第21話 とんかつから目を離すな!


 エプロンを着けた葵が、スーパータカミで買った高級豚ヒレ肉をとんかつにするため、卵とパン粉が付いた肉を揚げ油の中に投入する。



 とんかつが投入された鍋の中で、油のはねる音が大きくなった。



 鍋の中で淡いゴールデンブラウン色に変化していく、とんかつから目が離せないでいる。



「サブローししょー。また、Tチューブのトレンドに上がってますよー」



「知らん。俺のせいではないだろう。俺はひよっこが教えて欲しいというからプラーナの使い方を教えてやっただけだ。あと、とんかつから目を離すな!」



 とんかつの揚げ時を全権を委任した葵が菜箸を置き、スマホを弄っていた。



 高級肉を使用したしたとんかつを揚げている最中に余所見とはっ! 葵には料理人としての矜持はないのか!



 余所見をしている葵にとんかつを任せられないと判断した俺は、置かれた菜箸に手を伸ばす。



 その手は、葵によって叩かれた。



「とんかつは見てるから安心していいっすよ。それにしても、精霊の力を借りた魔法配信と、プラーナ式戦闘術の配信の再生数がエグいっす……」



 見ているだと! 視線はすまほに集中しているのに見れるわけがないだろう! 適当なことを言って、揚げ時を逃し、とんかつを黒焦げにして失敗させたらどうするんだっ!



 今一度、葵がキッチンの上に置いた菜箸に手を伸ばす。



 すまほに視線が行っている葵によって、再び俺の手は叩かれた。



 すでに衣は揚げ時に近い色で、泡も出る量が減っている。



「物好きが多いな。精霊なんぞ、そこらへんに腐るほど転がってる存在だろう。あと、とんかつちゃんと見ろ!」



「見てるっすよ。ちゃんと」



「見てないだろっ! すまほを置け! 菜箸を取れ!」



「あーはいはい、これだから素人は――。ちゃんと揚げ時は音で教えてくれるっすから安心してていいっすよ」



 すまほから俺の方に視線を向けた葵の表情は、『めんどうくさい素人意見には聞く耳を持たない』と言っているように見えた。



 葵の肩に乗っているサラマンダーが、こちらととんかつを交互に見てニヤニヤと笑っている。



 やつめ! 唐揚げだけでなく、とんかつまで狙ってやがる!



「葵! そのサラマンダーには、とんかつをやるなよ! 物質を食わせると本当に面倒なことになるからな!」



「はいはい、りょーかいっす。サラちゃんはダメっすよー」



 サラマンダーがイヤイヤと首を振って、葵の手に尻尾を絡ませぶら下がる。



「でも、サブローししょーがかけてくれた魔法で、精霊さんたちの姿は見えるようになったけど、サラちゃんみたいな人懐っこい子は少ないっすね。みんな、チラ見だけなんでちょっと寂しいっす」



「精霊も興味を持たないやつには冷たいからなー。気に入ったやつには擦り寄ってくるけど」



 だが、そいつは人懐っこいじゃなくて、厚かましいだな。



 相当、葵のことが気に入ってるらしいが、物質の飯は食わせたらいかん。



 実体を持てば、精霊の力はさらに強くなるし、実体で魔物を倒し、それを取り込んだらそれこそ手の付けられない魔霊ができあがる。



 もといた世界でも、気に入られた精霊に物を食わせた馬鹿野郎がたくさんいた。



 そいつらの末路が、魔霊化した精霊によって精神を崩壊させられ、廃人だ。



 だから精霊と仲良くしすぎるのは危険なのだ。



 適度な距離感と、敬意、たまに威圧が必要になる。



 本当に危険なんだが、葵は俺の言うことを真面目に聞かないからなぁ……。



 今のところは、まだ実体化の前兆は出てないから放置しててもいいが。



 そんな話をしているうちに、とんかつから出る泡の量がかなり少なくなってきた。



 葵がやっとすまほを置き、菜箸を手に取ると、鍋の中にあったとんかつを油切り網に取り上げた。



 ふぅ、無事とんかつは揚がったようだ……。



 油が切れるのが待ち遠しい。



 葵は、菜箸から包丁に変え、キャベツを切り始める。



「そうそう、それで気になってたワードがあるんすけど。サブローししょーの背中とか、黒いヤンデレとかなんの話っすか?」



「俺の背中? 何の話だ?」



「トレンドワードに――」



 俺の方を向いた葵の顔色が、突然蒼白に染まる。



 そして、ガクガクと震え始め、包丁を取り落とすと、俺から目を逸らした。



「あ、ああ……。いえ、何にもいないっす! あたしは何も見てないっす! 殺さないでください! サラちゃん助けてっ!」



 葵が腕にぶら下がっていたサラマンダーを抱え、目を合わせようとせずこちらに向かって押し付けてくる。



「変なやつだな。それよりか、とんかつだ! とんかつ! 肉を食わせろ!」



「うぅ、サブローししょーの背中怖い……」



 しばらく葵がぶるぶる震えていたことで、とんかつが多少冷めてしまったが、それでも高級肉で作ったとんかつは最高にうまかった。

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