3/3 山の上から見る夕日

 二体の人魚は山道の外れにある洞窟へと入っていった。昨日イオが言っていた、人魚の村へとつながる洞窟だと予測できる。


 洞窟は光がほとんど通っておらず、出口すら見えない。入口から遠ざかるほど、闇が深くなっていく。鉄の翼は暗闇でぼんやりと光り、周囲の状況がわずかに確認できる。

 洞窟全体はひんやりとしていて、今すぐ着込みたくなるほどだった。


「おいおいイオ! ずいぶん大人しくなってないかぁ~?」


 俺を羽交い締めにしている人魚、レースがまたもあおるような発言をした。内容も相まって、耳元に届く声は非常に不快。胃がムカムカとする。


「……私はいい、諦める。でも不二は関係ない! 私を見ただけだ!」


 イオの声が洞窟内に反響した。暗闇で目からの情報が得られない分、余計大きな声に聞こえた。


「見たということは伝承する危険があります。かわいそうですが仕方ありません」


 イオを抱えている人魚、セイネ。彼女は口調こそ穏やかだが、主張はレースと大差がない。


「運が悪かったな。イオをとっ捕まえればアタシたちは帰る予定だったのに」

「……俺を連れてどうする気だ」

「それは話し合って決める。運が良ければ奴隷として命だけは助かるかもな。アタイも無駄な殺生は見たくないからちゃんと媚びてくれよな」


「…………」


 根本的に見下されている。人魚の村に行けば十中八九死ぬ、仮に死を免れても人としての尊厳は奪われてしまう。


 こんなところで俺の人生は終わってしまうのか……?


 嫌だ、それだけは嫌だ。俺は高校を卒業し、都会に戻ると決めたんだ。まだまだやりたいことはたくさんあるんだ。


 何でこんな目に……、結局はこの町に来たせいだ。ただでさえ娯楽が少なく、碌に遊べないというのに、こんな命の危険が隣り合わせの場所だったなんて……。


 誰を恨めばいいのか? 拉致した人魚か、この町に住んでいる伯父と伯母か、両親をひいた車の運転手か、昨日山に行った俺自身か。

 いや、恨んだって何か変わるわけではない。無駄な行為だ。


「グッ……ウウウ……、どうじで……!」


 あまりの無力さに、胸が息苦しくなった。顔は熱くなり、涙がこぼれ出る。


「諦めちゃダメ!」


 その時、再びイオの声が反響した。


「どわわっ!!」


 セイネの声と共に、前方に見えた鉄の翼が落下する。ドシンッ、という重い物が地面に叩きつけられるような音もした。

 何をしたかは見えなかったが、とりあえずセイネに一矢報いて、体勢を崩させたのは事実だ。イオは翼の上に飛び乗り、飛行物体としての機能を奪っていた。


「セイネさん!」

「来ないでレース!」


 迫真のセイネの声が聞こえる。しかし既にレースは行動に移していた。

 鉄の翼は壊れてもなお微かに光っている。


 明かりを頼りに進んだ先には、イオが待ち構えていた。突然、俺たちのほうに飛びかかる。

 安定していた鉄の翼も、急な攻撃には耐えられないようで、重心がグラつく。翼が岩に激突し、自分たちも地面に叩きつけられてしまった。下は小石で埋まっており、とがった箇所が体中を刺す。


「グウゥ……!」


 激痛が体の芯まで伝っていった。さらにところどころ水たまりがあり、暗闇で冷え切った水が衣服に染みていく。


 体がしびれて起き上がれない、なのに鳥肌はやまず、体温はどんどんと奪われていく。


「ぎゃあっ! きったねぇ!」


 レースは痛みや寒さより、清潔感を気にしていた。


「フンッ! フンッ!」


 対するイオは体の汚れなど一切気にせず、レースが使っていた翼の上に乗りかかり、押し潰していた。ぼんやりとしている中でも、再起動ができないほどに壊れていることは容易に想像が付く。


