少し不思議なアメ
1/2 そのアメを食べると不幸になる
なんと素晴らしいことだろうか。
見上げるほどに大きな棚に並べられた書物は、とてもじゃないがすぐに読み切れる量ではない。概算で百……いや二百、もしくはそれ以上か? 数え切れないほど、という表現はこういった時に使うに違いない。
図書館、なんと素晴らしい施設だろう。もっと早くこの存在を知りたかった。
その棚自体も一つではなく、ジャンルごとに数十に分けられて置かれている。背表紙を見るだけでもタイトルに心が躍るように跳ね、体が自然と弾む。上の方にある本は見られないのが少し残念である。
「こんな本もあるのかぁ……」
歴史書物のコーナーで見つけたのは『祭風町の事件簿』というタイトル。日本史や世界史に関連することだけなく、ローカルな話題の本も所蔵しているようだ。きっとこの町以外で見ることはできないだろう。
希少度合いが明らかに他と違う。今日はこの本に決めた……!
しかし、心に決めた瞬間、別の人に本を取られてしまった。
「おっ、イオじゃん」
本を手に入れたのは
「奇遇だな! 欽也も図書館を使うのか?」
友博の話だと、欽也はかなりの財力を有しているはずだ。無料の公共施設を使わずとも、本を手に入れる手段はあるはずだ。
「まぁね。基本的にほしい本は取り寄せるのが僕の流儀だけど、そういうのが難しい本もあるし」
「ほうほう」
やはり、祭風町だけの歴史書物はマニアックな本らしい。
「それ……私も読みたいのだが、見せてくれないか?」
ほしい、喉から手が出るほどほしい。それだけ珍しい本ならぜひ読んでみたい。
「ダメだ、これは僕が先に取ったんだからな。僕が先に読む権利がある」
私を見下ろしながら、欽也は口角をにんまりと上げた。
「むう……それもそうか」
悔しいが、欽也の主張は間違っていない。
「きっと他にイオ向けの本があるはずさ。じゃあな」
欽也は棚から離れてしまった。
ここには本の所蔵だけでなく、読書スペースも設けられている。木製の机とイスは一定の距離を保たれており、各々が本の世界に入り込むことがきできる。
欽也が座ったのはポーチと小箱の置かれていた席であった。
「これは欽也のものなのか?」
「わああっ!? なんだよ本探せよ」
欽也は目を泳がせ、顔から汗がドっと出てきた。
そこまで驚くようなことだろうか? ちょっと異常だ。
「本よりこっちが気になった。欽也のなのか? 何が入ってるんだ?」
ポーチには持ち歩くものがいろいろ入っているとして、小箱をわざわざ持つ場面なんて存在するだろうか?
気になる……すごい気になる。目線が小箱から離せない。
「ああそうだよ僕のだよ。中身はアメ玉。回答終わり」
今度はやたらと素っ気ない。そっぽを向き、先ほどの本を読み始める。
「アメ玉かぁ……食べてみたいなぁ。どこで買ったんだ?」
わざわざ図書館に持ってくるほどのアメ、ただものではなさそうだ。こぼれそうになるよだれを、ゴクりと飲み込んだ。
「しつこいなぁ……。もらいものだから分からないよ」
開いていた本をパタンと閉じ、頭を抱えた。嫌そうな感じをここまで露骨に出されると、こちらの胸もゾクゾクと嫌な感覚になる。
「へぇ……」
「先に言っておくけどあげないからな。これは僕のもの、一点ものだから誰にも渡さない」
欽也は目を鋭くとがらせる。
「分かってるぞ。私はそこまでいやらしくない」
あわよくばもらえると思ったが、うまくはいかない模様だ。これが友博ならくれただろうに……欽也は強敵である。
「いやしい、な」
ポツリとつぶやいた言葉を訂正される。実に細かい男だ。
手をあおがれてしまったので、去らざるを得なかった。
イオと会ったせいで調子が狂ってしまった。
しかし目的は達成できた。
「やっぱりこれは……」
高ぶる感情を家まで我慢しきれず、道のど真ん中で小箱を開ける。
アメジストカラーの結晶。わずかな光を取り込んだだけでも中で屈折し、ギラギラと輝いている。
「不幸を呼ぶアメ……!」
朝、庭の倉庫で偶然みつけた小箱。こんなところに保管されているアメがただのアメのわけがない。そう思って歴史資料を調べたら……ビンゴであった。
小箱に入ったアメジストカラーのアメの話はいくつか出てきた。どれもアメを口に含むと不幸が舞い降りる、という内容である。資料を読む限りだと、幻覚を見たり、体調不良になったりするらしい。
『もうアメはこりごりだぁ~』
あまり真剣味の感じられない文面だが、とにかくこの効果は事実らしい。
「くっくっく……」
本の内容を思い出すだけで腹の奥底から笑いが込み上げる。このアメがあれば、いつも威張っているアイツを痛い目に遭わせられる、泣きべそをかかせられる。楽しい妄想が広がり、胸のあたりがキュッと熱くなる。
「何が楽しいんだ?」
ウワサをすればなんとやら。当の本人が現れた。
