Side:氷川ゆいな視点 時代の変化点
※ 氷川ゆいな視点
慌ただしい中で行われた関係各所を繋いだビデオ会議が終わり、社長室の中で今後のことを考えていると、みぞおちに鈍い痛みが走った。
「渚さん、申し訳ありませんが、胃薬をもらえますでしょうか?」
「すぐにご用意します。顔色も悪いようですが、少し仮眠を取られたらどうです?」
「まだ、予定が詰まっているはずです。ちゃんとこなします。ただでさえ、エーリカ様の保護の件で三郎様と葵様にご迷惑をおかけしているのです。早急に各種の問題に対し対処せねばなりません」
「ご無理をなさらないように。スタッフも全力でゆいな様をお支えしますので、任せられるところは任せてください。ただでさえ、ゆいな様の業務が過多になっております。適度に休息をお取ください」
「ありがとうございます。渚さん。でも、これは自分で選んだことですので」
渚さんは、心配そうな表情を改めずにいるけれど、それ以上口を開くことはなく、胃薬と水を机の上に持ってきてくれた。
差し出された胃薬と水を飲む。
胃薬の効き目があるかどうかは分からないが、やることが山積しているので、仕事に戻ることにした。
「とりあえず、魔素濃度の件の正式報告を頼みます」
自分から仕事の再開を口にしたことで、渚さんも休息の提案を諦めたらしく、ため息を吐きながら、タブレット端末の操作を始めた。
「こちらが観測班からの正式な報告書です」
タブレット端末には、計測データがグラフ化されており、急激な上昇を示したのは、三郎様が魔物の存在を警告したところだ。
グラフを見つつ、報告内容を読み進めていく。
報告書を書いた研究者の推論によれば、魔素の急激な上昇は、ダンジョン自体が意思をもっているか、意思を持った管理者がダンジョン内にいて、魔物たちを運用しているのではないかとのことだ。
佐藤三郎という強力な力を持った探索者の存在をダンジョン内で確認したことで、即座に排除するべく強力な魔物を続々と転移させ、けしかけた。
エンシェントドラゴンの時も、クリスタルゴーレムの時も、実験の時も三郎様の力に対し、防衛反応を示したということらしい。
クリスタルゴーレムを倒したあと、スライムが気になって配信外でダンジョンに入っていった時ももしかしたら、強力な魔物をぶつけられた可能性はあるかも。
三郎様の認識では雑魚魔物かもしれないけれど、十分に強力な魔物だったかもしれない。
ダンジョン自体に意思があるのか、管理者がいるのかは分かりませんが……。
ダンジョンは、探索者の実力に応じた魔物をぶつけてくるみたい。
実力のない自分たちは、ダンジョンから舐められていたということになるんでしょうね。
もしかしたら、わたくしたちが必死になって成し遂げたダンジョン封鎖作戦も、ダンジョン側の意思に踊らされた結果かも。
報告書を読み終わると、それまでのダンジョンに対するイメージが一変し、何らかの意図があってダンジョンがこの世界に作られたのではと感じられた。
「渚さん。この報告書を読んでどう思ったか、率直な意見を頂けますか?」
「ありえないと笑い飛ばしたいですが、笑い飛ばせない事象が頻発したので、今では素直にその研究者の意見に賛同してます」
もともとニュージェネレーションとして、特性を授けられ、わたくしと同じくダンジョン封鎖作戦にも参加していた渚さんも、報告書にはショックを受けているようだった。
けれど、内容をしっかりと受け止めて動揺した様子は見せていない。
「では、この報告書を政府や自衛軍はどう見ますかね?」
「現場を知ってる方は、探索者と同じ考えに傾くでしょうし、現場を知らない方は一笑に付すかと」
「二分されると?」
「はい、絶対に分かれます。きっと、うちからこの報告書を受け取って、政府も自衛軍も紛糾してるかと」
「ディザスタースライムの出現により、社長権限によってコードレッドと緊急避難警報と自衛軍出動宣言を出した会議の席上、三郎様の録画映像を提供させてもらったが、反応は様々でしたからね。渚さんの言う通りかもしれません」
