少し不思議なステッキ

1/3 物置小屋から出てきたもの

 イオが初めて不二家に来た時のことである。






 洗面台の扉を隔てていても、声ははっきりと耳まで届いた。


「わぁ! かわいい!」


 つい少し前まで衰弱していたとは思えないほど、元気の詰まっている声だ。回復の早さに関しては、素直に羨ましいと思うしかなかった。


「もらっていいのか? 私のになるのか?」


 話し相手の声が聞こえないと、何をしているのかさっぱりである。耳から入る情報が中途半端だと、鼓膜に水が張り付くような煩わしさがつきまとう。

 全身の水気をサッと吹いて、イオの声がした居間へと向かった。


 畳の上で伯母が正座、イオが膝立ちをして向かい合っていた。


「不二、見て見て!」


 黄色いワンピースを身に着けたイオが、半回転をしてこちらを向く。足首から下が魚のヒレになっているというのに、一切よろけないのは、凄まじいバランス感覚だ。

 ボロ布のまま過ごさせるのは良くないと思った伯母が、譲渡したのだろう。この家でワンピースを着る人は一人しかいない。


「不二だと、この家族全員のことになっちゃうわよ。友博って呼んであげて」


 伯母は口元を抑える。にやついた目つきで、なぜかこっちを見ていた。


「ほう、そうだったか。友博、見て見て! どう?」

「どうって……まぁ、いいんじゃない」


 まるで最初から自分のものだったかのように着こなしていた。内底の明るさが外に漏れ出しているような色合いと、イオの口角を上げた様子が非常にマッチしている。だからこそ、伯母も数ある服の中からこのワンピースを選んだのかもしれない。


「良かった、良いんだな!」


 さらに満面の笑みをイオは見せた。奇麗な歯並びの白い歯が輝いて見える。


「さて、着替えも終わったことだし今日はもう寝ましょう」

「そうだな、イオも俺も疲れてるし……」


 今日の午後はかなり濃密を時間であった。人魚の追手に捕まり、土砂崩れから脱出し、死に物狂いで山から家まで戻ってきた。最後のほうは、本当に気力だけしか残っていなかった。

