3/5 体の秘密
再び移動マシンに乗り、歓迎会の会場となる別の建物へと向かうこととなった。
「でも、こんな急に歓迎会なんて開いたら迷惑じゃないの?」
歓迎会はついさっき出た話だ。いろいろ準備が必要ではないだろうか。
『問題ありません。歓迎会の会場は普段から社交場として利用されていて、人と人のつながりを求める人が集まっています。近隣住民にも通知はしましたが、希望者のみの参加となりますので、迷惑だと思っている人はいませんよ』
どうやら、深く考える必要はないようだ。
「どんな人がいるんだろうな! 楽しみだな友博!」
「あぁ、そうだな……」
時間の経過とともに、心臓の締め付けが強くなってくる。
期待と不安で、友博の胸は膨らんでいた。
会場はとあるビルの一階。
広々とした円卓状の空間では、すでに十数人の住民が楽しんでいた。
マシンに乗ったままの人、降りている人、どちらもテーブルに置かれた大皿から料理を取って談笑している。
特別騒がしくもないので、実に入り込みやすい雰囲気だった。
住人のほとんどは日本人、日本語話者はこの地域に集まる、といった理由があるのだろうか。
「おおっ! きたね」
「君がウワサの……しかも二人かぁ」
近くにいた男性二人が、自らの足で寄ってきた。年齢は二十代だろうか、一人は茶髪でもう一人は黒髪だった。どちらもカラフルな私服を着て、手にはビールのジョッキを持っている。
「新しく越してきた不二です。これからよろしくお願いいたします」
「私はイオだ。友博と一緒に来た」
手始めに自己紹介すると、茶髪の男性がはにかむように笑う。
「ははっ。僕の名前はヤスオ。そんなかしこまらなくていいよ。イオ君のようにスッと打ち解ければいいのさ」
「はぁ……」
そんなこと言われても……。
「そんなこと言われても難しいだろう。ゆっくり自分のペースで打ち解ければ良いさ」
と、言いたかったことを黒髪の男性が代弁してくれた。
「ありがとうございます……」
変に気を遣わせてしまった感じがして、少し体がむずがゆい。
「ちなみに俺の名前はトモオだ。気軽に呼んでくれ」
茶髪の人がヤスオ、黒髪がトモオ。名前を覚えるのは苦手だ、次会ったときには忘れてしまいそうである。
「この料理、何だ?」
男性たちのことをよそに、イオは食べ物に興味を持っていた。会場にはいくつかのテーブルがあり、料理が陳列されている。
真っ黒な塊に見えない料理を、目の前でじっと見つめるイオ。俺も知らない料理だ。
「それはね……って、イオ君! その足は何?」
答えようとした茶髪の男性は、イオの足先を見てぎょっと目を見開いた。
「ん? 足?」
イオの足――魚の尾びれとなっている部分だ。
「ああ……言ってませんでしたね。イオは人魚なんですよ。足先だけ」
マシンに乗っている間は足元が隠れていたから気付かなかったのだろう。祭風町でなじみまくっていたせいで忘れていたが、これが本来の反応だ。
茶髪の男性が驚いた余波は広がり、会場にいた他の人たちも、ぞろぞろと集まってきた。
「えぇ……驚いちゃった。人魚は実在したのか。膝、痛くないのかい?」
茶髪の男性が冷や汗をかきながら尋ねる。
「痛くないぞ。私の膝は丈夫なんだ!」
腰に手を当て、イオは胸を張る。
「えぇ? 待って! あなた人魚なの!?」
今度は背後、会場の入り口から声が聞こえた。振り返ると、豪華なドレスを着こなした女性が、ポカンと口を開けたまま固まっていた。
「うん。人魚だ」
「陸上にいて平気なの? 基本的に水中に暮らしてるんでしょう?」
女性はすり足で近づき、イオの足を鋭い目で観察する。周りの空気も妙に重くなっている。
「んー? 別に平気だぞ。水も陸も」
イオの回答を受けてもなお、女性は不思議そうな顔をしたままであった。理解が追い付かないのか、頭をむさぼり、セットしたであろう髪を乱す。
「イオって、常識というか……人間の固定概念が通用しないんですよ。こうみえて体重も100超えてたり、目から本当にウロコ出たり」
埒が明かなそうだったので、補足をした。人間の尺度では測れない、イオはそういう存在なのだ。ここを理解してくれれば、特別驚くことじゃないと分かってくれるはずだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「あれ?」
納得してもらえると思ったが、むしろ逆だった。
場はより一層静まり返り、まるで通夜のようなムードと変わってしまった。
「それって……私たちと同じ食事をして、何か健康に問題が起きたりしないかしら……」
女性は顔を青くして、手を口元に添えた。本当に親身に心配してくれている。
「別に、これまで変なこと起きてないぞ」
イオはきょとんとした顔だった。
「いや、これから起こるかもしれない」
今度は黒髪の男性が口を挟む。
「ここには研究員もいる。一度体を調べてもらって解明してもらったらどうだろうか?」
「研究されるのか……面白そうだな!」
アゴに手を当て、少し黙り込んだ後、イオはニッコリと笑った。
「ずいぶん乗り気だな……まぁ、病気とかは早期発見が大事っていうし、いいと思うぜ」
これまで考えてもいなかった視点だ。人間は食べても平気だが他の生き物が食べると体に悪い、なんて話は腐るほどある。食べた直後は平気でも、後々体に悪影響が出るなんてこともある。
この街に来たおかげで、その危険性に気付くことができた。
「寿命も延びるかな?」
「寿命? あぁ……」
