすいし、仮にそうならなかったとしても後ろに並んでいる両替男の仲間たち、もうおわかりですね、つまり僕を含めた銭湯の仲間たち、その間に別のお客さんが入れば硬貨は渡らない。
そこで両替は束にすることにした。
同じ製造年である硬貨を五枚、そしてそれを四種類作る。
これで二十枚になります。
例えば製造年が昭和三十年の硬貨を五枚、四十五年の硬貨を五枚、五十七年の硬貨を五枚、六十一年の硬貨を五枚という具合に。
これで二十枚ですね。
こうすればレジの五十円硬貨を入れて置くボックスの上部には、両替男が持参した硬貨だけがたまる。
そうなると、別のお客さんが割り込んでしまったとしても、あるいは硬貨の枚数が減って他の硬貨と混じりやすくなったとしても、両替男の仲間二十人が一枚ずつ受け取る合計二十枚の五十円玉の中で、両替男が持参した硬貨は少なくとも十四、五枚は含まれるでしょう。
もちろんその仲間たちは、五十円玉が釣銭にくるような買い物をするわけです。
さて、仲間は受け取った硬貨を持ち寄り、両替男が伝えたかった四種類の数字を探し出します。
関係のない数字が入り込んでいても、三、四枚は同じ製造年の硬貨であるはずですから、両替男が意図した四種類の数字を探し出すのは容易です。
最終的に使用するのは、一の位の数字四つでした。
その四つの数字は、四回の両替のうち、最初の二回は何月何日という日付を、後の二回は何時何分という時間を示していたのです。
二回ずつ繰り返したのは、暗号の受け手、つまり綾葉さんにより確実に伝えるためでした」
ようやく僕にも話の内容が飲み込めてきた。
「つまり、それが駆け落ちの日付と時間だったわけですね?」
「そういうことです。
さて、無事に四種類の数字を捜し出した男の仲間は、いつ四枚の硬貨を綾葉さんに渡したのか。
それももう、あなたにはおわかりでしょう。
さきほどオレは、銭湯の常連さんが綾葉さんと話せるタイミングといえば'入浴後なんかに飲み物を買って、ときどきは番台にいる娘さんにお金を払うときくらいだと言いましたが、まさにそれが綾葉さんに四種類の硬貨を渡すタイミングだったのです。
そして、その硬貨の製造年の内訳は、昭和三十年代、四十年代、五十年代、六十年代のものが一枚ずつありました。
その中でも、一の位が0から九までの数字がそろっていない昭和六十年代の硬貨は、何月何日という日付の中の月の十の位、何時何分という時間の中の時の十の位に当てはめます。
さらに昭和五十年代の一の位は月、時の一の位に、昭和四十年代の一の位は日、分の十の位に、昭和三十年代の一の位は日、分の一の位に当てはめます。
こうして出来上がった数字が駆け落ちの日付けや時間です。
例えば製造年が六十年の硬貨、五十五年の硬貨、四十一年の硬貨、三十二年の硬貨の四枚の硬貨があったとすると、日付に当てはめれば〇五月一二日つまり五月十二日となり、時間に当てはめれば五時十二分となるわけです。
オレはこのような仕組みを書いたメモをあらかじめ綾葉さんに渡しておいたのです、四種類の硬貨を渡す方法と同じく飲み物を買ったときに。
ちなみに、お父さんに綾葉さんの手紙を運んだのもオレです。
ああ、それと言い忘れましたが、両替の日を土曜日としたのはお釣りを受け取るための人数が確保しやすかったことと、たくさんの人が断続的にレジに並んでも不自然ではないからでした。
それと、監視者の存在ですね。
平日は綾葉さんの弟さんが担当していましたから、もし平日に両替を行えばレジに並んでいる我々の存在が気づかれたに違いありません。
だが、土曜日はそうではなかったですから」
両替の時の一場面を僕は思い出していた。
両替を頼まれた僕が迷っていたとき、両替を促した一人の客の真剣な表情を。
「なるほど、そういうことだったんですね」
僕はその言葉どおり、いったんは梅崎の説明に納得しかけた。
が、それとほとんど同時に、新たな疑問が湧いてきた。
「しかしですね、両替男は、つまり洪作君は、そんな面倒くさい方法を選ぶ必要があったんだろうか。
たしかに、綾葉さんに駆け落ちの日時を知らせるための方法として、五十円玉を番台で渡すのは自然な行動だったでしょうね。
しかしそれならば、洪作君は銭湯仲間に、綾葉さんに渡すべき五十円玉の製造年を指示して、その四種類の五十円硬貨を銭湯仲間が綾葉さんに渡すだけで良かったはずでしょう?
つまり洪作君がわざわざ五十円玉二十枚を書店で両替することによって、お客さんとして後ろに並んでいる仲間に二十枚の硬貨を渡し、その仲間がその中から四種類の硬貨を選び出す、なんていう手間をかける必要はなかったってことです。
いや、さらにいえば、五十円玉を暗号として使用する必要すらなかった。
だって、君の話によれば、暗号の仕組みを書いたメモをあらかじめ綾葉さんに渡すことができたんだから、その方法で、駆け落ちの日時を書いたメモを渡せばよかったんではないですか?」
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