「不二! 今の内に!」


 イオがこちらに来て、手を握った。

 俺自身に光る目印は付いていないはずだが、ちゃんと見分けが付くらしい。


「おっ、おう……」


 そうだ……逃げるなら今しかない。絶好のチャンスだ。

 ここを逃せば後は死を待つのみ、ムチを打ってでも体を動かさなきゃいかない。

 肺に冷たい空気を目いっぱいため、俺は気合で起き上がった。


「まっ……待ちなさい……!」


 セイネのうめき声が聞こえる。


「二人は歩くのが苦手だ。バテなきゃ逃げ切れるはずだ」

「うん……」


 頭では理解できるが、体が思うように動かない。体の痛みは激しく、壁を伝って歩くのがやっとだった。いくら相手が遅くても、これでは追いつかれてしまう。


「不二、大丈夫か? 歩けないなら私が担ぐぞ」

「いや……そんな……」


 そんなことをしたらイオまで逃げ遅れてしまう可能性がある。自分のせいでイオの生涯まで左右させるわけにはいかない。


 せめてイオだけでも逃げてくれ――本来なら、そう口にすべきだろう。

 だが出せない。助けてほしいという想いが心のどこかにあり、言い出せなかった。

 言葉を濁せば、ずうずうしさを減らしつつ、あわよくば助けてくれるかもしれない、という卑しさを抑えられなかった。


「時間がない! 行くぞ!」


 イオが俺の腰に手を伸ばそうとした瞬間、突然足場がグラついた。


 立つことすらできないほどに激しい揺れが起こり、上から小石がコロコロと落ち始める。地震か土砂崩れか、とにかく洞窟に居座れる状況じゃなくなった。

 振動はどんどん激しくなり、得体の知れない謎の轟音も上下左右から聞こえて来る。

 上方から何かが爆発したような音がして、そこから大量の水があふれ出てきた。


「うそおおっ……!?」


 大量の水によって洞窟は浸され、その勢いに友博は流された。






 目を覚ますと、洞窟の外だった。

 ひんやりとした冷気に悪寒を感じ、パチリと目が開く。


「良かった! 起きたか不二!」


 俺の視界の大部分はイオの顔で覆われていた。目元に水滴をためながら、口角をニッコリと上げている。


「見ろ! 洞窟は崩れた! 二人はもうこっちに来れない!」


 イオは視界から離れ、左のほうにフェードアウトした。

 消えた方に目線に向けると、確かに洞窟が崩れ、出入りのできない状態になっていた。


「あぁ……そう……」


 あの人魚たちに狙われる可能性はかなり低くなったと言える。だが、疲労感が蓄積していて、素直に喜べるだけの体力が残っていなかった。


「不二、もう暗いな」


 この町で夜空を見上げたのは今日が初めてだった。

 雲ひとつなく透き通った群青色の中、白く浮かぶ月はひときわ目立つ。星々は控えめに光り、美しい濃淡を空に描いていた。


「日が沈むまでに帰らなきゃいけないのに、ごめんな」


 イオは、昨日の俺の言葉を律義に覚えていたようだ。


「……いや、別にいいよ」


 今は生きているだけで十分だ。むしろ、この状況でそんなことを気にするイオがよく分からない。


「道案内してくれれば、家まで運べる。せめてもの罪滅ぼしだ」


 意外と義理高く、責任感が強いタイプなのかもしれない。


「だからいいって……」


 だが余計なお世話だ。疲れてはいるが、家まではそう遠くないし、一人で帰ることはできる。


「遠慮はいらない。私がかつぐ!」


 聞く耳は持ってくれないようだ。このまま寝ていては彼女に運ばれてしまうだろう。

 それより先に起き上がり、手を前に出して拒否しなくては……。


 と思った矢先、イオが倒れた。うつぶせになった姿は、電池が切れたかのようである。


「ごめん……私、助けられない……」


 声は一転し、か細く衰弱したものに変わっていた。


 そうか、何も俺だけが疲労しているわけじゃない。イオも同じぐらい、いやそれ以上に疲れていてもおかしくはない。ただでさえ山に一人でこもり、追手から逃れようと常に気を張っていたはずだ。洞窟で水害が起きた後も、俺より先に目覚めていた。あの時の勢いで気は失っていたが、こんなにも奇麗に外に出られるわけがない。