そういえばそんなことを、初めて会った時に言っていた。人魚は本来不老不死とされるほど長寿の生物であるが、人間部分と魚部分の差が偏っていると短命らしい。短命が何歳ぐらいを指しているかは謎だが……。
「連れてってくれ!」
『承知しました』
イオは再びマシンにより、会場から出て行った。
暇だ。
研究室に案内された私は、まず人魚は普段何を食べているか聞かれた。私だけでなく、人魚全体の話だ。
友博の家に来る前――人魚の村にいた時期、よく与えられていたのは魚だった。
それを伝えると焼き魚を提供され、食後はベッドの上で待つように言われた。その後は研究者たちがコンピューターをにらんでいる様子を、眺めるだけの時間が過ぎていった。
こんなにも退屈なら、研究室になんて来るべきではなかった。
「後どれぐらいだ?」
「…………」
尋ねてみたが答えは返ってこない。研究員たちは目の前のことに集中していて、こちらを見ることはなかった。
「後、どれぐらいで私は帰れるんだ!」
声量を上げると、一人だけ振り返ってくれた。黒い髪を後ろに束ねた女の人だった。
駆け寄った女研究員の胸元には『キサラギ』とあった。
「すみません。時間の見通しが全く立てられなくて……」
キサラギは眉尻を落とし、自身の手をもんでいた。
「そうか。私はずっと寝っぱなしで飽きてしまった。何か分かったことはあるか?」
「……何一つ、分かりませんでした」
「何一つ!?」
胸がギュッと締め付けられ、目玉が飛び出るかと思った。あれだけ時間をかけて、成果がないなんて……。
「はい……。まず、さっき食べた魚なんですけど、消化される様子が一切分からないんです」
どういう意味なのか、理解ができない。
食事をしたらおいしいと感じるし、おなかも満たされる。食べないとおなかが減って体がそわそわする。
この感覚が消化反応ではないなら一体何だと言うのか。
「ど、どういうことなんだ!?」
「何て言うのが正しいんでしょうか……。まるで、喉を通った瞬間、別の空間にワープしてしまったような……とにかく、通常の生物じゃ現れるような反応が一切ないのです」
初耳だ。私の体にそんな機能が備わっていたなんて……。
「反応がないとダメなのか!? なら私は魚を食べないほうが良いのか?」
正解が分からない。私はどうしたらいいのだ? これまで生きていた道は間違っていたのか? 疑問は絶えない。
「そうとも言い切れません。それ以前に……あなたの体を構成してる物質も、すべて未知のものとなっていまして……。どういう性質で、どういう変化をするのか正しいのかっていう、ものさしがないんです」
キサラギは目線を右下に落としたまま、もじもじとし続ける。
「要するに……何も分からないんだな」
「はい。最初に言った通り、何一つ分かってません」
「ふむ……」
胸に穴が空いた気分だった。
自分の体はそんなにも特殊だったのか、人間とそんなにも違うのか……。
キサラギはただ憂いな顔をするばかりで、他の研究員は機械のほうにしか目を向けてくれない。
「では私はどうすればいいのだ? 一生何も食べられないのか?」
これからずっとおいしいものを口にできないなんて……考えただけで背筋が凍る。
確かに私は食べなくても死なない。でも食べる喜びを味わえないなんて嫌だ。
「え~っと……、食べられないというより、食べ物を与えられないというが正確です。与えていい保証がないと与えられないルールとなっていまして」
「塩麴焼きは食べられたのに、理不尽だ……」
あれが自由に食べられる最後の食事だったなら、もっといろんなものを頼んでおくべきだった……。
「それも本来なら与えられないように制御されているはずなのですが……例外すら、すり抜けてしまったそうです」
この世界は、とにかく私に食べ物を与えたくないみたいだ。
「おなかが減っても食べられないなんて、そっちのほうがおかしいじゃないか!」
体中にたまったムカムカとした気持ちを声に乗せ、キサラギにぶつけた。
「その……私たちからすると空腹の判断もできないので……」
人差し指で頭をかきながら、キサラギは気まずそうにはにかむ。彼女に文句を言って何か変わるわけじゃない……愚かな行為だった。
「でもその気持ちは尊重したいです。だから……」
キサラギは両手の人差し指と親指で長方形を作った。右手を右下、左手を左上に動かし、指を離す。すると指と指の間から紫色の光が浮かび上がった。
四角形の光を作られると、その中に文字が刻まれていく。左上から順に、横書きの文章が高速で出現していった。最終的に、光の塊は一枚の透明な板のようなものになった。
「これからは何かサービスを受ける際は誓約書を書いてもらいます」
板を渡された。紫に光っていた字は黒色に変わっていて、読みやすくなっている。
「ほう」
日本語で書かれた文書。真っ先に目に入ったのは『食料配給誓約書』というタイトルだ。
「ただし安全の保証も責任も取れないので。そこだけは留意していただければと思います」
「分かった分かった! とにかくさっきの料理を食べたい! サインする!」
結局、私の体は全く解明されていない。
だがそんなことはどうでもいい、私は今まで通り暮らせればそれでいい。お預けを食らった黒い料理……一体どんな味がするのだろう。
イオの頭の中は、もう別のことでいっぱいだった。
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