第7話 ディスカッション③

「その泥棒様のことなんだけどね、玄関前の庭に植えてある大きなスギの樹の陰に隠れていたとかなら、君が部屋を外に出ていくことは確認できる。

 だけど、僕が留守であるかどうかを確認することは難しいと思うんだ。

 犯人は朝っぱらから見張っていたとは思えないから、僕が昼前に出掛けたことは知らないだろうな。

 玄関をそっと開けて靴があるかを調べたとしても、僕は何足か土間に置いているから、僕が部屋にいるかいないかは確認できない」

「家に入って確認したんじゃないのか?

 俺が出掛けたのを見計らって、そっと玄関を開け中に入る。

 そして、おまえが部屋にいるかどうか耳を済まして、音が聞こえないのを確認してから、俺の部屋に入った」

「でも、僕が静かに読書中かもしれないし、眠っているかもしれない。

 その方法では、僕がいないことを確認するのは難しいよ。

 犯人としてみれば、もし犯人が立てる物音に僕が気づきでもしたら非常にまずいわけだから、僕がいないことを確実に確かめる方法がいる」

「ふむ。それで?」

「そのために、犯人は僕の部屋をノックしただろうね。

 僕が今まで、この話をしてきたのは、実にこの点が重要だと思うからなんだよ。

 僕の部屋をノックして反応がなければ盗みに入れる。

 だけど、ノックに反応して僕が出てくれば?

 犯人は自分がここにいる理由を、つまり言い訳を僕にしただろうね。

 で、言い訳をして僕に怪しまれないためには、少なくとも犯人と君に何らかの関係があることが必要だ。

 そうだろう? 要するに、犯人は全くの他人じゃなくて、君の部屋を訪れることが不自然ではないほどの知り合いだということになるんだよ。

 このことは、君が部屋にカギをかけないことを知っていたからには、犯人は何回かこの部屋を訪れたことがあるに違いないという点とも符合する」

「なるほど。そうかもしれない。

 でも、そのことが事実だとしても、それだけじゃ真相に向かって大きく前進したとは言えないな。

 それに、犯人が知り合いだってことは、原稿だけを盗んだことからも想像はつくし」

「まあ、確かにね。

 じゃあ、今度は動機から犯人を考えてみる?

 盗まれたのは原稿だけ。

 なぜ原稿だけを盗んだのか。

 盗みそうな人物に心当たりはあるかい?」

「心当たりねえ」と言って、哲也はしばらく思案するような目で洪作をじっと見つめていたが、

「あることはある。井戸田さんだよ。おまえもご存じの通り、俺は慣れない長編を書くにあたって、井戸田さんに色々と相談した。

 プロットの細かな部分まで喋った。

 ここを訪ねてきたこともある」

 井戸田俊彦は洪作と哲也の基礎演習の担任で、刑事訴訟法が専門の法学部教授である。

 基礎演習が初対面だった井戸田教授だったが、四月の初めのころから洪作の名前をいち早く覚えてくれていた。

 後から聞いた話では、井戸田は他人の顔や名前を覚えることが大の苦手との評判だったので、これは本当に珍しいことといえた。

 ましてや、昔からクラスの中で目立った存在でもなく、基礎演習のクラスでも特に印象に残るような言動をしたわけでもないというのに。

 哲也もそうだったらしい。

 そんな些細なことで洪作は井戸田教授に対して好感を抱いていたのだが、やがて雑談の中で井戸田が推理小説のファンであることを知り、ますますこの教授が好きになった。

 洪作と哲也は井戸田に自分たちも推理小説が好きなことを表明した。

 二人は井戸田とも推理小説談義を交わすようになり、書きかけの作品の批評をしてもらったりもしていた。

 哲也は初めての長編を執筆するに際して井戸田に助言を求めていたのだ。

「だからって、なんで井戸田さんが原稿を盗んじゃうの?」

「さあ、そこだよ。

 考えられるのは、井戸田さんが俺に嫉妬したということかな。

 オレのプロットを聞いているうちに、その素晴らしいアイディアを元に自分で小説を書いて、賞に応募しようと目論んだのかもしれないな」

「ということは、盗みたくなるほど魅力的なネタなのかい?」

「もちろんだよ、受賞間違いなしというところかな」と、誇らしげに即答した。

 いかにも哲也らしい発言に、洪作は少し顏を綻ばせながら、

「なるほど。君のネタがうらやましくなって、ついつい盗んでしまったと。

 でも、そんなことをして例え受賞できても、自分の実力がないと作家としては続けていけないだろ。

 一時的に名を売っても意味がないと思うけどな」

「別に井戸田さんは作家としてやっていく必要はないよ。

 教授という、れっきとした職業があるんだから。

 ただ一回でも受賞の快感を味わいたかったのかもしれない」

「そんなことってあるのかなあ。

 もし盗作の事実を知ったら、君は大騒ぎするだろう。

 そしたら、井戸田さんは困るんじゃないかなあ」

「そんなことはないよ。

 盗作されていることを証明するための原稿が処分されてしまえば、オレはどうすることもできんからね」

「そこまで、えげつないことを井戸田さんがやるとは思えないけどなあ。

 やっぱり動機からでは何とも判断できないな。

 井戸田さんにも隠し場所を教えてないんだろ」

「もちろん、教えていない。

 そうだな、動機だけでは難しいな。

 まあ、ただ単に怪しいというヤツなら他にも心あたりがあるが。

 ほら、あの何とかっていう新興宗教の勧誘員だよ」

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