第5話 反対と結末

「洪作はオレと同じ地方からの上洛組で、嵐山にある寺石荘というアパートに住んでいました。

 学部も同じですし、ミステリー研究会というサークルに所属しているのも同じでした。

 そのミステリー研究会の一年先輩に石崎綾葉さんという女性がいました。

 洪作は入学当初にいわゆる一目惚れしたようで、やがて二人は付き合うようになりました。

 二人の交際は順風満帆で、交際期間がもうすぐ一年半を超えるころ、つまり去年の十二月ごろですが、二人の間で学生ながら近いうちに結婚しようという合意ができあがったんです。

 ところが、嵐山で銭湯を経営している綾葉さんの父親が猛反対。

 年齢的に二人が若すぎるという理由はもちろんありましたが、それよりも二人の境遇に反対の原因があったんです。

 綾葉さんは高校生のころに同級生との婚姻に失敗し、堕胎も経験し、子どもの生めない体になっていました。

 一方、洪作の方は、父親に早くに先立たれて母子家庭に育ち、現在でも貧しい経済状況です。

 それが綾葉さんの父親が結婚に反対する理由でした。

 実は、綾葉さんのお相手の同級生の家庭というのも母子家庭で経済的には相当厳しかったらしいんです。

 綾葉さんのお父さんは、娘の結婚が失敗に終わったのは、相手が母子家庭に育ったからだという根強い偏見を持っていたんですね。

 だから娘が再婚する際には、片親の家庭に育ったのでもなく、また経済的にも安定した社会人を相手として考え、それは絶対に譲れない条件だったんです。

 ところが、運悪く、洪作も母子家庭に育ち、現在も恵まれない経済状況の学生だったものですから、綾葉さんの相手としては論外といっていいくらいでした」

「そうだったんですか…

 綾葉さんのお父さんの横暴はひどいですけど、でもその気持ちの一部は分からないでもないですね。

 今度こそは幸せな結婚をしてほしいという親心というか…

 二人としても卒業して就職するまで待つことはできなかったんでしょうか。

 そうなれば、お父さんの気持ちが軟化するかもしれないし、洪作君の出自に関する偏見も和らいだかもしれないのに…」 

 僕がそう率直な意見を口にすると、梅崎はうなずきを返した。

「ええ、たしかに。

 でもね、二人が結婚を急ぐ理由をオレは洪作から聞いたので、そちらの気持ちもよくわかるんです。

 綾葉さんは普段から明るくてサバサバした人にみえるんですけど、親しく接してみると、その奥に暗い陰りのようなものが潜んでいることに気づくんです。

 洪作の話だと、それは失敗した結婚に起因するもので、相当壮絶な体験をしたということでした。

 そんなトラウマというんですか、その大きな傷を癒すには、幸福な結婚によって、結婚そのものへのイメージを塗り替えるしかない。

 洪作はそんなふうに思っているみたいでした。

 だから、結婚を焦っていたんですが、綾葉さんの父親の拒絶にあい、失意のどん底に突き落とされたんです。

 綾葉さんの父親というのはとにかく頑固な人で、奥様を一年ほど前に失ったということもあって、その愛情は一心に綾葉さんに向けられていました。

 まさしく溺愛といった状態で、父親の娘に対する愛情は並大抵のものではなかったんです。

 それからというもの、洪作は銭湯の常連客でもあったんですが、銭湯への出入りは一切禁止。

 さらに、自分の息子に、つまり綾葉さんの弟なんですけど、その息子に洪作が綾葉さんと接触しないように、洪作をずっと監視させていたという話です。

 その息子は父親から、その仕事に対してかなりの報酬を受け取っていたらしい。

 彼は普段は銭湯の仕事を手伝っていたんですけど、他には特に何もしていなかったらしく暇はたっぷりあったようです。

 とはいえ、私立探偵じゃあるまいし、二十四時間、ぶっ通しで監視を続けていたわけではないんでしょうけど、洪作に対する心理的圧迫はかなりのものがあったんだと思いますね。

