常備菜なワタシ

西野ゆう

アーティチョークのオイル漬け

 駅前にある料理教室。週に一回通って今日が十回目だ。

「料理教室ってね、穴場だよ。独り者のオイシイ頃合いのオトコが居るから。それも『自炊しよう』って真面目なね」

 同じ住宅地で生まれ、大学まで同じだった幼馴染が、三十を過ぎて独り身のワタシに勧めた料理教室。

 SNSに載せる使い道しかない料理を学んできたが「オイシイ頃合いのオトコ」はまだ見ない。

「今日はアーティチョークのオイル漬けを作ってみましょう。輸入食材店なんかでは必ず見かける定番の常備菜です。食べたことのある方はいらっしゃいますか?」

「はーい、王子」

 クスクスと下品とまではいかないが、性根のさもしさがチラつく。そんなおば様方から三十五歳独身の講師は「常備菜王子」と呼ばれ、チヤホヤされている。アシンメトリーで長めの前髪を掻き上げ、赤一色の前髪クリップで髪を留める当の本人も満更ではない様子なのが私の体温を下げる。

 同棲していた彼に「おまえ、常備菜みたいだよな」と言われたことをきっかけに軽い口論になった。思えばあの彼の発言から彼の深部に「オンナはオトコの所有物」という考えがあるのを発見してしまったのだろう。

 そんな過去の傷が「常備菜王子」の評価を下げる一因になっているのは申し訳ないと思わなくもない。

「ふう」

 色々不純な自分に思わず嘆息する。

「常備菜、作り置きしない派なんですか?」

 不意に隣から声をかけられ、手にしたメモとボールペンの両方を落とした。

「あ、ごめんなさい」

 声をかけた側も、かけられた側も同時に謝罪して床に落ちたものを拾おうとした。

「あ、ごめんなさい」

「カルタなら私のものになっていましたね」

 重なった手は、声をかけてきたオトコのものが下になっていた。お互い見合って苦笑している。三秒もすると少なくとも私からは苦味が抜け、ただの笑顔になった。

 おかしな事に彼の考えていことが手に取るように伝わってきたのだ。いや、実際に手は取っていたのだけれども。

「今どきのドラマじゃ、これで恋なんか始まらないですよね」

 ワタシが言うと、彼の顔からも苦味が消えた。

「同じこと考えてました」

 知ってた。ワタシを見る目、視線を外しての自嘲、不意に近づいてしまった顔にも動じない「オンナ慣れ」した年齢。そんな彼をワタシは一瞬「オイシイ頃合いかな?」なんて目で観察してしまった。

 その目に気付かれたのか気付かれていないのか、彼がワタシに一歩踏み込んだ。中々の速攻だ。

「常備菜、得意じゃない、いや、お嫌いなんですか?」

 彼は素早く作る方ではなく、食べる方へと疑問をシフトした。彼の質問を聞いたワタシの一瞬の表情の変化を読まれたか。これはもしかしたら同業者かもしれないな、などと考えていたら、これまた速攻で返された。

「もしかして、警察官。うん、刑事さんですか?」

 彼は柔らかい視線のまま言い切った。頭に「失礼ですが」とも「違っていたらすみません」とも付けずに。

「ええ、そうです。もしかしたら貴方も、って思っていましたけど、今の質問の仕方は検事さんですかね? それも、常備菜が好きな」

 ワタシの「推理」を聞いた彼は破顔した。

「いやあ、正解です。検事だと当てられたのは分かりますが、よく常備菜が好きだと気付かれましたね」

 一般的な感覚では、その推測の難易度は逆だろうと思いつつ、ワタシがその推測に至った理由を答えた。

「だって最初の顔が、自分の好きなトランプの遊びをせがむ弟みたいで。常備菜の素晴らしさを語り出しそうな気配でした」

 彼はワタシへのファーストコンタクトを思い返したのか、頭を掻いて片目を瞑っている。

「安心、したいんですよね。いつもある安心感」

 ワタシは今、目の前の彼をオトコとして見ている。オンナとは違う生き物のオトコとして。恋愛の対象としてではなく。

「もしかして、常備菜みたいな奥さんがいたら安心できるのに、なんて考えていたりします?」

 彼の表情を読んでそう尋ねたわけではない。過去のワタシが勝手に出しゃばっただけだ。

「常備菜みたいな妻、ですか。ううん、それはちょっと検事としても、個人としても有り得ない考えですね」

「え? なぜですか?」

「常備菜には人権がない」

 真面目な顔で言い切った彼に、ワタシは声を出して笑ってしまった。

「あのお! 説明聞こえてます?」

 王子の声に、取り巻きのおば様方の視線まで集めてしまった。

「申し訳ない。私も前髪をピンで留めるか、と言ったら彼女に『王子だから許される』と笑われて」

 それを聞いた王子はこれまた満更でもないようにピンを人差し指で弾き、おば様方も「そうよ、王子だから」と口々に王子を持ち上げている。

「嘘の証言ですね。でも、ありがとうございます」

「お返しに今日作った常備菜、後日一緒に味わう、なんてどうです?」

「いつもある安心を?」

「ええ、それを分かち合うのは良いもんですよ」

 嘘の証言をされた時から、ワタシの「常備菜」の意味は変わったのかもしれない。

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常備菜なワタシ 西野ゆう @ukizm

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