第9話 最悪の目覚め

 ピピッ、ピピッ、ピピッ……


 小さい頃から使い続けてきた目覚まし時計の音がする。


 手を伸ばし、それを止める。

 

 今日は休日だ。


 二度寝でもしよう。


 そんな俺の考えを壊すかのように、日の光はカーテンの隙間から俺の瞼を貫通してくる。


 「あぁ、頭いてぇ……お腹も痛い。体だるぅ、これ、熱あるやつだ……」


 原因はわかっている。


 100%精神的なものだ。


 昨日は異世界で初めてのことがたくさん起こった。


 初めて奴隷というものを見た。


 初めて人の死体を見た。


 初めて、人を殺した……。


 気分が悪い。


 あの世界では悪者は殺しても罪に問われない。


 むしろ称賛されるくらいだ。


 異世界基準で考えると俺は正しい事をした。


 だが、これは正しいとか間違いとかじゃない。


 モンスターを殺すのも、悪魔を殺すのも、人を殺すのも全て気分が悪い。


 それが当たり前のように行われている残酷な世界を楽観的に描いていた俺はどうかしていたのか?


 その世界の負の面に目を向けず、描きたいことだけを好き放題書いていたのか。


 物語を作っている側からしたら些細な事でもその物語の中の1人からしたら人生を狂わせるような大事かもしれない。


 あの世界に行って初めてわかった。


 異世界に行きたいなんて何百回も思ってた事なのに、いざ行ってみると辛いことばかりだ。


 ん? 辛いことばかり?


 いや、楽しいことも嬉しいこともあった。


 大切な仲間ができた。


 そうだ、今更異世界に行きたくないなんて言っても無理なことだ。


 俺が強くならなければ龍雷達は死んでしまう。


 俺が作った設定だ。


 責任は俺にある。


 強くなってそんな設定ぶち壊してやる。


 昨日異世界で限界突破3%まで解放した。


 まだ使ったことはないが身体への負担は凄そうだ。


 「【聖女の加護】」


 俺がそう唱えるとフォンと言う音と共に俺にしか見えないボードのようなものが目の前に現れる。


 実は聖女様と話した時、一つの能力を授かっていた。


 自分のステータスやスキルの詳細を事細かに見ることができる能力だ。


 このボードを見る限り、


 限界突破2%は10分ほど、3%は10秒ほどしか使えない。


 【氣】の派生である【冷氣】というスキルも同時に得たのだがこれについては詳しく説明が書いていない。


 ⦅その氣はどこまでもどこまでも冷たくなれる⦆


 とのこと。


 魔力は相変わらずゼロだ。


 王立迷宮学園の入学試験まで残り5日ほど。


 それまでに魔法のようなものを使えるようになっていなければ入学試験は間違いなく落ちるだろう。


 やはり強くならなければ。


 これは偶然かどうか不明だが現実世界の高校入学と異世界の迷宮学園入学の日程が同じ日だ。


 迷宮学園は入学試験の次の日には入学式が挙げられる。


 そう、現実世界の高校入学まであと6日だ。


 それまでに体調も治さなければならない。


 俺は誰に頼るでもなく再び布団の中に入った。

 

 頭痛と腹痛、吐き気のせいで眠りにつくことができない。


 水を飲みたいが歩くことさえ相当辛い。


 汗でびしょ濡れ、蒸れて気持ちが悪い。


 だるい、辛い、痛い、気持ち悪い……


 熱がある時は、なぜか嫌なことばかり思い出してしまう。


 昨日どれだけの死体を見ただろうか……

  

 何人も何人も辛く、悲しい顔をしながら地面に転がっていた。


 その光景を目の前に怒りを抑えられなかった俺は犯人を……殺した……。


 なんで、こんな事思い出すんだよ……


 再び吐き気が俺を襲う。

  

 ここで吐いたらまずい。


 俺は震える足をなんとか動かしながらトイレへと駆け込む。


 「ぅお、おぇぇ……」


 吐けばスッキリするかとも思ったがそうでもない。


 何も変わらない。


 体調が悪い。


 身も心も辛い……


 トイレから出た俺は壁に沿って水を飲みに行く。


 「はぁ、はぁ、はぁ、ゴクッゴクッ! はぁ」


 口の中が気持ち悪い。


 酸っぱいような、苦いような、そんな味が口から喉を通って体の中へと循環していく。


 「ちょっと、大丈夫?」


 声が、する。


 姫野さんか……

  

 うつさないようにしないと……


 「だ、大丈夫……眠たいから部屋戻るね」


 そう言って姫野さんの横を通ろうとしたのだが、


 「ちょっと待って、大和、熱あるんじゃない? 顔色悪いよ? 声にも覇気がないし……」


 「い、いや、大丈夫……」


 熱って知られたら間違いなく迷惑を掛けてしまう。


 そう思っていると姫野さんはてくてくっと廊下の方へ走って行った。


 少しすると、戻ってきて、その手には何かを握っている。

 

