3/3 飛翔するイオ
寂し気に響くさざ波の音が、心に染みる。潮風も強く吹いている。
熊井さんは海辺に住んでいて、道路を一つ越えたら砂浜であった。都会の海水浴場であれば人混みで死んでしまいそうだが、この町でそんなことは起こらないだろう。
「はぁ……」
胸が重い。全身が気だるい。
伯父の言っていた車イスは、想像していたものとは違った。ただのイスに車輪と持ち手がついただけの、簡素なものであった。
もっと体格に合わせて座高を調整できたり、電動走行ができたりするものだと思っていた。全ての車イスにそういった機能が付いているとは限らないので、自分の勝手な思い込みで、勝手に落ち込んでいる状態である。
「ため息をしても、車イスの性能は良くなんねぇぞ」
「……うん。そうだね」
反論の余地はない。
理想的な性能でなくても、イオの生活が少しでも快適になれば意味はある。プレゼントしたらどんな顔をするだろうか。年季の入った車イスをどう思うのだろうか。
歩いているだけで、いろんなことが頭に思い浮かぶ。
「うおおおおおぉぉーー!!」
その時、上の方から奇妙な声が聞こえた。
どこか聞き覚えのある高い声。どんどんと声量は大きくなっていく。
「おおおおおっ!! 友博ォ――! 修ゥーー!!」
空を見上げると、イオがいた。空中を高速で旋回し、暴れるように飛び回っている。
「何してんだ!?」
まさかあのステッキが、本当に空を飛ぶ力を持っていたというのか……?
「ぬわあああああ!! わあああ!!」
「危なっっ!!」
今度は急降下してきた。
とっさに頭を抱えて身を守る。風を切る音が耳元で鳴った。イオは頭上スレスレを通過し、再び上空へ。
「うぉおおおおおっ!!」
砂浜の方まで行くと、燃料が切れたかのようにプツりと動きを止め、落下してしまった。
「イオ!!」
激突した衝撃で砂ぼこりが吹き荒れる。
イオは無事だろうか……。心配で胸が重くなる。
安否を確認するため、砂浜を全力で駆けた。
「イオ! イオ! ぬぐぅっ……!」
砂が入り、まともに目を開けられない。
これじゃあ探せない……! どうすれば……!
顔を腕で守り、なんとか捜索方法をひねり出そうと思考を巡らせた。
その時、俺の足がつかまれた。
「友博!」
イオの声だ。
「どうだ? 見たか? 私は空を飛んだぞ! このステッキは本当に空を飛べたぞ!」
細く目を開けると、赤い髪の少女が砂浜に横たわっていた。
間違いなくイオだ。声も力強く、元気だった。
砂ぼこりが収まると、イオはいつものように膝立ちをした。右手に持っているのは例のステッキ、やっぱりこれで……空を飛んだというのか。
「ほいっ!」
イオは腕を水平にして、右から左へ、ステッキを一振りした、
だが、何も起きない。
「むむっ……、一度飛ぶとイチゴエネルギーを全部消費してしまうのか……? と、友博! 信じてくれ! 私は本当に飛べたんだ!」
自慢げだった顔は、一気に不安なそうな顔に変わった。
「あぁ信じるよ」
先ほどまで空で暴走している姿を見たのだから、信じないわけがない。
「よかった……! 友博もイチゴを食べれば飛べるぞ! 後で飛ぶか?」
目を輝かせながら、イオはパチパチとまばたきをする。
「いや……」
あの暴れっぷりを見て使いたいとは思えない。イオはなぜか無傷だったが、あの勢いで落ちたら俺はタダじゃ済まない。
「お~い。大丈夫かぁ~?」
伯父が道路沿いで手を振っている。
「大丈夫だぞ~!!」
イオは両手を大きく広げて返答をした。
伯父の元に行くと、イオは真っ先に車イスについて尋ねた。
「これが探してた車イスか?」
「そうそう、この車イスをさ、イオに貸そうと思ってたんだ」
押していた車イスを、伯父が軽く叩いた。
「なんでだ?」
イオはきょとんとしていた。驚いたり、喜んだりは一切せず、口が少しとがっただけだった。
「だって……、ずっと膝で歩いてて、痛くならないのか?」
想定外の反応に、汗がにじむ。
「痛くないぞ。痛く見えたか?」
不思議そうな顔で見つめるイオ。強がりでなく、本当に痛いと思っていないようだった。
「だとしても……不便だろ? 昨日だって手の力で二階まで行ってたけど、これなら俺が補助して座ったまま上れるぞ!」
