第20話 犯人の告白

「・・・驚いたわ。

 あなたたち、わたしの父に会ったことがあるのね。

 わたしの父がこの辺をうろうろしていたなんて、ほんとに驚いた・・・」

「美奈ちゃん、君が僕の原稿を盗んだ・・・

 そりゃないよ、そりゃ…」

 呟くような哲也の独語には悲痛な響きがあった。

 生気を奪い取られたようにその声は力なく掠れ、その事実を受け入れるのは拒み続けたいという意思表示なのか、繰り返し、はげしくかぶりを振った。

「わたしね、ほんとにがんばったのよ。

 なんとか賞を取りたくて、精一杯努力したの。

 井戸田先生にもしょっちゅう相談した。

 でも、結局は駄目だった。

 完全に行き詰まって絶望してたときに、ふと父のことを思い出したの。

 学生だったわたしの父は二十年くらい前に寺石荘に住んでた。

 そのとき同じく学生だった母との間にわたしが生まれたんだけど、いろいろあって、生まれてすぐのわたしを父が引き取ることになったの。

 父は六年くらいかかって卒業したんだけど、わたしもそれまで一緒に寺石荘のあの部屋で暮らした。

 そのあと、父と母は正式に離婚し、わたしは母に引き取られて、東京で今まで育てられてきたというわけ。

 あの部屋で父と暮らしたのは幼い頃の数年間だけなんだけど、父が机に向かって何かをいつも熱心に書いていたのを覚えてる。

 そして、父が押し入れの床下に空洞をこしらえて、原稿を埋めていたことも、頭の隅に印象に残ってた。

 大人になってから、時々母から話を聞いたり、自分でも色々と思い返してみると、どうやらあの原稿には推理小説が書かれていたらしいと気づいたの。

 そのことをまた最近になって思い出したのよ。

 わたしは父が書いたその推理小説にすごく興味をもった。

 今も床下に埋もれたままになっているかもしれない推理小説には、どんなことが書かれているのだろう?

 もしかして、すごい傑作なんじゃないだろうかって思ったりもした。

 それなら、わたしが手を加えて、もちろん、わたしの名で世に出したい。

 次第に、そういう気持ちを押さえ切れなくなった。

 原稿の締切りは迫っているけど、ぎりぎり今なら間に合う。

 哲也君のいないうちに、こっそり取ってこようと決心したの。

 様子を探るためにあの日哲也くんに電話したら、哲也くんは自分の作品にすごく自信をもっていた。

 それを聞いて、とても悔しくなって。自分も負けたくないって思った。

 わたしは午後になって寺石荘に出掛けた。

 哲也くんが部屋を出たのを見計らって、こっそり部屋に入って、床下に入っていた原稿を取り戻したわ。

 そのとき偶然に、積まれていた段ボールの下から、哲也くんの原稿を発見したの。

 わたしの頭に、哲也くんの自信満々の表情がすぐに浮かんできた。

 満足のいく作品が書けずに、泥棒みたいにこっそりと哲也くんの部屋に忍び込んで原稿を取りにきた自分がとても情けなかった。

 と同時に、とても悔しかった。

 哲也くんだけがいい思いをして、わたしはこんな惨めなことをしてる。

 もし、この原稿を取っていったら、哲也くんはきっと困るだろうと思った。

 わたし、どうかしてたのよ。

 わたしは二つの他人の原稿を持って家に戻った。そういうわけなの」

「お父上が最近までずっと寺石荘に住み続けていて、今もこの辺に住んでいることは知らなかったんだね」と、洪作が聞いた。

「うん、知らなかった。

 父にはほとんど会っていないし、母からも特に何も聞かされなかった。

 わたしも知りたいとは思わなかったし。

 父が新興宗教に入ったということはなんとなく知っていたけど、この辺で活動しているとは夢にも思わなかった。

 だから、永井と私の関係がバレることはないし、従ってわたしが空洞の存在を知っていることをあなたたちが気づくわけはないと思ってた。

 だから、哲也くんの原稿が盗まれたことにしても、洪作くんあたりが疑われたりして、結局うやむやになるだろうと思ってた。

 まさか、父があなたたちの前に現れているとは思ってもいなかったから…」

「で、二十年の間、ずっと埋もれたままになっていた作品の出来は?」と、好奇心に満ちた表情で、洪作が身を乗り出した。

「父がわたしのことをかばってくれたのは嬉しかったけど、それよりも素晴らしい推理小説を残してくれていた方がどんなに嬉しかったか。

 ええ、そう。お察しのとおり、凡作だった。

 二十年も前の作品ということを考慮しても、ダメなものはダメ。

 もったいぶって長年の間埋もれていたんだけど、そのまま埋もれていればよかったと思う。

 結局、父は才能がなかったのね。

 そんな父の血を受け継いでいるわたしも才能がないのは当然なのかもね」

「お、オレの原稿はどうなった?

