2/5 理想郷へようこそ!
タイヤやドアがない、未来的な外観の車、そこから出てきた運転手の発したセリフ。
「おめでとうございます。あなたはゲンキョウタウンへ行く権利が与えられました」
あまりにも怪しい。唇が渇き、膝が震えてくる。
「どこですか……そこ」
「理想的な世界ですよ。今に不満がある人ならきっと快適に暮らせます。ぜひ一度来てください」
「はぁ……」
車から降りた後、運転手は頭を全く動かさずに淡々と語った。怪しすぎる。ただ者でないことが事実だとしても、詐欺の臭いがプンプンとする。
「面白そうだな! 行こうよ友博!」
突然、イオの声が聞こえた。
「でえええっ!? イオ! なんでここに!」
そこにいるはずのない者が、なぜか背後にいる。イオは目を輝かせ、パチパチとまばたきをする。
「ついてきた。いつ話しかけようか悩んでたんだけど」
悩まずに、とっとと話しかけてほしかった。不覚だ……他に人がいるわけがないという思い込みによって、前方にしか注意を向けていなかったせいだ。
「なあ、どこに行くんだ?」
そわそわと体を揺らしながら、イオが尋ねる。
「どこにも行かないよ、帰ってくれ」
駅から線路沿いに歩いているだけなので、帰れないとは言わせない。指を下に向けた状態でシッシと動かし、帰るように促した。
「ん?」
だが、イオは車の後ろに乗っていた。こちらの動きなど見てすらいない。
「ああ! もう!」
何もかもうまくいかない……! 本能のまま頭をかきむしったが、歯ぎしりは収まらない。
「困りますよ。私が勧めたのはこの男性……。男性の所有物という扱いなら可能ですが、あなただけの乗車は認められません」
運転手は唇をかみ、帽子のツバの位置を直す。
「だって! 早く乗って!」
焦ったイオに腕を引っ張られ、押し込まれてしまった。断る選択肢はないらしい。
車の中からは外の景色が一切見えない。
「本日は、理想郷タクシーのご乗車ありがとうございます」
エンジン音の類も聞こえてこない。本当に目的地に進んでいるのか、判断材料がない。
「あの……今更なんですけど、俺お金持ってませんよ……ちょっとしか……」
勢いで乗ってしまったが、やはり気がかりだった。タクシー、という名称なら金銭のやり取りが発生しそうなものだ。体を嫌な汗が覆ってくる。
「お金は取れるところから取ります。気にせずに」
「はぁ……」
気にせずと言われても、全く気にしないのは難しい。本当に大丈夫なのだろうか、やはり怪しい。
「着きました」
早い……、まだ会話のキャッチボールを二、三回しかしていないというのに。
車の上部が左右に吸い込まれるように、ゆっくりと開く。
「おおっ……!」
確かに到着していた。田舎どころか、都会ですらこんな景色はあり得ない。近未来的な異世界だ。
円柱型の超高層ビルが立ち並び、空には透明なチューブ状の道路が何本か建設されている。地面は土でもアスファルトでもない、光沢のある物質でできている。
「すごいなここ! 見た事も聞いたこともないぞ!」
イオは口を大きく開きながら、あちこちを見回している。
「お気に召されたそうですね。後は街の管理システムが手取り足取りサポートしてくれますので、自由に行動してください」
「だって友博! 外周ろう!」
またもイオは腕を引っ張ってくる。相当好奇心を刺激されている。
「ではまた、帰りたくなったらこの辺にいますので」
降りるや否や、理想郷タクシーは遠くに去ってしまった。
自由に、と言われても目的がないと困る。まずはどこに行けばいいのやら……。住処を探すのか、役所みたいなところで手続きをするのか。
四方に広がる曲線の道路を見ても、答えがあるわけじゃない。
悩んでいたところに、一台のマシンがやってきた。
卵を斜めに切り取ったような形をしていて、これまた地面から車体が浮いている。
『ゲンキョウタウンへのご入居、ありがとうございます。どうぞご乗車ください』
「乗ろう乗ろう!」
イオは飛び込むように乗った。それでもマシンはびくともしない、耐久性はかなりものだ。右に寄ったイオは、えくぼを作って左側の座面をポンポンと叩く。
「分かったよ」
軽くため息をついた後、笑顔に諭されるようにマシンに座った。シートがほどよく沈み、体に無駄な負荷がかからないようになっている。
『乗車を確認しました。メタトロン・エッグのご利用ありがとうございます』
背後から音声が聞こえる。直接話しかけられているような、軽やかな女性の声だ。特に何も言っていないのに、勝手にマシンは動き始めた。
『ここ、ゲンキョウタウンは安心安全快適をモットーとした街です。一般住民に労働の概念はなく、自由気ままな生活を送ることができます』
物凄い速度で正面の道を進み、ビルの明かりが光線のように過ぎていく。それでいて正面から風は感じない。一体どういう技術なのだろうか。
『ただいまよりお客様の住処にご案内いたします。どうぞ、ごゆっくり』
住居の手続きなんてした記憶がない。面倒くさいことはすべて街が勝手にやってくれるのだろうか。気味の悪さはあるが、快適さには敵わない。
『お二人共、食事はいかがでしょうか? 簡単なものならすぐに提供できます』
夜にそこそこ歩いた関係か、ちょうどおなかが減っていた。
「じゃあハンバーガーで」
「私は鮭の
イオは上の空になっていて、口からヨダレがこぼれ出ていた。
「簡単じゃない……」
普通、用意できるのは軽食やファストフードぐらいだろう。全く雰囲気の違う場所に来たせいか、落ち着きがないし、人の話もちゃんと聞いてなさげである。
