少し不思議な人魚
1/3 イオとの遭遇
イオは魔法のステッキを持っている。
イチゴを食べた後にステッキを振ると、宙に浮くことができる。ブラックボックス化しているので理屈は分からないが、とにかくこういった法則が成り立っている。
また、体内の消化されていないイチゴの量で飛ぶ勢いが決まるらしく、一個丸ごと食べた直後に振ると、ものすごい勢いで飛んでしまう。
「ったく……。何でいつもイチゴジュース飲んでるんだか、考えてほしいもんだね」
仕組みはほとんど判明しているのだから、事前に防げた事故だ。
「まぁまぁ、俺もイオが何で空を飛んでるのか忘れててさ、ごめんごめん」
伯父は舌を出して笑った。謝罪の念は一切感じられない。
今回イオが吹っ飛んだのは、伯父に勧められたイチゴを浮遊中に食べたからだ。玄関先で渡すほうも、食べるほうもどうかしている。
「イオのほうちょっと見に行ってあげてよ。飛んだ先で動けなくなってるかもしれないし」
「はいはい。分かったよ。じゃあ行ってくる」
学校帰り、一度も家に戻らずまた外出とは。面倒くさいが仕方ない。
イオが飛んで行ったのは山の方だ。家から続く一本道の先に、山のふもとがあるのが見える。
「あの山か……」
ある意味、この町で一番思い入れ深い場所かもしれない。
イオとの初対面の場所だからだ。
この町では少し不思議なことがよく起こる……らしい。
「きりーっつ、きょーつけー、れーい」
感情の込められていない号令に合わせ、一同が頭を下げる。
頭を上げると、それまで従順な態度を取っていた者たちが、自我を出すかのように自由に動き出した。左方から感じ取れる安らかな風がかき消される。
「な? カメラまで用意したんだよ今日」
右隣にいるクラスメイト、
転校して三カ月立つが、未だ二、三人しか顔と名前が一致しない。
「えぇ~、分かったよぉ。そこまで言うなら……」
力動の話し相手は
「友博も来るか?」
力動がこっちにまで話を振ってきた。
「聞いてなかったのか? 昨日、俺がみなみ海岸で人魚を見たんだよ! だからこれから人魚探しに行こうって言ってんの!」
「いや……悪いけど今日は用事が」
本当は用事などない。ただ面倒臭かっただけだ。
こういった話は、町に来てから二、三度誘われたが、正直なところどうでも良い。
興味の持てない、架空の生き物を探しに体力を使う気は起きなかった。
かといって本心を明らかにするわけにもいかず、角が立たないように断った。
「またぁ? 都会っ子ってのは、ずいぶんと忙しいんだねぇ……」
富鐘は疑うように目を細めた。
「本当に悪い。都合が合えば行けるから、またな」
都合が合うことは今後ないだろう。帰りに軽い寄り道ぐらいなら可能性はあるかもしれないが、そういった類の誘いはない。
友博は教室から逃げるように去っていった。
祭風町には娯楽が少ない。デパートのような大型の商業施設は当然のように存在せず、ゲームセンターもない。それどころか、コンクリートでできた建物すらほとんどない。
さらに通信環境も整っていない。おかげでスマホは外で使えず、その利便性が激減している。余りにも刺激のない環境は、都会っ子からしたら地獄そのものだ。
幸いにも、家ではインターネットが使えて時間がつぶせる。そのため毎日寄り道をせずに、真っすぐ家に帰っている。
今日も建て付けの悪い引き戸を開けると、二足の履物があった。一つは伯母の古びた茶色いサンダル、もう一方は艶やかな黒いサンダルだ。恐らく後者は客人のものだ。
靴を脱いでいる最中、その音に気付いたのか、居間のほうから客人がひょっこりと顔を出してきた。
「あら~、友博君。お邪魔してまぁ~す」
「ど~お? そろそろこの町に慣れたぁ~?」
嬢乙女の母は、ゆっくりと顔に笑みを広げ、首をかしげた。
「まぁ……それなりに」
ほとんど話したことのない人物との会話は、気が引ける。素早く目を逸らし、階段に足をかけた。
「アララ……ごめんなさいね人見知りだから」
細やかな祖母の作り声がかすかに聞こえた。
「ちゃんと受け答えできないと、将来苦労するわよ~!」
かと思えば、声の通りは急によくなり、耳元まで響き渡った。
「じゃあその時に苦労するから」
せっかくの家でも、客がいると居心地が良くない。これでは全然落ち着くことができない。
仕方がないので、夕方まで外で時間を潰すことにした。
さて、どこで何をしよう。
通学路と商店街ぐらいしかなじみがない、知らない町と言っても過言ではない。普通、初見の場所はスマホの地図アプリを使うものだが、ここではそれもできない。本当に不便だ。
一つだけ決めているのは、海の方面には行かないことだ。用事があると言った以上、もしも力動たちと鉢合わせしたら、言い訳のしようがない。
あとは道に迷うことだけは避けたい。曲がり角は極力曲がらず、真っすぐ進める道がいい。
そうなると目的は一つ、海岸の対極にある山だ。
田舎だけあって、自然に関しては以前住んでいた所より豊かである。海も山も歩きでアクセスできる場所、というのは限られていると思う。
家に面している通り、その先には青々とした山が見える。
友博は、通りに沿って歩くことにした。
あっさりと山のふもとまで到着した。いざ目指すとこんなにも近い場所だったとは……軽い発見である。
地面は昨日の大雨でぬかるんでいる。ジメジメしていて少し気持ち悪いが、歩けないほどではない。