冷静に見ていた人、喚いていた人、訝し気に見ていた人、実に様々な表情をしていた。
現場を知らなければ、妄想だと一笑に付されてもおかしくない。
が、渚さんの言う通り、現場を知ってる人からしたら、脅威でしかない。
意思を持っていて、向こう側がこちらを滅ぼそうと考えた時、また魔物の大量発生が起きる可能性があるからだ。
それこそ、これまでの魔物の強さを凌駕する強力な魔物を要した第二次の魔物戦争が勃発するかもしれないと推察できる。
「この報告書は、三郎様の動画とともに各国の探索者協会にも送付してますが、そちらでも紛糾しそうですね」
「ええ、だから休めるうちに休んだ方がよろしいと申しているのです。ただでさえ、精霊の存在とプラーナ式戦闘術の影響で各国の探索者協会がざわついていたところに、ダンジョンが意思を持っているか、管理者を擁しているかもしれないなんて報告書がくるのですし、問い合わせが激増するはずです。実際、問い合わせで通常業務ができない状態ですし」
父が会長を務める日本探索者協会は無関係を貫き通し、各国の探索者協会からの問い合わせは、ダンジョンスターズ社に集中している。
スタッフは問い合わせ応対に追われ、配信業務や探索依頼業務を休止せざる得ない状況だった。
「探索業務や配信ができない探索者たちには、ダンジョンの入口への警戒活動に参加してもらい、日当を我が社から支給するという連絡を徹底してください。近日中には政府からも支援金を引き出せるように動いてもらってます」
「各探索者には、Tチューブアプリを通して、そのようにメッセージを発信させてもらってますので、今のところは落ち着いています。ですが、配信休止と探索休止が長引けば不満が出てくると思います」
早急に収入源である配信を再開させてあげたいけれど、今のダンジョンに探索者を送り込むべきかの判断は慎重にしなければ、エンシェントドラゴン事件みたいなことが頻発する可能性だってある。
そうならないためには、探索者制度に関して大きな改革をせざるを得ない状況だった。
「渚さん、以前お願いしていた特性検査の改革案、探索者学校のカリキュラムの変更案、探索者ランクの変更案のたたき台となる物は上がってきてますか?」
「いちおう上がってますが、どれも変更や改革には大きな問題が伴うものばかりかと。ニュージェネレーションと呼ばれ、特性を得た者の定義を根底から崩すことになるわけですし」
「困難なのは分かっておりますが、三郎様ですら苦戦するディザスタースライムの存在がダンジョン内で確認された以上、今までの探索者たちの能力では死者が激増してしまいます。ダンジョンスターズ社は、探索者たちのための会社。わたくし自身も探索者でもありました。だから、探索者の人に死んでこいとは言えません」
「ゆいな様のお言葉も分かりますが……。過ぎた力は人に疑いを持たせるのですよ。それはゆいな様も理解していたはずです」
精霊の力を借りられるようになり、魔法の力やプラーナ式戦闘術で身体能力が劇的に引き上げられた探索者が増えれば、渚さんの言った通り、隔離されている探索者は魔物と同じように駆除の対象にされるかもしれない。
でも、このままダンジョンの探索を続けていくこともできるが、ダンジョン側の意思が今までと変わった時、探索者たちはなすすべなく倒されるしかない。
それを回避できる方法があるのなら、実施するのがダンジョンスターズ社の存在意義だと自分は思っている。
「状況が変わりました。これからの探索者は力を持たねばなりません。生き延びるためには、力がなければならないのです」
「……承知しました。こちらが上がってきている各種の改革案です」
渚さんが机の上のタブレット端末を操作して、これから改革するべき探索者制度のことをまとめた報告書を選び出してくれた。
報告書には、これらが実現すれば、特性検査を始め、探索者制度の根幹から激変するようなことが書き留められている。
自分自身、探索者は引退した身だが、この新制度が発足したら必ず認定を受けるつもりだ。