『おまたせいたしました』
しかし、鮭の塩麴は出てきた。目の前にテーブルが出現し、他から転送されたかのように出現する。ご飯もみそ汁も、出来立てで湯気が立っている。
「ウソォ……」
皿に盛られたたった一つのハンバーガーは、隣と見比べるとどうしても見劣りしてしまう。
「いっただっきまーす!」
イオはキラキラと目を輝かせ、食事にありつく。
タクシーの移動といい、ここでは時間間隔の常識が通じないのかもしれない。
マシンはある高層ビルの中に入っていった。
ビルの中心は天井が筒抜けで、そこから外光が入っている。そのおかげで、近未来的でありながらも神々しい雰囲気が醸し出ていた。
中心に向かうと、今度はマシンが上に移動し始めた。
ここが何階か数えることもできない。同じような外観が連続していて、どこがどこから分からなくなった。
上方への動きが止まり、再び前方に進む。進んだ先にある扉の前に来ると、扉は勝手に開いた。
『こちらがあなた様用のお部屋となります』
室内に入ってやっとマシンが止まる。高級ホテルの一室のような、煌びやかなワンルームである。
「おお!これがベッドというヤツか!」
イオが興味を持ったのはダブルベッドだ。光沢のある白を基調とし、シーツがピンと張られている。
そういえば、祭風町にはベッドがなかった……俺の知る限りでは。実物を見たことがないイオはすぐさま飛び込み、ぴょんぴょんと跳ねた。
「待て待て、先に膝を洗わないと……」
膝で歩いているイオは土汚れがつきものだ。普段は膝を拭いてから入ることをできるのだが、テンションが上がると暴走する、いつものアレが発動してしまった。
『衛生面は問題ありません。入館前に外の汚れは落としています』
「いつ……?」
そんなことをされた記憶はない。聞き返したが、返答はなかった。
靴の裏を確認すると、確かに奇麗になっている。買ったのは一、二年前にも関わらず、新品と区別できないほどである。
掃除されていることが確認できたので、俺も土足のまま部屋に上がった。
『いつでも待機しておりますので、外出時、帰宅時は遠慮なくお呼びください』
マシンは静かに部屋の隅に移動した。
「なぁ! 友博もジャンプしてみろ!」
イオはベッドをトランポリンと勘違いをしている。
「んな子供じゃないんだから……」
俺も小さい頃はベッドにはしゃいでいた。なんとなく懐かしくなり、その光景がほほえましくなる。イオを観察しながら、近くのイスに座った。
『以後、全てのご要望は私が承ります。気軽に呼んでください』
今度は天井から声が聞こえた。移動マシンと比べると若干声が低い。
「へぇすごい……えっと、なんで呼べばいいですか?」
天井さん、などと呼ぶわけにはいかない。
『私のことはアテナとお呼びください』
「じゃあアテナさん、ここってテレビとか見れない?」
『可能です。西方の壁をご覧ください』
言われた通りにすると、壁かと思われた部分が突然液晶画面へと変わった。部屋は明るいが色合いは鮮やかである。プロジェクターで映しているわけではなさそうだ。
さらに天井からリモコンが降ってきた。
「おおっ……! こんなシステムなのか」
数字ボタンを押すと、映っている番組も変わる。番組表を見ると、バラエティ、アニメ、ニュース、ドラマ等々、好きな番組の再放送や、興味をひかれるタイトルの番組、俺のニーズを知っているとしか思えないラインナップだった。
もしかしてオーダーメイドな放送をできるのか? あまりに不思議で、まばたきが止まらなかった。
『テレビ、本、インターネットなどの娯楽は、申し付けがあればいつでも提供できます』
「すごい! どんな本もあるのか?」
興味津々にイオは鼻の穴を大きくした。普段から俺の教科書を読み漁るほどの読書好きなので、関心があるのも当然と言える。
『全ての書籍の網羅はしていません。しかしデータ上存在する約一兆冊を提供できる状態にあります』
一兆も読めれば十分だろう。興味のあるジャンルに絞っても、読み切ることはなさそうだ。
「じゃあ、『祭風町の事件簿』って本が読みたい!」
かなりローカルな書籍だ。純粋な表情からして、イオがアテナさんを試しているわけではないだろうが、本がどの程度読めるかの指標にはなりそうだ。
『承知いたしました』
イオの目の前に本が転送された。蔵書数の多さに喉がうなる。それだけでなく状態も祭風町の図書館にあるものより良い。
『電子書籍の購読を希望であれば、お申し付けください』
徹頭徹尾ハイテクだ。隙がなさ過ぎる。
「友博、電子書籍ってなんだ?」
イオはこちらを向き、首をかしげた。
「電子の書籍、紙じゃないってこと。まぁ紙の本でいいだろ」
どうせイオはデジタル機器に慣れていない。紙で提供してくれるのなら、わざわざなれることもないだろう。
「すげえなぁ……」
食べ物も住処も娯楽も提供され、服も自然と新品のように掃除される。確かにここは、何一つ不自由なく暮らせる理想郷、と呼べるかもしれない。
「あの、俺たち以外に人はいないんですか?」
だが一つだけ、人気があまりにもない。街についてから一人も会っていない。
『この町には約千人の人間が住んでいます。新しい住人が入ってきた晩は歓迎会を行うのが慣習となっていますが、開催しますか』
ちゃんと他に住人がいるらしい。
友博は、コクりとうなずいて歓迎会の開催を承諾した。
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