第12話 斉藤美奈

「おい、洪作。どうしてくれるんだよ!

 おまえは関係ないかもしれないが、オレは推理小説家の夢破れたら、将来は院に行くつもりなんだから、これからも井戸田さんとの付き合いは続くんだぜ。

 それなのに犯人と決め付けたりするもんだから、オレに対する印象が悪くなったに違いないよ。

 みんな、おまえのせいだからな」

「おいおい、冗談じゃないよ。

 さっきまでは、『うんうん、それに間違いない。すごいよ、ホームズ』とか言って納得してたくせに」

「おまえだって、『ふん、初歩だよ、ワトスン君』とか言って、えらく調子に乗ってたじゃないか。

 あーあ、おまえなんか信用するんじゃなかったよ。

 本当に、おまえはそそっかしいマヌケだよ」

「どうしたの?

 なに、ブツブツ言ってるの?」

 いつのまにか二人の前に、にこにこと笑っている女性が立っていた。

 斉藤美奈はモデルのように派手な顔立ちですらりとした長身の美人だが、笑うと両方の頬にできる小さなえくぼによって、一見すると近寄りがたい雰囲気が中和されている感があった。

 不機嫌そうにその顔を曇らせていた哲也だが、すぐに明るい顏付きに変わって、

「それがさあ、聞いてくれよ。

 なんとオレの原稿が盗まれちゃってさ。

 すごく困ってるところなのよ。

 洪作に相談しても、ますます状況が悪くなるだけだしさ」

「えー、ほんとに?

 原稿が盗まれちゃったの?

 いったい、だれがそんなこと?」

 美奈はそれまでの明るい笑顔を引っ込め、眉根を寄せたその表情は、ひどく心配そうである。

 斎藤美奈も井戸田の基礎演習の生徒であり、またミステリー研究会の同期でもある。

 同じく推理小説の愛読者とはいえ、井戸田は洪作や哲也よりも美奈と話すことを明らかに好んでいた。

 井戸田からすれば、むさくるしい男どもよりも見目麗しい女性の方が好ましいには違いない。

 洪作は、二人が学校の近くの洋食店で楽しそうに食事しているのを何度か見かけたことがある。

 生徒嫌いで通っている井戸田ではあったが、美奈だけは別格のようだった。

「美奈ちゃんはどうなの、原稿の方は?」と洪作が聞いた。

 哲也と洪作が長編を応募することを話すと、美奈もその話に乗ってきた。

 それでこの二か月間悪戦苦闘したのだが、あまりはかばかしく進んでいないと、最近二人に悔しそうにこぼすことがあった。

 美奈は苦笑しながら悲しそうに首を左右に振って、

「もう、全然ダメ。

 だから、くやしいけど応募することはあきらめたの。

 それにしても、原稿が盗まれたなんて、お気の毒。

 まさか、盗んだのが洪作くんてことはないよね?」

 そう言って、いたずらっぽく笑った

「はあ?まさか、そんなわけないだろ!」

 思いがけない指摘を受けて、心底から洪作は驚いた。

「でも、隣の部屋に住んでる洪作くんが真っ先に怪しいってことになると思うんだけど、って、いえ、もちろん今のは冗談よ。

 いずれにしても早く見つかるといいね。

 わたし、用事があるから、これで。

 じゃあね」

 軽く右手を挙げて、美奈は小走りで去っていった。

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