 も、もしかして燃やしちゃったの?」

「ううん、まだ取ってある。

 もちろん返すつもり。

 ざっと読ませてもらったけど、はっきり言って、あれじゃあ受賞はとうてい無理だと思う。

 どうして、哲也くんがそんなに自信ありげなのか、とても不思議なの」

「うそだ」と、そのときだけは哲也は美奈に対して憤慨の気持ちをあらわにした。

「負け惜しみを言うなって。

 まあ、いいや。結果をみれば、はっきりすることだしね。

 あれは傑作であることは間違いないんだから、受賞は確実だよ」

「わたしね、あなたの原稿を読んでから、すぐにとっても後悔したんだ。

 今すぐにでも返しに行って、あなたに謝るべきって思った。

 でも、なかなか勇気がでなくて…

 今まで、ずっと悩んでた。

 ほんとよ、これは信じて」

「信じるよ、信じるとも。

 きっと魔がさしたんだよ。

 仕方がなかったんだ。

 もういいよ、オレは全然怒ってないからね」

 心から同情している顔付きの哲也の口調は、いたわるような優しさに満ちていた。

「へーえ、ずっと、今まで悩んでたって?

 とても後侮してたんだって?

 それは本当かな?

 君は僕らと一昨日ここで会ったとき、僕が犯人であるというようなことを暗示したよね。

 哲也の疑惑を明らかに僕に向けようとしていた。

 さりげなく僕のことを批判しておいて、哲也の僕に対する疑惑を植え付け、速やかに去っていた手際なんぞ、なかなかの演技だったよ。

 だからね、僕には、君の言うことは信じがたいな。

 ほんとうのところは、自分が犯人だと指摘されなかったら、ずっと黙っているつもりだったんじゃないのかな?

 そうなれば、哲也は今回の応募は見送らざるをえないからね。

 改めて書き直せば済むとはいえ、作品そのものはできていたのに、あと一年間待たなければならないというのは、どれほど精神的苦痛を伴うことだろう。

 おそらく、君の狙いは、そこにあったんじゃないのかな?」

「おいおい洪作、それは考えすぎだって。

 美奈ちゃんが、わざとおまえに疑いを向けようなんて、そんなことしてないよ。

 おまえにさりげなく疑いを向けておいて、速やかに去ったって?

 ただ用事があるから、帰っただけだろうが。

 美奈ちゃんになにか恨みでもあるのか?

 おまえの考えって、おかしいよ、変だよ」

「まあ、君がどう考えようが、君の勝手さ」

「ああ、そうだとも。

 勝手ついでに言わせてもらえば、じつのところ、俺は今、本当に後悔してる。

 美奈ちゃんが犯人だったことを知るくらいなら、最初から犯人探しなんてしない方がよかった。

 どうせ、また書き直せばよかったんだから、わざわざ自分から犯人を暴きたてる必要なんてなかったんだ。

 美奈ちゃんだって、いずれ自分からオレに謝るつもりだったんだし」

「ちょっと待ってよ。そりゃあ、ないよ。

 君だって、犯人探しに乗り気だったじゃないか。

 なのに、今更そんなことを言うなんて。

 僕は君のために一生懸命がんばってきたのにさ」

「オレのためねえ、ふうん、本当にそうなのかな?

 面白そうな謎が自分に転がり込んできたんで、なによりも自分自身の好奇心を満たすために、いろいろと嗅ぎ回っていただけだろう?

 さぞかし、おまえさんは楽しかっただろうよ。

 謎を解くのは快感だっただろうし、おまけに芝居がかって突然美奈ちゃんを犯人だなんて言って、オレを驚かせたりしてさ。

 いい気分なのは、おまえだけじゃないか。

 オレの原稿が盗まれたのをネタにして、おまえだけが、オイシイ目にあってるんだよ。

 それなのに、恩着せがましいことは言わないで欲しいね」

 唇の端をひきつらせて、吐き捨てるように哲也が言った。

「哲也くんの言うとおりよ。

 わたしだって、あのとき突然自分が犯人だなんて言われて、ほんとにびっくりしたんだから。

 たしかに原稿を盗んだのはわたしだけど、だからって、なにも、あんな不意打ちをくわせる必要なんてなかったでしょう?

 わたしだって原稿を盗んだことに関しては、ちゃんと反省してたし、どうやって哲也くんに謝ろうかと思って、ずっと悩んでいたのよ。

 昔のことにしたって、寺石荘に住んでいた頃にはあまりいい思い出がないし、そのときのことも、父のことも、他人に喋ることはできるだけ避けてきたのに、ほんとに無神経で最低な人」

 心の奥底から蔑むように美奈が言った。

 洪作はこのときほど無表情な美奈を見たことがなかった。

 今や哲也も美奈も、はっきりと敵意のこもった憎悪を洪作に突きつけていた。

「そうくる?

 普段は推理小説を面白がってるくせに、自分の身にそうした事件が起きると、途端に態度を豹変させるわけだね。

 覚悟が足りないよ。

 なんか、裏切られた気分だな。

 まあいいさ、僕は君たちに何を言われようと気にしない。

 君たちの気持ちなんて、僕にはわからない。

 僕は面白い謎があったから飛びついた。

 それだけだよ。悪い?

 それじゃあ、さようなら」

 それだけを一気に言うと、憤然として洪作は立ち上がった。

 後ろを振り返らずに、洪作は足速に立ち去った。

 二人がどんな顏をしているのかも確かめなかった。

 自らの意思で言葉を発したのは確かだが、何故あんなことを口にしたのか、洪作は自分でもよくわからなかった。

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