 「はい、体温計」


 これ、熱って認めるしかなさそうだな。


 もう誤魔化すのは無理だと思い体温計を脇に刺す。


 「39.7℃!? ちょっと、起きてるだけで辛いでしょ!? とりあえず布団いこ? って思ったけど、大和の部屋2階だよね? 上まで行ける? 肩かそうか?」


 とても分かりやすく動揺している。


 俺だってそうだ。


 39.7℃の熱なんて出したことないのだから。


 「大丈夫だよ、1人で行ける」


 本当は辛いがこれ以上の迷惑はかけたくない。


 「また強がる、ほら、階段登る時押していってあげるから、いこ?」


 そう言った姫野さんは俺を部屋まで押したいってくれた。


 「ほら、布団かけてあげるから、寝てなさい」


 俺をベッドに寝かせた姫野さんはそう言って掛け布団をかけてくれた。


 「ありがと、姫野さん」


 「うん、ゆっくりと寝てなね。なんかあったら遠慮なんかしないでよんでね」


 「うん」


 「じゃあおやすみ」


 「おやすみ」


 姫野さんの声を聞いて、話して、触れて、少しだけ楽になった気がする。


 

 もう30分くらい経っただろうか。


 やはり眠りにつけない。


 瞼を閉じてみると、昨日の光景が頭の中に流れ込んでくる。


 昨日の出来事は一生忘れることができないだろう。


 辛くて悲しい……


 つい、涙が流れそうになる。


 その瞬間、部屋のドアがコンッコンッとなって姫野さんの声がした。


 「大和、起きてる? 部屋入ってもいいかな?」


 俺は瞳に溜まった涙を拭いて応える。


 「うん」


 ガチャっという音がして姫野さんが部屋に入ってくる。


 その手には何かを持っている。


 「おかゆ作ったから、食べる?」


 その言葉に俺は言葉を失った。


 3日前この家に来た時、部屋のあちらこちらにポテチやジュースのゴミが散らかっていて、料理をした痕跡も一つもなかった。


 そんな姫野さんが料理を作ってくれた。


 「うれしい」


 「そ、そんな事言ったって、別に、美味しく作れなかったし、その、はい、スマホで見たレシピ通りに作っただけだから!」


 それでも嬉しい。


 俺のためにわざわざ料理をしようとしてくれたことが。


 おかゆは小さな鍋のようなものに入っている。


 蓋を開けると、ぶわっと湯気が出てきてそれと同時に卵の香りが微かにする。


 「いただきます」


 れんげで一口にも満たないであろう量を掬い、口の中に入れる。


 「美味しい」

  

 「美味しくなんかない! 味見した時、少し塩辛かったし、味薄いし……」


 確かに少し塩辛いし味は薄いかもしれない。でも、それ以上に……


 「いや、美味しい。それに、俺のために苦手な料理をしてくれたことが嬉しくて、ありがと!」


 「べ、別に、大和のため、とかじゃ、ないし」


 「それでもありがとう」


 俺がそう言うと、姫野さんは体の向きをこちらに向け、話を聞く姿勢をとる。


 どうしたんだろうと見つめていると、姫野さんが口を開いた。


 「何かあった? 大和、なんか熱以外にも辛そうな感じがするって言うか、なんて言うんだろう、言葉にするの難しいけど、なんか辛そう」


 そこまで分かっちゃうのか。


 ここで話してしまったら楽になるかな?


 そう考えたが、姫野さんに突き放されるかもと考えた瞬間背中が凍りつくような気がした。


 でも、一つだけ聞きたいことがある。


 「えっと、一つ質問していい?」


 「うん」

 

 「例えば、罪人を殺しても罪に問われない国があったとする。その国では命の安全が保証されていなくて、罪人は何人もの人を殺した。ある男は怒りに任せてその罪人を殺してしまう。姫野さんはその男のことをどう思う?」


 自分でも変な質問をしていることは知っている。


 何も知らない状態でこんなことを聞かれたら間違いなく引くだろう。


 それでも聞きたい。


 「私は、人を殺すのはいけないことだと思う」


 や、やっぱりそうだよな。


 もしかしたら、肯定してもらえるかと思ったけど、辛いな……


 「だからこそ、その男の人は良いことをしたと思う」


 姫野さんの言葉に驚く。


 「えっ? 人殺すのがダメなのに、なんでその男の人は良いことをしたと?」


 「だってその男の人がいなかったら何人もの人を殺した罪人はもっと多くの人を殺す可能性が高いし、結果的には多くの人が救われたんじゃないかな? 罪人を殺す以外にも手はあったかもしれないけど、状況が状況なら、大切な人を守るためとか、多くの人を守るためにその罪人を殺したとしても私は責める事はしないかな。それで、なんでそんな質問してきたのー?」


 「いや、別に、気になった、だけ……」


 あれ、なんか、涙が出てきた……


 まだ完全に罪悪感が無くなったわけじゃないが、すごく心が楽になった。


 「ふふっ、なんで泣くのよ、なんか元気出たみたいだし、器洗ってくるね、何かあったら呼んで」


 優しく微笑むその笑顔に、心がギュッと持ってかれた。


 あぁ、好きだ。


 姫野さんが好きだ。


 最初は一目惚れだった。


 でも、それだけじゃない。


 なにか、包み込んでくれるような、優しさ。


 一緒にいて落ち着く。


 「姫野さん……」


 気がついたら、器を持って部屋を去ろうとしている姫野さんを呼び止めていた。


 「ん? どうした、大和?」


 「あ、ごめっ、なんでもない」


 「そう? おやすみね」


 「うん、おやすみ」


 その後俺はさっきまでの悪夢が嘘みたいにすうっと眠りにつくことができた。

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