山は鳥の鳴き声や、草木の揺れる音が聞こえるぐらいで、人気は一切なかった。
黙々と山道を進み、ついに山の頂上近くまでやってきた。
「ふぅ……」
運動不足の解消には良かったかもしれない。引っ越す前は、電車に乗っていろんな町の隠れた名店を探すことが趣味だったのを思い出す。
そういえば、前は今ほどインドアではなかった。家に籠るようになったのも、この場所がつまらないせいだ。
引っ越しのきっかけは、両親が交通事故で亡くなったことだった。親戚は父の兄ぐらいしかおらず、他に選択肢は無かった。
そんな経緯なので、この町に愛着などは一切ない。多分、この先も湧くことはないだろう。高校を卒業したらすぐさま上京すべく、お金を貯めることが唯一の生きがいといってもいい。
頂上まであと一歩という所で、急に町の不満が吹き出てきてしまった。
「はああぁ……」
胸に残るムカムカした気分を、深呼吸で吐き出した。
山の頂上に到達した。
下を見ると、ゴツゴツとした岩場に、草が茂っているだけの、味気ない場所。
だが前方に広がる景色は格別であった。町全体から、その奥に広がる群青色の海までを一望することができる。
「おぉ……!」
胸が高鳴った。ちっぽけだと思っていた町が、ものすごく広い世界に感じられた。
頻繁に山に来ることはない、この景色も多分二度と見る機会はない。せっかくなので、スマホのカメラで写真を撮ることにした。通信が途絶え、機能が制限されていても、便利な道具であることには変わりはない。
スマホを横に向け、画面をじっとのぞく。
空と海と町を一画に収めたいがなかなか難しい。センスの問題か、カメラ越しで見ると陳腐になってしまう。
もう少し低い場所から撮れば、何とか全体を奇麗に映せるかもしれない。体を横に寝そべり、撮影を試みる。
が、これも微妙……。
「むむむっ……」
画面をにらんでいたら、背後から強い視線を感じた。
獣だろうか? 小動物ならいいが、これが熊のような大型動物だったら一大事だ。
恐る恐る、ゆっくりと首を後ろに回す。
そこには、一人の少女が正座をして、興味深そうにスマホを眺めていた。
少女の膝が土汚れで真っ黒になっている。
「それ、何だ?」
内側から熱されたかのように赤い髪を垂らし、金色に輝く瞳をぱっちりと見開いている。麻の布を胸と腰に巻いた格好は、現代を生きているとは到底思えなかった。
一体どこの出身の人だろうか。田舎町でこんな子と出会うとは思ってもみなかった。
「スマホ……知らない?」
目線を合わせるため、上体を起こした。それでも彼女のほうが頭一つ分高く、まだ見下ろされた。かなり背丈の高い子みたいだ。
「スマホ、知らない。でも覚えた」
少女は満足げな顔で笑った。
「おまえ、人間か?」
そして、首をかしげた。
「そりゃあまぁ……」
逆に俺が人間以外に見えるなら、何に見えたのか聞きたいぐらいだ。
「そうか。私は人魚だ」
少女は顔色一つ変えなかった。
「人魚? あの? でも……」
足がしっかりと確認できる。どうみても人間のものだ。人魚姫では声と引き換えに足を手に入れたが……そういうことなのだろうか?
理解が追い付かず、目が点になる。
「ああ、人間は知らないんだったな」
困惑している俺を見た少女は、足を伸ばした。
「人と魚の比率は、人魚によってマチマチなんだ」
頭が真っ白になった。
足首の先が、魚の尾びれのようになっているのである。
根本は紺色で、先端になるにつれて青白く色が遷移している。
「えっ……」
普通に考えたら作り物だが、付け根の部分をどうしているかが想像も付かない。
それ以前に、この姿で山の頂上にいるのが謎だ。本物であれ偽物であれ、はって来たとでも言うのだろうか。
謎が謎を呼ぶ少女。本当に何者なのか。
気が付くと、俺の左手は彼女の尾びれにあった。
「疑っているのか?」
「いや、まぁ、だって……」
先端から徐々に、境目のあたりまで指を伸ばし、擦ってみる。尾びれは少しざらざらとしていて、人肌はつるつると滑らかだ。境目の部分は自然とつながっているようにしか思えない。
「……あんまり触って欲しくない」
「あぁ、ごめん……」
彼女をしかめっ面にしてしまった。初対面の人になんてことをしてしまったのだろう。出来心であれ、ただの変態だ。
すぐさま手を離し、少女の顔色をうかがう。すぐ離したのが幸いしたのか、すぐに穏やかな表情に戻った。
「許す。それよりスマホ、私も使いたい」
右手に持ったスマホを、少女は指差した。
「嫌だよ」
先ほどの反応を見る限り、本当にスマホがどういう機器か知らないみたいだった。個人情報がたくさん入っているものを、そんな輩に預けたくない。
「何でだ? 嫌じゃない使い方をする」
意外と強情だ。腕を伸ばし、強引に奪おうとした。
「嫌なものは嫌! 俺はこれを触られたくないの!」
俺は立ち上がり、両手を伸ばして相手が届かないようにした。
足が魚ではせいぜい膝立ちが関の山、スマホに手が届くわけがなかった。
「このおぉっ!」
だがしかし、少女は突進で対抗をしてきた。
「ぐあっ……!」
頭突きが腹に激突する。ずっしりと重い衝撃が内臓まで届き、全身の力が一瞬だけ抜ける。
手からスマホが滑り落ちてしまった。
「あらっ……」
「おいおいおいおい……」
落ちたスマホは坂道を下っていき、茂みの中に消えてしまった。
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