 下手したら一晩たっても、体力は戻らないかもしれない。


「イオちゃんはこっちの部屋で寝ていいわよ」

「分かった」


 イオはこくりとうなずいた。


「あ、でも布団は二階だわ。取ってこなくちゃ」

「布団? それぐらい私がやる!」


 自信満々に、元気よく部屋を飛び出した。

 イオは人魚ではあるが、魚の部分が足首から下だけだ。水中ではこれでいいかもしれないが、地上では膝で歩いている。そんなイオに、段差を登れるはずがない。


「いやでも階段が……」


 慌てて伯母が立ち上がり、イオを止めようとした。


「これぐらい平気だ」


 イオは段差を乗り換えるつもりらしい。


「えぇ……」


 人魚の世界では、あれが普通なのかもしれない。






 二階には二つの部屋が連なっている。階段の手前側と奥側、ともに客間である。そのうち手前側を現在は友博が使っている。

 俺の部屋の押し入れに余分な布団があった記憶はない。伯母のいう布団は奥の部屋にあるはずだ。


 イオの後を追って階段を上ると、イオはどこに進むべきか分からず困っているようだった。


「こっちだこっち」


 奥の部屋の扉を開け、中をのぞいてみる。

 部屋は飾り気が全く感じられない、畳が六畳敷かれているだけの空間だった。電気のスイッチを入れても、部屋の隅まで光が届ききらず、まだ薄暗い。

 押し入れの扉を開けると、イオが割り込んできた。


「私が取る」


 押し入れに布団が入っていることを知っている辺り、ある程度人間界の常識は分かるらしい。


「いや大丈夫だよ、俺が取る」


 膝立ちのイオは、ちょうど押し入れの敷居と肩の高さが同じくらいだった。布団を取り出すのは難しいだろう。

 だかしかし、イオがどくことはなく、敷居と布団の隙間に手を伸ばした。


「んっっ……しょ!」


 なんとか布団を持ち上げるが、バランスがうまくとれておらず、よろけている。


「ほらほら、危ないから…」


 と、布団を持って支えようとしたが、わずかに遅かった。

 イオは既に体勢を崩していて、背中から倒れ始めていた。イオの背中が俺の足に乗りかかる。


「あぎぁあああっっっ!!」


 見た目からは想像もつかない重圧が、足に集中した。






 やはり、イオのあの足で生活するのは危なっかしい。平面を歩くぐらいはできても、階段の上り下りや高いものを取るときには、不便極まりないだろう。


 そして何より、膝への負担が気になって仕方ない。


「なぁ、ここって車イスみたいなのない?」


 一晩明け、友博は居間でくつろいでいる伯母と伯父に尋ねた。

 この家どころか、この町自体にそんなものが存在するのかは疑問だか、可能性はゼロではない。


「おぉーあるぞあるぞ、昔なぁ俺が足折った時に使ったんだよ」


 あまり期待をしていなかっただけに、嬉しい返答だった。


「あらー、あったわねぇ懐かしい。どこに閉まったかしら」


 伯母は顎に人差し指を当て、首をかしげる。


「確か……物置小屋じゃなかったか? しばらく使わないとか言って」

「物置ね、オッケー」


 場所が分かれば後は探すだけだ。俺は指で輪っかを作って伯父に向けた。


「オッケーって……、何する気?」


 首をかしげたまま、伯母は目を鋭くさせた。


「出すんだよ。常に膝で歩いてちゃ、イオが大変だろうし」

「あら意外。優しいのね」

「そういうわけじゃ一人で探すのは大変だろうよ、俺も手伝うぜ」


 伯母と伯父は腕をまくりはじめる。こっちはまだうなずいていないのに。






 庭の隅にポツンとある物置小屋。初めて来た時から存在は知っていたが、中を見たことはない。

 さびついて硬くなった扉を開けようとすると、金属の擦れる不快な音が響く。中は煙たく、ホコリが舞い上がっている。


「これは……大仕事になりそうねぇ」


 伯母の顔が渋くなった。この汚れようでは、掃除がメインになってしまいそうだ。


「友博? 何してるんだ?」


 結構な大きさの音がしたせいだろうか、イオが聞きつけてきた。


「あぁ、ちょっとな。イオはその辺で休んでなよ」

「いや、面白そう! 私もやる!」


 目を輝かせながら、イオは膝立ちのまま器用に走って、物置小屋の前に来た。


「だってさ友博、イオにもやらせていいんじゃねぇか?」

「まぁ……俺に決定権があるわけじゃないし」

「んじゃ、一家総出で掃除しちゃおう!」


 伯父は元気よく声を上げ、ポンッと手を叩いた。


 物置小屋の中は、九割以上が古新聞だった。使うかどうかもわからない。そもそも劣化して文字が読めない。

 他にあったのは工具用品や自転車など、どちらもさびついていて、最近使われた様子はない。あらかたのものを中から出したが、車イスは見つからない。


「ないなぁ……ん?」


 ほとんどが、ろくに手入れがされていない品物であったが、一点だけ異様にきれいな状態を保った物があった。30センチぐらいの棒で、先端にハート柄の柄がついている。まるで、魔法少女が使うステッキのようだ。


「あら、懐かしい」


 伯母が後ろからひょっこりと顔を出してきた。


「これはねぇ、魔法のステッキなのよ」

「魔法? なんだそれ?」


 またもイオは声を聞きつけて来た。


「十歳の誕生日の時だったかな。夜、部屋に戻ると、布団の上にそれが置いてあったの」


 伯母は目を閉じ、両手を広げた。まるで、太陽光を浴びるようにして話を続ける。


「で、何気なくそれを振ったらね、ふわぁ〜っと宙に浮いてさ。それからあんま覚えてないけど、こんなところにあったのね」

「…………」


 最初はおもちゃの説明をしているのかと思ったが、まさか実体験の話だったとは。

 正直、疑いの目を向けざるを得ない。この街では不思議なことがよく起こる。実際に隣にはイオがいる。とはいえ、魔法のステッキは少々荒唐無稽な気がした。


「面白そう! 私も空を飛びたい!」


 イオはステッキを俺から奪った。


「えい!」


 一本の直線を描くように、素早く水平にステッキを振る。


 だが、何も起きない。


「ほっ! はっ!」


 縦に斜めに、ステッキを振ってもうんともすんとも言わない。


「マール・マル・アルマジーロ!」


 今度は呪文らしきものを唱えるが、やっぱり結果は変わらない。


「……それ、ただのおもちゃなんじゃ」


 伯母の記憶も曖昧だし、何も起きないし、全く信じられる要素がない。おそらく、誕生日プレゼントをもらった記憶と、その日見た夢が混同してしまったと思われる。幼少期の記憶なんて、だいたいそんなものだ。


「えぇー、そんなことないわよ。空を飛んだのは確か」


 伯母は譲る気がない。なぜ断言できるのか不思議だった。


「だって、やっぱり本物らしいぞ」


 イオは伯母の話を全面的に信じていた。俺といる時間のほうが長いのに……なんか悔しい。


「いやいや……」

「あっ! 思い出したぞ!」


 会話の流れを着るかのごとく、伯父が言う。


熊井くまいに貸してたんだ! 前にケガしたって言うから! 完全に忘れてたぜ……、アイツもう治ってるのに」


 どうやら、車イスは知り合いに貸していたらしい。出てこないのも納得だ、早いうちに思い出してくれてありがたい。


「今から取り返しに行くか! どうだ? 友博?」

「うん、返してもらえるなら」


 これ以上、魔法のステッキの話に付き合わなくて済む。この場をされる都合のいい理由が生まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る