4/5 孤立する人魚
体の研究は食べ物以外でも続けられた。
進展があったわけではなく、誓約書の数が増えるだけの結果に終わってしまった。
移動マシンや部屋の使用も、わざわざ誓約書にサインを事前にしなきゃいけないなんて、実に面倒くさい。
長時間の束縛の上、やっと友博の元に戻れた。
「ただいまぁ……」
体が重い。マシンから降りると、重力に負けて床にアゴをつけてしまった。
「おおっ、おかえりイオ!」
ベッドに横たわったまま、友博は返事をした。グラスを片手に壁にかけられたテレビ番組を見ている。
「随分楽しそうだな」
自分とは対照的にくつろいでいる姿が、ちょっとだけしゃくに障った。腹のムカムカが動力源となり、私はいつものように膝で立ち上がった。
「そりゃあな、みんないい人だったし、風呂もすごくってさぁ!」
友博はベッドから降りてこちらに駆け寄る。満面の笑みを見せながら、手を差し伸べてきた。
「私は退屈だった」
このむしゃくしゃした気分を、どうしても友博と共有したい。
そんな気持ちを込めて、友博の手を握った。
ベッドまで移動した私は、研究室でのことをひととおり話した。
「おお……そりゃ大変だったな」
話していくうちに、友博の表情が少しずつ険しくなっていった。最終的には顔をうつむかせ、唇を悔しそうにかんでいた。
「だろ? こんな待遇だとは思わなかった」
友博の共感を得られて、少しだけ胸がスッとした。
「でも……もう誓約書ってのを書いたんだろ? ならせっかくなんだしこの街を楽しもうぜ」
「むう…それもそうかもな」
ベッドに寝そべり、腕を大きく上に伸ばした。
ふかふかの布団に体が沈み、かすかな甘い香りに包まれていく。心拍数はどんどん下がっていき、平常心でいられるようになった。
「そうそう、ここのテレビすごいんだよ。最新映画まで見れるんだ。こないだイオが見たいって言ってた映画もあるぞ」
友博は私の顔を見ながらほほ笑んだ。
「おおっ! ほんとか!」
目がギョっと開いて起き上がった。
「ああ、気を取り直して一緒に見ようぜ。これから俺たち二人、のんびり優雅に暮らそう」
「……うん!」
友博の声を聞くたびに、心が温かくなる。
友博とならこの街でもやっていけるかもしれない。
窮屈な環境の中で、一筋の希望が見えた気がした。
映画を見た後、私はすぐに就寝した。
翌朝、いつもより早く目覚めた。
この街でも昼夜の概念があり、夜はしっかり暗くなる。
窓を見ると空はだいだい色で、ちょうど日の昇りたてのようだった。
「ふあぁ……」
ずいぶんと早く起きてしまった。眠気はあるが、目は覚めている。いまさら二度寝は無理だ。
しかも、おなかを内側から突かれるようなむずがゆさに襲われる。
体は完全に起きる方向に傾いていた。
隣では、友博が安らかな顔で眠っている。
「…………」
友博の寝顔を見るのは初めてかもしれない。かすかに吐息を立て、起きる気配は一切なかった。
起こさないように、私は外に出た。
「アテナ! おなかが減った!」
部屋の外にいてもアテナは要望に応えてくれる、と友博は昨日言っていた。お世話AⅠというシステムで、一世帯ごとにAⅠが従事してくれるらしい。
『お食事ですね。何をご希望でしょうか』
天井からアテナの声がする。本当に対応しているようだ。
「気分は肉だな肉、サイコロステーキだ!」
『承知しました』
どうせなら食べたことのないものを頼もう。
話に聞いたことがあるサイコロステーキ、一体どんな味なのだろう。
想像するだけで体がウキウキと跳ねる。よだれが口にたまり、舌をペロリとなめた。
『申し訳ございません。あなた様には食事をお出しできません』
「え、えぇ!?」
高まっていた気分が、一気にどん底に落ちた。
『あなた様の体組成が、私たちの提供する食事を摂取して問題ないかの確認が取れておりません。どうしても食事をしたい場合には、誓約書にサインをお願いします』
天井から紫色の光の線が放たれ、長方形を生成する。またも透明な板――誓約書が出現した。細かい字は読んでいないが同じものに見える。
「それは書いたぞ昨日、早く食べさせてくれ!」
なんでまた書かせようとするのか理解が追い付かない。昨日の今日なので、見るだけ鳥肌が立ってしまう。
『ダメです。過去の意思表示をそのまま現在に当てはめてはいけないルールとなっています。したがって、毎回書いていただきます』
「そんな……」
面倒くさすぎる……!
過去の誓約書じゃダメ? なら毎回毎回問われるというのか?