新制度は現役探索者、探索者学校に通う探索者候補生、特性検査を受けて特性持ちと認定された者、全てに影響を及ぼすことになる。
新制度が実施されれば、それによって大きく評価を減じる人も出れば、新たに高評価を得る人も出る。
自分だってSランク探索者だと言われ、もてはやされてきたが、新制度ではFランクにカテゴライズされるかもしれない。
そんな評価の激変が起きる可能性があるが、新制度移行を断行せねば、ダンジョンの気まぐれで殺されかねない状況だと、今回の事案でハッキリと意識させられた。
「困難ではありますが、わたくしは新制度移行のため、使える力を最大限使って断行します。それが、全ての探索者に対し、最善の方策だとおもいますので」
「それはゆいな様の心配のしすぎですよと声をかけられたら、どれだけ楽でしょうか……。でも、今の自分にその言葉を口に出す勇気はありません。なので、ゆいな様の行動をお支えするしかないと思っております」
「渚さんには、いろいろと迷惑をおかけすると思いますが、手伝ってもらえるなら心強いです」
「新制度の件は、こちらでも早急に動かせてもらいますが――。もう1つの問題はエーリカ様の件です」
渚さんが、もう一つの問題と言ったのは、三郎様の妹と名乗るエーリカ様の存在だ。
彼女は魔族と呼ばれる種族であり、人と違う部分があった。
額から小さな角が生えていたのだ。
見た目は人類と同じように見えるけれど、その角の存在が人類でないことを示していた。
彼女は三郎様をシュッテンバイン=リンネ=アルベドと呼び、彼の妹だと名乗り、別の次元から精霊の力を借りて跳んできたと話している。
最初は、虚言かと思っていたけれど、彼女は嘘を吐いている様子が見られない。
本当にそう思っているようにしか見えなかった。
三郎様もエーリカ様のことを便宜上の妹だと認めている。
「エーリカ様の件は……まかり間違うと、ダンジョンの管理者なのではという憶測を呼び込む危険性を孕んでますので、慎重に議論を進めなければなりません。次元を超えるなどということが本当にできるのかという問題も含んでおりますし」
「ゆいな様のおっしゃる通り、特に慎重に扱うべき事案です。その重要人物をあの三郎様に預けてよろしかったのでしょうか……。私には事件が起きる危惧しかありませんが」
「三郎様の保護下に入りたいというのは、エーリカ様ご本人の申し出だったので、こちらの都合を申し出ることができませんでした。いちおう、三郎様にもそれとなくご進言させてもらいましたので、事件になるようなことは、それと葵さ―――」
忙しくて、葵様にエーリカ様のことを伝え忘れていた!?
三郎様の保護者である葵様のお宅に、エーリカ様を連れて行くと言ってたのに、伝え忘れるとは……。
机の上の時計を見ると、時刻はすでに午後9時を過ぎている。
もう確実に何も知らされていない葵様が、エーリカ様と遭遇を果たしている時間だった。
慌てて自分のスマホを取り出すと、葵様から連続してメッセージが送られてきていた。
「やってしまいました。忙しかったとはいえ、葵様へのフォローを忘れてしまうとは……。三郎様のことですし、エーリカ様の件は何も知らない葵様には意味不明の話だったことが、メッセージの件数で推し量れます」
メッセージにはチーズケーキバーでは買収されないと、よく分からないことが書かれており、三郎様がきちんと事情を伝えてないことが察せられた。
「渚さん、忙しいところ申し訳ありませんが、葵様の口座へ直接エーリカ様の保護費を振り込んでおいてください。どうやら、三郎様が別のことに使い込んだらしいので。事情はわたくしの方から直接お電話で説明しておきます」
「承知しました。すぐに送金しておきますね」
渚さんがタブレット端末を手に取ると、送金の操作を素早く進める。
その間に、葵さんにメッセージを送り返し、既読のついたところで電話を入れて、事情の説明をすることになった。
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