 イオがきっと助けてくれたに違いない。


「だからいいんだって。無理しないでくれよ……」


 一方的に助けられているだけじゃ居心地が悪い。外もまだ冷えるだろうし、どこか安全なところまで運ばなくては。


 イオを運ぶため彼女の腕を肩にかけ、持ち上げようとした。

 その時、肩から腰にかけて稲妻のようなものが駆け巡った。


「ガアアァッ!!」


 重い……! なんだこの重さは……!!


 全く持ち上げられない。肩を貸すことすらできない、見た目からは想像も付かないほど重かった。


「と、とにかく、俺の家に来い……」


 筋肉の引きつりが収まらなかったが、なんとか口角を上げて笑顔を作った。






 二人ははうようにして不二家までたどり着いた。


 手も足も、もうほとんど感覚がない。とっくに限界は超えていて、気力だけで動かしている状態だった。


「やっと……ついた……!」


 目の前にある見覚えのある玄関が、これほど嬉しいとは思わなかった。大きく息を吐きだし、気持ちを整える。


「本当にいいのか? 私なんかが……」


「分かんないけど……何とか説明する」


 この状況、どう説明しよう……。


 イオはもちろん、夜まで帰れなかったことや、服がボロボロであることの理由も話さなくてはいけない。話を理解してもらえるだろうか、信じてもらえるだろうか。何より、イオを受け入れてもらえるだろうか。


 とりあえず家まで来たものの、不安な要素が山積みしている。塀に体を預けつつ、震えた指でチャイムを鳴らした。


「友博、無事だったか!」


 ほとんど同じタイミングで引き戸が勢いよく開けられた。切羽詰まった顔の伯父が、俺たちを確認すると穏やかな顔へと変わった。


「あらその子……」


 その奥から、伯母がひょっこりと顔を出す。頬には涙を拭いた後がある。


「あのっ、これは……」


 喉が詰まる。どこから、どう話せばよいのか。整理なんて全くしてないので頭はぐちゃぐちゃだ。

 だが、二人ともイオに驚いている様子はなかった。


「分かったわ。いらっしゃい」


 それどころか、伯母は全てを分かっているかのような口ぶりであった。


「いいのか? 私……」


 イオの目は泳いでいる。


「ええ、大変だったのは分かるわ。さ、遠慮しないで」

「嬉しい……」


 イオは、心底穏やかな顔をしていた。


「やっぱり、外の世界は楽しいな……」


 この町では少し不思議なことがよく起こる。


 今日初めて、それが悪いことじゃないと思えた。






 あれから追手がやって来ることはない。人魚の村がどうなったかは分からないが、少なくともこちらに危害を加える脅威は去ったと思っている。


「ふぅ……」


 イオを捜索しているうちに、頂上についてしまった。

 ちょうど夕暮れで、太陽が水平線と交わっていた。広大な光が海の一面に反射して、細やかな光が無数に映し出される。


 しかし一カ所だけ、一人の背中がさえぎっていた。

 硬い岩場にびくともせず。正座で景色を眺望している人魚。誰かに声をかけられるのを待っているかのように、体は動かない。


「イオ、来たぞ」

「友博、やっぱり来てくれたんだな」


 振り返ったイオは、とても満足げな顔をしていた。


「なんじゃそりゃ。俺を待たずとも戻って来いよ」

「この景色を見てたらつい」


 再び、イオの顔が町のほうに向けられる。


「私と友博が最初に会った日も、こんな景色だった」


 あの日、俺が帰った後、イオは一人で見ていたらしい。


「でもあの時より、今の方が奇麗な気がする」

「そうなんだ……」


 俺もそう思うよ、と口にしようと思ったが、胸がむずがゆくなったので、口を途中で閉ざす。


 イオの横に座り、もう少しだけこの景色を眺めることにした。

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