「じゃあいらない!」
空腹なんて少し我慢すれば無くなる。いちいち誓約書なんて書くほうが面倒くさい。
気を紛らわすため、外に出た。
空気は澄んでいて、日差しも心地よい。いるだけなら快適な場だ。
近未来的な曲線美で造られたビル群と、そこに交じる多種多様な木々、いくら見ても飽きない、素晴らしい景観である。
移動マシンを使うのにも誓約書が必要な状況では、私にある権利は街を歩くことだけである。
そのことが頭の片隅にあるだけで、どうしても心から楽しめない。
「はあぁ……」
近くにあった大木に寄りかかり、足をピンと伸ばして座った。
「お悩みですか?」
突然、背後から声が聞こえた。
「誰だ!?」
背筋が震えあがり、とっさに振り返って正体を確認した。
「私です」
ニヤりと笑う口元が見える。
相手は運転手、私たちをこの街に連れてきた張本人である。
まさかこんなところで再会するなんて思ってもみなかった。
「おまえか。なんでここに」
「この世界になじめているか、確認に来ただけです」
運転手の質問は、いきなり核心を突くものであった。
「…………」
全くなじめてない。私は例外的な存在として扱われている。周りも大変そうだったし、私自身も居心地が悪い。
「わかりやすい沈黙ですね」
運転手は口角を上げ、鼻で笑った。
「ああ、なじんでない。前の世界のほうが良かった」
この運転手にウソをつく理由はない。むしろ告白することによって、解決策を出してくれるのではないか、という期待のほうが大きかった。
「なぁ、戻れないのか? 私、戻りたい!」
肺に空気をため、食い気味に聞いた。友博はこの街に満足しているのだから、私に無理に合わせる必要はない。私が出ていけばいいだけなのだ。
「無理ですね」
しかしその期待は、淡々とした口調で折られてしまった。
「私が招待したのはあなたのお連れ様、あなた自身は所有物という扱いで一緒に乗せたに過ぎません」
私自身は所有物――最初にこの街に来る際にも聞いた言葉だ。
「なので戻る権利があるのはお連れの方のみ。その時一緒に戻ることしかできません。どうしても戻りたいなら説得するしかないですね、お連れ様を。一度街を出た人間が再度来ることはできないので」
「と、友博を……?」
友博はこの街を楽しんでいる。
それなのに私が住みにくいというだけで、一緒に出ていかせるなんて……。
そんなの……そんなのダメだ。
でも私もこのままは嫌だ。
頭の中が混乱し、ぐちゃぐちゃになった。
広大な景色が視界に広がる。
右を見ても、左も見ても、正面を見ても、行き止まりは一切ない。青い空の中に、白く揺らめく雲があるだけである。
「うっひょおおおおおおおおおお!!」
雲に突っ込むと窓の先は真っ白になった。ゴウゴウとした音が鳴り響く。
耳がキュッと引き締まり、心拍数が上がった。安全装置が付いているのでどんなムチャな操縦でも身の危険はない。
こんな体験、現実ではまず不可能である。
無事に飛行機を部屋のベランダまで到着させられた。
飛行機を降りた俺は、腕を上に向けて思いっきり伸びをした。
『お楽しみいただけましたか?』
アテナが優しく声をかけてきた。
「ああ、すごい気持ちよかった」
ゲンキョウタウンではあらゆる乗り物の操縦や、職業体験といった娯楽が存在する。安全の保障がされているので無駄に気張る必要はなく、全力で楽しめた。
次はどれをやろう……渡されたカタログを読むだけでも興奮が収まらない。
でもその前に腹ごしらえをしなくては。
「そろそろ朝食にしたい。今朝はフレンチトーストがいいな」
『承知しました』
ベランダからイスに座るまでの間に、フレンチトーストは用意された。湯気が立っていて、ミルクとサラダ付き。祭風町じゃ昔ながらの和食がほとんどだったので、しゃれた朝食なんていつ以来だろう。
ウィン。と、扉の開く音がした。
「……友博」
扉の先にはイオがいた。思いつめた顔で、俺を見つめる。
「どうした? あ、イオは朝どうする?」
「なんでもない、食事は済ませた」
イオは口角をあげたが、目は遠いところを向いていた。
「そう……なら良いけど」
今まで見せたことのない反応で、少し引っかかりを感じる。
とはいえ、イオはウソをつくタイプではない。なんでもないと言うなら、そうなのだろう。
「いっただきまーす!」
イオを横目に、俺はフレンチトーストにかぶりついた。
「うんうん! うまい!」
甘い砂糖と卵が絡み合った奥深い味わい。口に広がった香りが鼻の奥まで届く。食べるたびに幸せをかみしめるような、そんな感じがした。
「良かったな、友博」
見守るような目線のイオは、どことなく保護者の雰囲気があった。
『不二友博様、ゲンキョウタウンの研究員からお便りです』
突然の連絡が来た。
研究員? 会ったことがないのに一体どうしてだ?
「要約して」
『イオ様についてです。ゲンキョウタウンを安全に過ごしてもらうため、一日数時間程度イオ様の肉体を研究したいとのことです』
「ほおぉ……」
なぜ俺宛の連絡なのかは分からないが、話自体は悪いものじゃない。
「どうするイオ? これでおまえの体の謎が解けたら、もう気がかりなく生きていけると思うんだが」
昨日の話を踏まえるとイオの体は相当特殊だ。早いうちに判明させておいたほうが良いだろう。
「やだ」
悩む様子は一切なく、イオは頬を膨らませてそっぽを向いた。
「そんな……」
あまりの即答に喉が詰まった。
「今のままで良いのか? いつ死ぬか分からないし、何が寿命を縮めているかも分からないんだぞ?」
理解ができなかった。これまでも考えの違いはたくさんあったが、今回ばかりは本当に分からない。
「嫌だったら嫌だ!」
これまでに見たことのない、鬼のような鋭い形相が浮かびあがる。壁をドンッ、と強く叩き、怒りをあらわにする。
「前は……祭風町はこんなんじゃなかった! そんなことしなくても每日楽しかったぞ!」
目尻にぶわっと涙をため、イオは部屋を出ていってしまった。
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