第15話 秘密

「秘密? 

 秘密だなんて、大げさだなあ」

 洪作はあえて呑気な口調で返したが、何か得体のしれない胸騒ぎを感じていた。

「ぜんぜん大げさじゃないんだって。あのね」と言ってから、美奈は幾分の間を置いて、

「綾葉さんて、バツイチなんだって!」

「バ、バツイチ?」

 思わず洪作は叫んでいた。

 どうせ、実は彼氏がいる、程度の発言だろうと高をくくっていたのだ。

 それはそれで洪作にとってはショックには違いないが、離婚歴があるとはさすがに衝撃が大きすぎた。

「う、うそでしょ?」

 だって、綾葉さんは、僕より二歳上のはず。

 だから二十一歳なわけで・・・

 それなのに、結婚して、しかも離婚しただなんて…」

「それがホントなんだってば。

 ミス研の先輩がこそっと教えてくれたんだけどね、高校生のときに同級生の子どもを身ごもったって。

 それで、お互いの両親を交えて話し合った結果、二人の気持ちを尊重して結婚を認めたらしいの。

 でも、結婚後にいざ出産ってなったときに、流れてしまって…

 それから夫婦間に亀裂が走るようになって、結局は離婚を選んだということみたい…

 それにね、その流産の影響で、もう子どもを産めない体になったらしいの・・・」

「・・・」

「わたし、綾葉さんをみてて、いつも気になってたんだ。

 すごいはきはきとして元気いっぱいだけど、どこか影があるというか、なんとなく寂しそうだなって。

 だから、この話を聞いて納得できたっていうか、そんな気持ち。

 このことを洪作くんに言おうかどうか迷ったんだけど、知らないうちに何の気なしに先輩を傷つける言葉を使ってしまうこともあるかなって・・・

 だから、話しておく方がいいと思ったの」

 気を使ってくれて、ありがとう。

 そんな気持ちには、洪作はとてもなれなかった。

 驚き、悲しみ、怒り、いら立ち。

 そんないくつかの感情が入り混じった苦悩を浮かべる洪作に、これ以上の言葉を投げかけるのはためらわれたのであろう、美奈はそっと立ち上がって、

「わたし、もう行かなきゃ。

 じゃあ、また」

 小走りで逃げるように洪作のもとを去っていった。

 洪作は腰から下が石化したかのようにベンチから動けなかった。

 頭がぼうっとしびれて、ただひとつのことしか考えられない。

 綾葉さんにそんな壮絶な過去があったなんて…

 ただでさえ綾葉と話しているときに感じていた成熟した大人と青臭い自分との格差がますます広がっていくばかりだと思わざるをえなかった。

 だけど、と洪作は自分の胸の内に問いかけてみる。

 僕は綾葉さんのどこに強くひかれているのだろう。

 僕は何よりも綾葉さんのまとう柔らかな雰囲気に引き寄せられている。

 その雰囲気は、綾葉さんが今まで歩んできた生き方から醸し出されるものであるに違いないのだ。

 そう思った瞬間、洪作はふっと気持ちが軽くなり、それどころか何かしらわくわくとした喜びが込み上げてくるのを感じた。

 洪作は勢いよく立ち上がると意気揚々と歩きだし、暇な時間ができるといつもそうするように図書館へ向かった。 

 だが、妙に気持ちが浮足立っていて、読書にはまったく身が入らなかった。

 ぼんやりと同じページの字面を眺めているだけの時間が過ぎ、七時を回った頃に図書館を出た。

 近くの定食屋で食事を済ませ、八時過ぎに寺石荘に戻った。

 自転車を手で押しながら歩いて寺石荘の敷地内の庭を通り掛かったとき、大家さんの住む一軒家の玄関前に、談笑する三人の人間の人影が目に入った。

 一人は大家さん、一人はさきほど学校に出掛けるときに挨拶した中年の男、そしてもう一人は例の新興宗教の勧誘員だった。

 大家さんは恰幅のよい中年の男に手をさしのべ、「また、今度ね」などと声をかけていた。

 洪作はその一団に「こんばんは」と声をかけておいて通り過ぎた。

 部屋に戻ると、横になってゲラゲラ笑いながらテレビを見ていた洪作だったが、その視線がふと本棚をとらえた。

 その表情がいつになく真剣なものに変わった。

 しばらくして洪作は起き上がり、早足で大家さんのもとへ向かった。

 幸いなことに、大家さんはまだ床に入る前だった。

 いつものように愛想よく対応してくれたが、そのときは普段に比べ一段と機嫌がいいようだった。

 十分ほどで洪作は大家さんとの話を終えると、へたくそな口笛を吹きながら部屋に戻った。

 そして、すぐに深い眠りについた。

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