第8話 ディスカッション④

 そう言われて、洪作はすぐに思い当たった。

 正確な名称は覚えていないが、ある新興宗教の勧員を名乗る四十才前後と思われる中年男性が、時々寺石荘に押し掛けてくることがある。

 そういう類いの人物が訪れたなら、あの大家さんが黙って見逃すはずはないのだがと洪作は不思議に思っている。

 あの男だけは例外なのだろうか?

 不精髭に覆われたかさかさの唇から意味不明の宗教用語を繰り出し、一瞬たりとも銀縁眼鏡の奥からの視線を逸らさず、熱に浮かされたように語りかける姿に辟易したこともあるが、なにか実害があったわけではないから、大家さんにあの男を敷地内から追い出してくれと直接に訴えることはしていなかった。

 いつだったか、その男が洪作の部屋に半ば強引に上がり込んで本棚を見つけたのをきっかけに、思いがけず会話が弾んだこともあったのだ。

「雰囲気が怪しげだというだけで容疑者扱いしちゃ悪いよ」

「そうだけどね、ただ、あの人ならカギがかかってなかったら、勝手に部屋の中に入り込むぐらいのことはするような気がする」

「でも、あの人が原稿の隠し場所を知っているわけはないし、まして原稿を盗む理由も全然ないしなあ・・・」

 そこまで言ったところで、洪作に忽然とある考えが浮かんだ。

「ちょっと待てよ。まさか、君・・・」

 ニヤリと笑ってから、洪作は哲也の顏に向けてひとさし指を突き出し、

「犯人は、君ってことはないだろうな。

 君は自分の小説に対して自信があるようなことを言ってたけど、本当は全く正反対な気持ちなんじゃないか?

 選考の結果が分かるまでお互いに見せ合うことは止めるということにしてるけど、その後でも見せる気にはならなかった。

 そもそも応募する気にもなれないほど、自分の作品に絶望していたとしたら?

 一次選考で落ちるのはプライドが許さない。

 だから、応募する直前になって盗まれたことにしてしまえば、君の作品が他人に読まれることはなくなるだろうと考えたんだよ。

 それで盗まれたふりをして大騒ぎした。

 つまり狂言というわけさ」

「冗談じゃない!」と、哲也は目を大きく見開いて大声を張り上げた。

「オレがそんなことをするもんか!

 あの作品には本当に自信がある。

 傑作なんだよ。

 盗まれて心底から困ってるんだ。

 もし、おまえの言うことが正しければ、原稿の隠し場所を誰にも教えていないなんて言わないよ。

 原稿の隠し場所を誰も知るはずがないということで、話がややこしくなってるんだから。

 それよりか、誰の目にもつく場所に置いておいたと言った方が、盗まれたことに対する説明はつきやすいじゃないか」

「それも、そうだね。

 いやあ、悪い悪い。

 今、急に思い付いたもんで、深く考えもせずに、つい口に出してしまったんだ。

 許してくれ」

 ここで議論は完全に行き詰った。

 これ以上話し合っても、謎を解くための突破口が見付かるとは思えかった。

 それから二人はしばらく雑談を交わして、洪作は自室に戻った。

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