「確かに不便といえば不便だ。だが、座って移動するより、宙に浮いて移動するほうが良くないか?」
「まぁ……そうかもな」
車イスの必要性をイオは全く感じていない。首をかしげるばかりだ。
これは……完全な思い上がりだった。
張り切っていたのが馬鹿馬鹿しい。勝手に困っていると思い込んで、勝手に周囲を巻き込んで……。
こういうのを余計なお世話というのだろう……俺が嫌いな行為だ。それなのに、それをイオにやってしまった。
「友博……?」
イオはじっと俺の顔を見続けている。その真意はつかめない。
「…………」
なんて言えばいいのか……。目を合わせるのすら気まずく、胸が痛む。
「……つってもよ。自由自在に空を飛べてるって感じじゃなかったよな」
代わりに沈黙を破ったのは、伯父だった。
「うん。イチゴを食べなくてはいけないし、志知間の話より勢いがすごかった」
「なら車イスも悪くねぇんじゃあないのかな? 楽する方法なんていっぱいあるに越したことないしよぉ」
伯父は胸を張って、白い歯をイオに見せつけた。
「せっかく友博が一生懸命探して、わざわざ持ってきてくれたんだぜ。だまされたと思って一回ぐらいは乗ってあげてもいいだろう?」
「友博が……そうか、友博が……」
イオは再びこちらを見つめた。首をかしげたまま、目玉だけを動かしている。
頭頂部から足先まで、事細かに観察された。
どういう心理なのか、全く持って理解が及ばない。
「私! 乗ってみる!」
イオは上機嫌に鼻を大きく広げた。
車イスに背を向け、肘掛けに手を添える。グッと腕を伸ばして体を持ち上げて、腰深く座面に尻を付けた。足をピンと伸ばし、背もたれに寄りかかる。
バキッ!
嫌な音がした。
「あり?」
顔を青くした伯父が、急いで座面の下を確認する。
「折れてやがる……」
「そっか……制限体重……」
忘れていた……イオは見た目からは想像付かないほど体重がある。
結局、俺のやったことは何の意味もなさなかった。
「乗らせるんじゃなかった……」
伯父がぼそりとつぶいた内容が、胸に深く突き刺さった。
あれから数日がたった。
目を覚ますと、普段より部屋が暗い気がした。いつもは朝日が窓から入り、部屋をほんのりと照らしてくれるのに、今日はそれがない。
カーテンを見ると、人型の影が映っていた。ここは二階だ、普通はあり得ない。
コンコン、と窓を叩く音が聞こえる。恐る恐る、カーテンを開ける。
そこにはイオがいた。
キャタツなどを使っているわけでもなく、本当に宙に浮いていた。
「友博―! 調整できるようになったぞ!」
声が少しばかり聞こえる。俺は窓を開けた。
「これだこれ! これをちょこっと飲むとゆっくり浮けるんだ!」
イオが手にしていたのは、果汁100パーセントのイチゴジュースだ。イチゴが空を飛ぶ力の源とは聞いていたが、ジュースでも適応するとは。
「これで階段も自由だ! やったやった!」
部屋に入り、泳ぐように部屋を動きまわる。その様子は、まさに本物の人魚だ。
たった数日でここまで使いこなすとは、思ってもみなかった。
「友博も一緒に来て!」
イオは俺の腕をつかみ、尾びれをばたつかせた。
体がスッと軽くなり、引っ張られるままに俺もまた空中へ。
「うわあっ!?」
まるで水中にいるような感覚だった。体の浮力が重力に勝り、落ちる気配が一切ない。イオの手引きに流されるまま、空をただよった。
「どうだ? 楽しいだろ?」
「いや……でもでも」
今、浮いているのは、イオの手を握っているからだ。少し体を動かすだけで、慣性が体を大きくねじらせる。
いつ手と手が離れてしまうか分からない。ここは家の二階に相当する高さ、想像するだけで冷や汗が止まらない。
「そっか、危ないな」
うなずいたイオが、あろうことか、腕を急に引き寄せてきた。両腕を俺の脇にまわし、正面からら力強く抱擁された。
「ぬわああああっ!?」
胸にイオを感じる。
体は柔らかく温かい。耳元では吐息が当たり、耳が熱くなる。思わず息を飲んでしまった。
「これなら大丈夫だぞ! さぁ、レッツゴー!!」
抱きしめられたまま、イオは空の旅を続けるつもりだ。
「あ、あぁ……」
頭に数多の感情が湧き出たが、友博は何も言えなかった。
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