3/4 手がかりゼロ、どーすんの?

 手がかりすらつかめないと、探すモチベーションも上がってこない。歩くことによる疲労は癒やされたが、また動く気が起きない。


 半分に割られたフランスパンを食べ終えた友博は、アゴを抑えた。


「くうぅ……」


 アゴが疲れるという感情が初めて芽生えた。ここまで歯応えのある食べ物は食ったことがない。


「これって、本当に食べて良かったんですかね?」


 気品の高そうな女性から無理やり渡されたフランスパン。これを食べるのは、現代との干渉を最小限にするルールに反している気がした。


「私が口に含んでしまった以上、返すわけにはいかないからな」


 ゴーグルをつけたクロノさんがこちらを向いた。このゴーグルは本来見えない存在を認知するのに使うらしい。

 本来、現代のものを別の場所に移動させたら、後で元の場所に戻さなくてはいけないらしい。しかし消耗品の場合は返せないので、新品を返却して元に戻すらしい。


「はあぁ……」


 新品を返却する、という話をするたびにクロノさんは深くため息をつく。きっと何か面倒くさい手続きをする必要があるのだろう。


「このまま見つからなかったらどうなっちゃうんでしょう」


 自分自身のことであるにも関わらず、どっちの方向に進みそうか見当も付かない。一生透明人間のままなのではないかと不安がよぎる。


「もとに戻らないまま時間がたてば、当然歴史に乱れが生じる。どうなるかは分からないが、悪い方向に進むのは間違いない」

「そうですか……。でもいいなぁ。過去に行けるって」


 俺はポツりとつぶやいた。


「訳ありな感じだな。話ぐらいは聞けるぞ」

「実は俺……」


 クロノさんの口調は妙に優しく、自然と言葉が続く。


「母さんと父さんと事故で亡くしてるんです」


 父さんと母さんが事故で死ななければ、この町に来ることもなかった。

 今でもたまに、あの時の心境を思い出す。心に穴が空いたようなショックと、将来の不安。


「別に反抗期ってほどでもなかったんですけど、ちょっと疎遠気味だったから……もっといろいろやっとけば良かったなって……」


 そして後悔。


 思い出すだけで、心が重くなる。


 クロノさんが未来から来たという話を聞いた時から、過去に戻りたいと心の底で思っていた。大それたことではなく、ただ話をできるだけでも十分だ。過去に行ける――それが羨ましくて仕方ない。


「まぁ、ルール的に無理かもしれませんけど」

「そうだな。気持ちは分かるが許可はできない」


 これまでの話を聞いていれば、驚くようなことではない。期待をしていないので、ショックを受けるようなことはなかった。


「ルール的な理由もあるが……何より余計寂しくなる」


 クロノさんの言い回しに、少し引っかかりを感じた。


「やったことあるんですか……?」

「ああ。私も弟を少し前に亡くしてな……」


 意外だった。


 抜けている部分があるとはいえ、ルールには厳しそうな人だと思っていた。特に、歴史の修正をする側の人間が歴史を変えるなんて、絶対に許さなそうなのに……。


「もちろん本当はダメなことだ。ただどうしても気の迷いでな。移動先の時間を間違えたことにして弟と会ったんだ」


 唇の動きを、ぼーっと眺めながら話を聞く。

 そんな簡単に死んだ人間と会えたのか……、なんとも羨ましい。


「その時は楽しかったし、また話せた喜びで泣いてしまった。弟は勘づいていたかもしれないが、何も言わず会話をしてくれた」


 じっと見続けていたせいか、クロノさんは背中を向けた。肩を落として、体も丸めている。


「でもその後だ。移動先で相手の印象に強く残るようなことをしたら、記憶を消さなくてはいけない、そうでないと歴史がゆがむ危険があるからだ。だから、いくら話したって弟の記憶から消えてしまうんだ」


