第9話 銭湯

 コンビニ弁当で夕食を済ませ、その後ボケっとテレビを観ていたら十時前になっていたので、洪作はよっこらせと大儀そうに立ち上がり、自転車で銭湯へ出かけた。

 洪作が行きつけの銭湯は渡月橋を西から東に渡り、少し南に下った入り組んだ町並みにひっそりと建っていた。

 洪作はいつも暖簾をくぐって中に入るたびに、およそ二か月前の四月中旬の出来事を思い出す。

 そのとき、洪作は番台に小銭を置こうとして、そのまま差し伸ばした右手が固まってしまった。

「あ、綾葉さん!」

 番台の奥に鎮座していたのは、まさしくミステリー研究会の先輩である二回生の石崎綾葉だった。

「あら、こんばんは、洪作くん。

 ウチの銭湯、使ってはったんやね」

 綾葉とは、あの日ひやしあめを買うためのお金を渡して以来、二週間の月日が流れていて、ミス研で顔を合わせれば親しく口を利く間柄にはなっていたのだが、このとき初めて、実家が嵐山の銭湯であり、たまに父親の代わりに番台を任されていることを知ったのだった。

 綾葉は普段通り、屈託のない笑顔をみせている。

 同年代の顔を見知った男性が利用することへの気まずさは一切感じていないようだった。

 だが、洪作の方はそうはいかない。

 洪作の頭に浮かんだのは、やはり裸を見られてしまうことへの羞恥だった。

 用事を思い出したとかいって、いっそのこと帰ってしまおうか。

 一度はそうは考えたが、それも自意識過剰に思えた。

 それに、あの人は自分の体に自信がないのかしら、なんて勘ぐられるのもイヤだしなあ。

 意を決して、洪作はなるべく平然とした動作を心掛けながら脱衣場に向かい、とはいえ、浴槽に近い最奥の場所で、番台に背中を向けてこそこそと服を脱いだものだった。

 だが、今日は番台に綾葉の姿はなかった。

 ほっとしたようなガッカリしたような複雑な気持ちで着替えを済ませた洪作は、浴室に向かった。

 洪作は京都に来てから銭湯が大好きになった。

 開放的な浴室や大きな湯舟、それに浴室内で交わされる京都弁の会話を楽しんだ。

 それに湯舟につかりながら思考を集中させていると、ふっと妙案が浮かぶことがあるのだ。

 このときも、さきほどの哲也との議論を思い出していると、いくらかの時間を経ていたためか、驚くほど思考が円滑に進んだ。

 洪作はその思考の結果に満足し、風呂から上がった。

 自室に戻ったときには十一時を少し過ぎていた。

 今日はもう遅いから明日にするかな。

 洪作はほぼ一年中敷きっぱなしの布団にもぐりこみ、そしてぐっすりと眠った。


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