第29話 便宜上の妹


 微笑みから一変、こめかみを俺の拳でグリグリされた魔王エーリカが、涙目で首を振る。



「ぐりぐりをやめい! 妾は人族どもに嫌われ、異世界追放刑を受けた兄様のことを思って、次元を超えた健気な妹じゃぞー!」



「べ・ん・ぎ・じょ・うの妹だ。歳はお前の方が何十倍も上だろう! 怒らないから、次元を超えた方法を教えろ!」



「もう、怒っておるのじゃ!」



 無言でぐりぐりのパワーを一段上げた。



 お飾りとはいえ、魔王だった幼女。



 これくらいでは死にはしない。



「あああぁ! 言うのじゃ! 言わせてくださいなのじゃ!」



 ぐりぐりを止めた。



 はぁはぁと荒い息をしているエーリカが、キッと目を吊り上げこちらを見上げた。



 その目を見ると、拳同士をぐりぐりするのをエーリカに見せてしまう。



「ひぐぅ! 言うのじゃ! 以前から兄様の背中に闇の精霊ネメシスを貼り付けておったのじゃ。その精霊の力を介して、こちらの世界につなぐ扉を開いたのじゃ!」



 俺の背中に闇の精霊ネメシスだと!?



 最上位の闇の精霊がいるだと!?



 振り返ってみるが、その姿は見えない。



「居ないぞ?」



「背中じゃ、背中」



 エーリカが透明なスライムの体表を鏡に変化させる。



 鏡を覗き込むと、俺の背中に小さくなったのっぺりと顔の表情が黒く塗りつぶされている闇の精霊ネメシスが張り付いていた。



 こんなところに! 全く気配すら感じさせずに張り付いてたとは! エーリカのやつ、いつの間にこんな仕込みを!



「なんでこんなことしたんだ!」



「ほら、兄様はいつもフラフラとどこかに行くじゃろ? ちゃんと、いつでも所在を確認できるようにしておかないと、妹としては不安なのじゃ。そのため闇の精霊ネメシスにお手伝いをしてもらっておるのじゃ。まさか、異世界まで飛ばされるとは思っておらんかったがのー」



「俺の背中に張り付いた闇の精霊ネメシスが、エーリカに所在地の情報を送ってたというわけか? 次元を超えてまで」



「そうじゃ。闇の精霊ネメシスが送った思念を受信した妾は、次元跳躍の儀式魔法を完成させ、異世界への扉を開き、こちらに来たのじゃが――」



 無駄に魔力だけは多いエーリカだし、普通何千人もの魔術師を要する儀式魔法を一人で完成させることはできるか……。



 だとしたら、もとの世界に帰ることもできるかもしれない。



 とりあえず、俺を飛ばした連中に文句は言わせてもらいたいので、是が非でも帰る道筋を確保せねばならん。



「扉を抜けたら、気を失ってのぅ。気づいたらダンジョンの中におったのじゃ」



「お前が通ってきた次元の扉はまだ残っているのか? どうなんだ!」



 エーリカが視線を逸らした。



「向こうの扉は、妾が飛んだ時点で閉じておる。下手に異世界を繋げっぱなししては、両方の世界が崩壊するし、面倒な追手を差し向けられかねん」



「なんということを……」



「よいではないか、兄様の家族である剣聖アルベドも、大魔術師リンネも亡くなっておるのじゃ。今さら向こうに帰っても仕方あるまい。それにこんなにカワイイ妹がきたのじゃぞ。喜ぶべきであろう」



 まぁ、エーリカの力を借りて、再び扉を開けるということもできるか。



 俺は闇の精霊にそこまで好かれてないから、次元を超える扉を開けるほどの力は貸してもらえないだろうしな。



 それよりも、今は魔物の件だ。



「扉の件は、まぁ、後でちゃんと聞かせてもらう。それとは別に聞かせてもらいたいが、さっきのディザスタースライムはお前の仕業か?」



 エーリカは首をフルフルと勢いよく振って否定した。



「この世界の魔物は、妾の言うことを聞かぬ。このスライムももとの世界から連れてきた相棒じゃからのう。ダンジョンの魔物は妾を敵と認識しておるのじゃ」



 エーリカの言葉を肯定するように、透明なスライムはプルプルと震えた。



「お前が召喚したというわけではないのか?」



「する意味がないのじゃ。妾は兄様に会いたかっただけじゃからのぅ」



 しかし、ディザスタースライムはあっちの世界と同じくらいの強さだった。



 明らかにこっちのダンジョンでうごめく魔物とは段違いの強さだ。



 誰か別の者がこっちの世界に跳んだということか……。



 目の前のエーリカは、嘘が言えるようなやつではないしな……。



 このダンジョンはどうなってやがるんだ。



 飛んでいる撮影どろーんに近づくように手招きする。



「まぁ、エーリカがそう言うならそういうことなんだろう。面倒なことの調査はひよっこに任せるとする。とりあえず、魔物の気配は消えたし、こいつは無害なことは俺が保証するぞ」



 透明なスライムから、摘まみ上げて取り出したエーリカを撮影どろーんの前に突き出した。



「いちおう、べ・ん・ぎ・じょ・うの俺の妹だ」



「勇者シュッテンバイン=リンネ=アルベドの妹、エーリカなのじゃ。よろしく頼む」



 とりあえず、魔物の気配は止んだことだし、いったんこいつのことを説明するため、入口に戻るとするか。



 エーリカがいれば、葵やひよっこも俺がPTSDで記憶の障害を引き起こしている人物でないと分かってくれるだろう。



 俺は佐藤三郎ではなく、シュッテンバイン=リンネ=アルベドなんだからな。

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