「どわあああっ!」
自分より一回り大きい体が影を作り、顔を覆う。背筋が凍り、鳥肌が立った。
「何でそんな驚くんだ?」
「そりゃ急だからだよ。どうしたんだよ功太郎、ついに本の魅力に気付いたのか?」
「俺が本なんて読むわけねーだろ! 母ちゃんがどーしてもっていうから借りに来たんだ!」
一切本に興味を持たないことを、ここまで堂々と言われると逆に清々しい。恥じる様子はこれっぽちもなく、むしろ親のおつかいに行っていることを誇っているようだった。相変わらずのバカさ加減だ。
「ところでなんだそれは」
功太郎は小箱に関心を持った。これは都合が良い。
「ああこれね、アメ玉だよ。こないだ旅行先で買ってきたんだ」
「おおっ……きれいだな! うまそうだな!」
物を乞いるような目で、舌を犬のごとく下品に出す。内心が駄々もれである。
「良かったら食べるかい? たくさんあるから気にしないで食べてくれよ」
アメを食べさせるためにはウソも辞さない。とっとと食べて、早く嘆きの顔を見せてほしい。
「えぇ!? いいのか!」
一応確認をしてくるが、両手脇を合わせて物をもらうしぐさをしている。本当に節操がない。
「そりゃあもちろ……」
功太郎の手のひらに小箱を置きながら、承諾しかけた。ここまでは誰がどうみても順調であった。
「なんで功太郎はいいんだ?」
ところが、突如現れたイオが流れを大きく変えた。まだ他の本を探しているのかと思ったのに、もう図書館から出たというのか……!
「それは……」
言葉が詰まる。ついさっき、イオにはあげないと断言している。この差にどんな理由があるのか説明しなくてはいけない。
「イオ、どういうことだ?」
功太郎は手を引いた。野生の勘が危険を察知したかのようだった。
「あれはもらいもので、一個しかないから誰にも渡さないって言ってた」
「ほう、そうだったのか。へぇ。それを俺に」
ヤバい。矛盾している。功太郎に食べさせるためだけに口から出たホラが、ここまで奇麗に首を絞めてくるとは思わなかった。
「ははは……、ちょっとした聞き間違え、言い間違え……」
息苦しくなってきた。体は火照り、胃がキリキリと痛む。
「本当か!? おまえが代わりに食ってみろ! なんか変な物入れてるんじゃねえだろうなぁ!?」
上がっていた口角は下がり、落ちていた目尻はつり上がる。功太郎の怒りのボルテージが最高潮に達しているのが、肌で感じられる。
これはもうダメだ……マトモに弁解できやしない。
欽也を見失ってしまった。
腕っぷしで勝負したら絶対負けることはないが、逃げ足だけはアイツのほうが速い。
「ちいっ! 覚えてろよ欽也! 次会ったら食わせてやるからな!!」
どこかで聞き耳を立てているかもしれないので、叫ぶように宣戦布告をした。
「グウゥ……」
腹の虫が収まらない。手に力がたまり、アメの入った小箱を強く握る。
「このアメ、どうして功太郎に渡そうとしたんだろう」
イオはマジマジと小箱を見ていた。
「何かたくらんでるんだよ。すっっごい辛いとか!!」
少なくとも俺にとって良い事ではないだろう。
アイツのほうからタダでモノをあげるなんて、よくよく考えたらおかしいことだ。いつもはほしいって頼み込むまで手渡さない男だった。
「それはそれで食べてみたいなぁ」
じゅるり、と音を立てるかのごとく、イオは舌で口の周りを舐めた。
「いやらしいやつだな」
「いやしい、だぞ」
ポツリとつぶやいた言葉を訂正される。実に細かい人魚だ。
「あ!」
イオは急に手を横に大きく振りはじめた。
「
後ろを見ると、そこには本当に安奈がいた。こちらに気付くと安奈は小走りをしてやってくる。
「珍しい組み合わせね。どうしたの?」
安奈は目をパッチリと開き、興味津々な表情で俺とイオを交互に眺めた。
「実はかくかくしかじかなんだよ」
事情を細部まで丁寧に説明してあげた。
「へぇ……そんなことが、だから欽也の名前呼んでたんだ」
大きくうなずきながら、安奈は小箱を人差し指で軽くつついた。
「この中に入ってるアメ……気になるね、なんで功太郎に食べさせようとしたんだろう」
「そうなんだよ、だからとっとと食わせてやりたいぜ!」
食べさせたらきっとカラクリが分かる。胸のモヤモヤを晴らしたい、欽也に仕返しをしたい、高鳴る気持ちが歯ぎしりを加速させる。
「ねぇ、欽也はそれまで図書館にいたんでしょ? なら図書館にヒントがあるかも」
「でかした安奈! そいつは名案だ!」
盲点だった、別に欽也を追うだけがアメの秘密を知る道ではない。別の道を掲示され、頭がスッとした。
俺は感謝の気持ちを目いっぱい込め、安奈に親指を立てた。
頼もしい仲間が増えた、必ず欽也のたくらみを暴いてみせる……!
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