 ただ、土曜日と日曜日はその息子も自分の時間にあてたいということで、友人に洪作の見張り役を頼んでいたんです。

 父親はその息子の友人のことをあまり知らなかったし、その友人も銭湯に訪れることはなかったんだけど、休日の監視者の人選については息子に任せていたようです。

 父親は洪作の行動を逐一息子に報告させて、その報告を娘さんにも伝えていたということです。

 とにかく洪作が何もできない状態であることを娘さんに話して、洪作のことをあきらめさせようとしたんでしょうね。

 まあ、趣味の悪い話なんですけど、それほど娘を手放したくなかったということでしょう。

 一方、綾葉さんも父親の厳しい監視の下に置かれて身動きがとれませんでした。

 二か月ほどは、ほとんど外出できなかったというくらいですから。

 父親の執念も凄まじいものがありますよね。

 なにしろ洪作が銭湯で知り合った人たち、つまり銭湯の常連さんですね、そういった人たちまで綾葉さんと話すことはほとんど禁じられていたらしい。

 話せるタイミングといえば'入浴後なんかに飲み物を買って、ときどきは番台にいる娘さんにお金を払うときくらいでした。

 洪作は何とか綾葉さんと接触したかったんですけど、それは不可能な状況でした。

 二人とも携帯電話は持っていませんでしたから、お互いの家に電話するしかないんですけど、父親や息子が絶えず見張っていましたからね。

 それならばと、洪作は綾葉さんに手紙を出したこともあったんですけど、綾葉さんの手に届く前に没収されてしまったんです。

 そんなこんなで、洪作はまさしく八方ふさがりの状況に追い込まれてしまったんです」

 親の愛情といってしまえばそれまでだけれど、見方を少し変えてみれば、狂気といってもいいような所業ではないだろうかと、僕はいささか怒りを覚えた。

「しかも、そんな状況に陥る少し前のことですが、去年の十月に洪作の母親が重い病に倒れたまま二度と帰らぬ人になっていまして…

 精神的な後ろ盾を失っていたんですね…」、

 僕はなんとも虚しい気持ちになっていた。

「そうだったんですね…

 それで絶望のあまり、洪作君は大学を辞めてしまい、地元に戻ったというわけなんですね…」

 なかばひとり言のように僕がしんみりとそうもらすと、梅崎は意外にもにやりと笑みを浮かべた。

「まあ、洪作が退学したというのはさきほど話したとおりなんですけど、絶望のあまり、というのは違いますね」

「え? というと?」

「二人は」と梅崎は続けた。

「ある日、この京都から姿を消しました。

 駆け落ちしたんです」

「なんですって?」

「そうなんですよ、二月上旬のある日の夜の十二時ごろ、綾葉さんが父親の監視の隙をついて外にとびだしたところ、ちょうど洪作が自転車で現れて、二人乗りの自転車は走り去りました。

 父親は車を持ってなかったから彼も自転車で後を追った。

 父親の自転車がJRの嵯峨駅に着いたときには、京都駅行きの最終列車がちょうど出ていったところでした。

 二人にまんまと逃げられたんです。

 あの頑固な父親の怒りの顔が目に浮かぶようですよ。

 悔しくて悔しくてたまらなかったでしょうね。

 それと同時に父親はしきりと不思議がっていたらしいです。

 あの手際の良さからいっても、二人が待ち合わせしていたことは間違いない。

 しかし娘も娘の恋人もしっかり監視していて、男は娘に近づけなかったのだから駆け落ちの連絡などできるはすはない。

 銭湯の常連客ですら、娘にはなるべく近づけさせなかった。

 なのになぜ?というわけです」

 梅崎の僕に対する挑戦のような言い回しに、僕はとりあえず思いついたことを口にした。

「偶然娘さんが外に飛びだしたときに、洪作君が自転車で通り掛かったんじゃないですかね。

 でもそれは余りにも偶然過ぎるからその考えは捨てるとして、多分洪作君は娘さんが外に出るのを待ち伏せしていたんでしょう」

「それは考えにくいですね。

 もし洪作がそういう行動を取ったとすると、いつ娘さんが外に出るか知りようがないんだから、何日も何時間もどこかで見張っていなければならない。

 でも、そんな姿は目撃されていないんですよ。

 もしそういった行動をとったならば、どうしてもある程度は目立ってしまいますから、洪作の姿を目撃した人から綾葉さんの父親に自然と伝わってしまうでしょう」

「銭湯に通う人たちが、みんな洪作君の味方だったらどうでしょう?

 そうだとしたら、洪作君を目撃したとしても、父親の耳には入れないのでは?」

「たしかに、銭湯に通う人たちの中に洪作の味方は僕も含めて一定程度はいましたが、全員じゃないですからね。

 待ち伏せなんてことをしていたら父親の耳に入らないはずはないんですよ。

 それともう一つ決定的なことがあります。

 さっきも話した寺石荘、このアパートの大家さんに洪作は駆け落ちのことを打ち明けていたんです。

 その大家さんは洪作の味方だったんですね。

 洪作は大家さんに駆け落ちの日時を告げ、実際その日に実行しました。

 その次の日には引っ越し業者が来て、洪作の部屋の荷物を運んでいきましたよ。

 業者が来ることも事前に大家さんに告げておいたんです。

 こうなると計画的な駆け落ちだとしか考えられないでしょう?

 でもどうやって洪作は綾葉さんに駆け落ちのことを知らせることができたのか、これが謎だというわけです」

「それにしても」と僕は最も気になっていることを梅崎に聞いてみた。「洪作君と綾葉さん、二人は今どこでどうしているんですかね?」

「なんとか生活していけているという内容の綾葉さんからの手紙が、父親あてに届いたそうです。

 もっとも、差出人の住所や消印はありませんでした。

 つまり、綾葉さんは京都在住の誰かに手紙を送り、その誰かが直接、綾葉さんの父親宅に届けたということですね」

「その手紙を読んだお父さんの反応はどうだったんだろう?」

「周囲の人間がみるかぎり、今のところ父親に特に変化はありません。

 駆け落ち当初は絶縁するとか息巻いていたそうで、さすがにそれは思いとどまったようですが・・・

 まあ、父娘の間の雪解けはまだ遠いといえるでしょうね」

「それにしても、駆け落ちとはずいぶん思い切ったことをしたもんだなあ」

 僕は今梅崎から聞いた話の余韻に浸っていた。

 京都と東京の間で遠距離恋愛を続けている僕からしても、駆け落ちという行為が自分とは縁遠い世界の出来事のように思えた。

 それだけに、憧れめいたものを感じる自分もいた。

 しかし実際には無鉄砲で危険な行動だった。

 二人は今までの生活全てを捨ててしまわなければならないからだ。

 自分にはそんな勇気はない。

 僕はそう思い、それと同時に駆け落ちという大胆な手段を選んだ二人に対する尊敬の念のようなものが沸き上がってくるのだった。

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