第5話 ディスカッション①

「とにかく、君の原稿を盗んだ犯人を見付けるしかないよ。

 盗まれたときの状況を詳しく話してくれよ。

 それで二人で検討してみようじゃないか」

 そう洪作が声を掛けると、それまで頭を抱えていた哲也は気を取り直したように顔を上げ、自分自身を励ますようにひとつ頷いた。

 そして、じっくり腰を据えて話しをするときにいつも哲也がそうするように、あぐらを組んでから語り始めた。

 その表情も口調も、すっかり落ち着きを取り戻していた。

「原稿が盗まれたのは、オレがMGに買い物に出かけてから戻ってくるまでに部屋を開けていたほんの十分の間であることは間違いないよ。

 昨日寝るときにあったことは確認しているし、今日は一日中この部屋にいた。

 外に出たのは、さっきMGに出掛けたときだけだからね。

 ああ、そうそう、一度美奈ちゃんから電話があって台所に出たけど、それは五分くらいのことだし、そのときは台所にいたんだから、誰かが侵人すれば絶対に分かる。でも、誰かが入ってきたことがないのは確かだよ」

 この寺石荘の各部屋には電話が引かれてなく、台所にピンク電話が一台置かれているだけである。

「なるほど。それなら、その空白の十分間に盗まれたことは間違いないな。

 部屋の引き戸のカギはかけていなかったんでしょ」

「ああ、ちょっとだけ外に出るときは、いつもカギなんかしない」

「わざわざ原稿を隠すくらいなら、用心してカギをかければよかったのに」

「そりゃあ、まさか本当に原稿が盗まれるなんてことが起こるとは思わないもんな。

 とはいえ、苦心して書き上げた原稿だけに神経質になっちまってね。

 余計なことまで考えてしまう。

 見付かりそうもない場所に隠しておくことで心理的に安心できたんだよ。

 気持ちの問題だったんだろうね。

 でも、まさか本当に盗まれるなんて考えもしなかった。

 だから原稿そのものをカムフラージュするとかそういう気にはならなかったよ。

 原稿の一枚目には、『○賞応募用、梅崎哲也作、〈台風御殿殺人事件〉』と大書してあったしね。

 犯人はすぐに、これはオレが書いた推理小説の原稿だなと分かっただろうね」

「君がMGから帰ったときの部屋の状況は、さっき僕が覗いたときのままだったのかな?」

「そうだよ。

 オレが帰ってきたとき、部屋の中が荒らされた形跡はなかったし、押し入れにあった布団なんかをいじった形跡もなかった。

 だけど、押し入れの偶に積み重ねておいた五つの段ボールだけが、押し入れの外に放り出されていたんだ。

 その他の場所に積んであった段ボールは、そのままだったよ。

 段ボールには全部ガムテープを貼っているんだが、それが剝がされた形跡もない。ということは、段ボールの中身を物色された形跡もないんだよ。

 そして、今一通り調べたけど、盗まれたのは原稿だけだった。

 誰も原稿の隠し場所を知るはずもないのに、あの段ボールの箱以外には部屋の中のものが物色された形跡はないんだよ」

「本当に部屋の中が荒らされた形跡はないのかい?

 動かされたのは、あの五つの段ボールだけなのかい?」

「ああ、間違いない。

 それは確信をもって言える。

 洪作の部屋みたいに乱雑だったら少しぐらい掻き回しても分からんだろうが、オレの部屋のものはすべて整頓されていて、どこに何が置かれているかは決まっている。

 もし誰かが少しでも部屋のものをいじったら、その跡が残って、すぐに気付くはずだよ。

 きれいに整頓されている他人の部屋を物色して、なおかつ、いじったものをオレが気付かないくらい完全に元に戻すなんてことは、なかなかできるもんじゃないと思うね。

 それに、もし部屋の中を荒らした後に元に戻しておくんだったら、段ボールの箱だって元に戻しておくはずだよ。

 なのに、段ボールの箱が元に戻されていないということは、犯人には物色したものを元に戻す意思がなかったということだ。

 とすれば、元に戻されていないものが、すなわち物色されたものということになる。

 つまり、元に戻されていない段ボールの箱だけが物色されたのであって、その他の部屋の物は荒らされていないということになる。

 ということは、犯人は段ボールの箱の下に原稿があることを知っていたということになるんだけど、でも誰にも隠し場所を教えてないんだよ。

 これは明らかな矛盾だよな。

 もし部屋の中のものを色々と物色して、最後にあの隠し場所を見つけたというのなら分かるんだけど。

 段ボールの箱以外にも、部屋の中のものを物色したという説明がつくには…

 そうだ、これならどうだ。

 犯人は他の物も物色して、それらは元に戻しておいたんだけど、俺が帰ってきてしまったんで、段ボールの箱だけは元に戻す時間がなかった。

 そういう可能性もあるわけだな」

「いや、それはないんじゃないかと思うな。

 哲也、君はMGから帰ってくるとき、大声で歌なんか歌いながら帰ってきたりしたの?」

「歌だって?

 いいや、観たいテレビ番組があったんで、無言で小走りで帰ってきたよ」

「そうか、そういうことならば、もし犯人が部屋の中にいて、君が帰ってくるのに気づくとしたなら、玄関のガラス戸が開く音を聞いたというのが妥当なところだろうね。

 この部屋の窓は庭には面していないから。

 つまり、ガラス戸が開かれたときには、当然ながらすでに君は玄関にたどりついているのだから、もし犯人が部屋から慌てて逃げたとしても、ちょうど玄関を開けた君と鉢合わせになったはずだよ。

 見ての通り、この部屋は玄関から入って、すぐ右手にあるんだからね。

 でも、君は鉢合わせなかったんだろう?

 ということは、君が帰ってきたんで慌てて逃げたという今の説は成り立たない」

「なるほど、うーん、いや、でもさ、俺が玄関に立ったとき、ちょうど犯人は部屋から廊下に出てきたところだったとしたら?

 つまりさ、玄関が開く少し前に、オレの足音を聞いて慌てて廊下に飛び出したとしたらどうだろう?

 それならば、まあ微妙なタイミングではあるけれど、俺が数秒後に玄関を開けたときには、犯人は廊下からどこかに、たとえば玄関からは死角になる台所の奥に隠れることができるかもしれないぞ。

 いや、それはないな」

「そうだね、だってなんだからね。

 そして、玄関からまっすぐに廊下が伸びている。

 もし犯人が廊下に出てきたところだったら、ガラス戸を通して、君は人影を見ることができるわけだからね」

「そうなんだよ、でも、人影なんか見なかったからな」

「そういうわけだから、犯人は他の物は元に戻しておいたんだけど、君が帰ってきてしまい、犯人は慌てて逃げたために、あの段ボールの箱だけは元に戻す時間がなかった、という考えは成立しないんだよ」

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