第19話 みたび洪作の推理

「な、何だって!」

 哲也が素っ頓狂な叫び声を上げた。

 内心ほくそえみながら、洪作は哲也の間の抜けた表情をちらと見やった。

 周囲の人間をいきなり驚かせて満足感にひたるのは、探偵役の特権なのだ。

「あやうく僕も永井さんの告白に騙されるところだったよ。

 というか、僕の勇み足で勝手に思い違いをしてたんだけどね。

 解決を焦ってたもんだから」と、洪作はばつが悪そうに少しにやけて、

「まあ、それはともかくだ、あの告白には、どうもすっきりしないところがあった。

 永井さんは告白の直前には、推理小説とは訣別したと言っているのに、哲也の原稿を盗んだのは自分が応募する賞のライバルを蹴落とすためだと語った。

 これは明らかな矛盾だった。

 どちらの永井さんの言葉が本心なのか?

 僕には、推理小説と訣別したという言葉の方は真実であるように思えた。

 よくよく考えてみれば、どんな事情があるのかはしらないけれど、今は新興宗教に属して熱心な勧誘員をやっている人間が、どうして今更、昔書いた推理小説を取りに戻って賞に応募しようとするのか?

 そんなことは、どうにも信じがたかった。

 途中まで永井さんは、空洞に入っていた原稿と哲也の原稿が盗まれたことを知らないようだった。

 そのときの僕は、永井さんがとぼけて知らないふりをしてるんだろうと思ったけど、そうじゃなくて、本当に知らなかったんじゃないかと思えてきた。

 永井さんが急に告白を始めたのは、永井さん自身が原稿の盗まれたことを確認してからのことだった。

 そのとき急に態度が変わったようだった。

 それと、やっぱり動機の点がひっかかった。

 たとえ永井さんが推理小説の賞に応募しようと考え、哲也が自分のライバルだと知ったとしても、ただそれだけの理由で、普段からほとんど知らない人間である哲也の原稿を盗んでしまおうと考えるだろうか?

 それは違うんじゃないかと思えてきた。

 哲也の原稿を盗もうと考えるからには、ただライバルを蹴落とすという意図だけじゃなくて、哲也自身に対する悪意のようなものがあるからに違いなかった。

 犯人は、哲也をよく知っている、つまり哲也と近しい関係にある人間でなければならなかった。

 そう考えないと、偶然に見つけた哲也の原稿を盗んでいくことの説明がつかない。

 こんなふうに考えていくと、どうしても永井さんが犯人だとは思えなくなった。

 永井さんは犯人じゃない。

 彼は犯人ではないのに、自分が原稿を盗んだのだと告白している。

 とすれば、永井さんは誰かをかばっているのではないかと僕は考えた」

 哲也はカップを両手で持ったままそれに口をつけるのも忘れ、ただ呆然と聞き入っていた。

 美奈も神妙な表情で、洪作の語る言葉に沈黙していた。

「それでは、犯人は一体誰なんだろうか?

 ここで僕は完全に行き詰まった。

 犯人は哲也の部屋に以前に住み、あの押し入れの床下に空洞をこしらえた人間であることは間違いなかった。

 永井さんは告白の直前までは真実を語っていたのだから、永井さんがその人物であることは確実なことだった。

 永井さんこそが犯人の条件に該当する人物だった。

 だが彼は犯人ではない。

 これは一体どうしたことなのか?

 そんなとき、僕は、ふと一昨日の井戸田さんの言葉を思い出した。

 そして、自分が今まで先入観にとらわれていたことにようやく気づいたというわけなんだよ」

 話し疲れた洪作は一旦口を噤んだ。

 そして再び、力強さを伴った口調で語り始めた。

「井戸田さんは言っていた。

 僕たちにヒントを与えるつもりだったのかもしれないな。

 井戸田さんは、こんなようなことを言ったはずだ。

 君たちはひとりで住んでいるんだから恵まれている、とね。

 それまでは聞き流していたその言葉を思い出したとき、もしかして僕は今まで固定観念に縛られていたんじゃないかということに、ようやく思い当たった。

 まったく、僕は間抜けだった。

 僕は今まで寺石荘の各部屋には一人しか住んでいないと信じて疑わなかったけど、果たしてそれは絶対に確実なことだろうか?

 今の時代では、下宿している人間は一人で住むというのが当たり前かもしれないが、二十年ほど前も果たしてそうだっただろうか?

 特に寺石荘の部屋はみな八畳なんだし、ひとつの部屋に住んでいる人間は一人だとは限らないんじゃないだろうか?

 そうなんだ、一つの部屋に二人の人間が一緒に住んでいたとしても何ら不思議じゃない。

 やっと僕はそのことに思い当たった。

 つまり、永井さんと一緒に、もう一人、あの哲也の部屋に住んでいた人物がいたかもしれないということだ。

 その人物は永井さんと一緒に住み、永井さんがこっそり押し入れの床下に空洞を作ったことを知っていた。

 それならば、永井さんだけでなく、その人物も犯人たりうることに僕は気づいた。

 さらに言えば、その人物は四十前後の中年とは限らない。

 もしその人物は生まれてすぐに永井さんに育てられたとしたら?

 もしそうだとしたら、その人物はまだ二十代の人間だということになる」

 洪作に真っ直ぐに向けられていた哲也の視線が、ゆっくりと美奈へ移った。

 依然として無言だった美奈の唇がかすかに動いて、呟くような平板な声が流れた。

「どうぞ、続けてよ」

「一方で、僕は動機のことも考えた。

 空洞のなかに入っていたのも推理小説だったし、さらに哲也の原稿を盗んでいったからには、さっきも言ったように、犯人は推理小説の原稿にも興味があり、なおかつ哲也とも近しい人間であるに違いなかった。

 もちろん僕もそういう人間であるに違いない。

 だが他にもいた。

 美奈ちゃんだ。

 僕たちは同じ推理小説の賞に応募することを決めていて、僕たち三人は完全にライバル関係にあった。

 彼女なら哲也の推理小説の原稿に興味があるだろうし、哲也にちょっとした悪意を抱くほどに近しい関係にある。

 しかも君は何か月間かがんばって書いていたけど、結局は挫折したそうだね。

 そんなわけで、君なら、偶然に見つけた哲也の原稿を盗んでいくだけの動機を持っている。

 そして、もし君が永井さんと一緒に、以前に哲也の部屋に住んでいたとしたら、君は犯人たりうる条件を完璧に揃えていることになる。

 君が永井さんの娘ではないかと考えたときに、つじつまのあう事実があることに気づいたよ。

 生徒と付き合うのが嫌いな井戸田さんが、君のことは大層お気に入りのようだった。

 井戸田さんは、寺石荘に住んでいたときから、君のことは知っていたんだね。

 まあ、それはともかく、僕はさっき、また大家さんにたずねてみたよ。

 何回も変なことを聞きにくるんで不審がってたけどね。

 それで僕の推理は証明された。

 永井さんは当時自分の子供と一緒に、あの哲也の部屋に住んでいたそうだ。

 その子は女の子だった。

 大家さんは、名前もしっかり覚えていたよ。

 時々その子の面倒を見ていたらしい。

 で、その女の子の名前は、美奈だった。

 今度こそ、めでたく証明終り、というわけだね」

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