 その声は、涙をこらえるかのように弱弱しい。肩は震え、拳は強く握られていた。


「そこで気付いた。過去の人間と話して自分だけを慰める時間があったら、今生きている家族や友人と、新しい思い出を作ったほうがいいって……」


 話を聞けば聞くほど、自分の胸に突き刺さるような気がした。


 ドキドキと心拍数が上がっていく。

 そうだ、大事なのは過去より今だ。この透明人間の状態を解除すること。過去を悔やんでいる場合じゃない。


「今の話は、君と私だけの秘密……ということにしてくれ! さ! 行こう! 君の未来が……これから育むであろう幾多の思い出が、懸かっているのだから!!」


 クロノさんはやる気を取り戻したかのように立ち上がった。


 俺も、探すモチベーションが再び湧き上がってきた。

 一生このままなんて嫌だ。この先の人生のために……絶対に取り戻してやる。


「そういえば、俺が探してる人は映画に行くって言ってました」


 少しややこしいが、探しているのは〈富鐘を探している世界線の俺〉だ。したがって、富鐘を追うことで、俺自身にも近づけるはずだ。


「なるほど、最寄りの映画館に行くには……まずは駅まで向かわなければ」


 ゴーグルが再び麦わら帽子に変形した。木陰から出たクロノさんは、帽子の角度の微調整をはじめた。


「多分電車には乗らないと思うので、そのあたりをウロウロしてるかもしれません」


 心なしか、モヤモヤが晴れたおかげで頭もさえてきた気がする。


「というか、最初から相談すれば良かったですね」

「……今更言わないでくれ。行くぞ!」


 クロノさんは帽子を深く被り、公園を出た。






 よほどの気合が入ったのか、クロノさんは走って大通りまで移動した。


「はぁ……はぁ……」


 しかしその勢いが続くわけなく、電柱にもたれかかって息を整える。


「はぁ……、はぁ……」


 こっちも息切れで胸が苦しい。締め付けられるような痛みが肺の全体まで広がっている。

 こんなに走ったのは久々である。


「むぅ……」


 クロノさんは辺りをキョロキョロと見回す。

 大通りに沿って道を歩けば駅まで行けるのだが、通行人がいない。そもそも大通りだからといってビルが連なっていたり、商業施設があったりする訳ではない。都会じゃまず見られない光景だ。


「せめて一人ぐらい……」


 クロノさんがつぶやくと、脇道から人が一人やってきた。


「あっ……」


 嬢乙女じょおとめだった。まさかここで隣人兼同級生と会うとは、思ってもいない展開だった。


「あの、突然失礼します。こちらの男性を見かけませんでしたか?」


 そんなことは知らず、顔写真を嬢乙女に見せる。


「ああー、友博君ね。知ってる知ってる」


 目を大きく開き、嬢乙女は手を叩いた。


「しっ……知ってるんですか!?」


 クロノさんの目は輝いていた。

 知らない、という回答が続いてきた中、やっと出会えた俺を知っている人物。


「どこで見かけました?」

「いや、ただ隣に住んでるってだけで今日は会ってません」


 だが嬢乙女とはただの知り合いだ。俺の動向が分かるわけじゃない。自体は一歩も進んでいない。


「そうですか……」


 クロノさんのテンションは一気に落ち込んだ。顔が青ざめ、その場でしゃがみ込む。客観的に見ても不審極まりなかった。


「友博君を探してるんですか? 私も手伝います?」


 そんな姿を見ても嬢乙女は一切ひるまない。むしろ寄り添おうと、自らもしゃがんで問いかけた。


「いえ……大丈夫です」


 顔を伏せながらも、クロノさんは干渉を最小限にすることを貫いた。


「あ、そうそう、イオちゃんのほうならさっき見かけました」


 話が急に転換した。


 イオを? どうして? このタイミングでイオの名前を聞くとは思わなかった。


「イオちゃんとは……」


 もちろん、クロノさんにイオについて話していないので、知る由もない。


「あっ、ごめんなさい。友博君の家に住んでる女の子です」

「ほう……」


 クロノさんは少し興味ありげだった。


「すごい変な格好の男の人と一緒に歩いてました」


「はあああぁ!?」


 聞き捨てならなかった。

 変な格好ってどんな格好だ? 年齢はどれぐらいだ? 無性に心臓がチクチクとし始めてきた。


「ん? 今、友博君の声が」


 嬢乙女が周囲を見渡したことで、声を出していたことにやっと気付いた。


 ヤバッ……!


 体は見えなくても声は聞こえる。これは実にまずい。


「ささ、さぁ? 私は何も聞こえなかったが。空耳ってやつじゃないか?」


 しどろもどろしながらも、クロノさんがフォローに入ってくれた。


「それよりそのイオって子! その話を聞きたい!」

「はぁ……。まぁとにかく、駅のほうに行ってたんで、もしかしたら友博君もいるのかなって思っただけです。探すの頑張ってくださいね」

「そうか……ありがとう」


 クロノさんにお礼を言われると、嬢乙女は丁寧にお辞儀をして去る。


 再び大通りはクロノさんと俺の二人になった。


「……全く、動揺しすぎだろう。嫉妬深いタイプだな」


 辺りを気にしながら、クロノさんは小声で言った。


「だって……びっくりしちゃったんですもん」


 イオが自分の知らないところで交友関係を広げているのは、今に始まった話ではない。

 冷静に考えたら、別にそこまで驚く話ではないはずだ。一体俺は、どうしてここまで過剰に反応してしまったのだろうか。


「ただ、そのイオって子に聞くのはいいかもしれない。仲が深ければ君のことに気付きやすいからな。どんな子なんだ?」

「見ればすぐにわかりますよ、人魚ですし。足の先っぽだけ魚の尾びれみたいになってるんです」


 イオの特徴を伝えるのは容易だった。黄色い服を着ているだとか、腰にステッキを装備しているとか、他にも言うことはあるが、それより足の特徴を話すのが手っ取り早い。


「なにっ!?」


 説明をした途端、クロノさんは深刻な顔をした。


「人魚……変な格好の男……」


 空を見て、一人でブツブツと何かをつぶやく。


「どうしたんですか?」


 明らかに人魚というワードに反応している。人魚そのものを疑っているわけではなさそうだし、不穏な感じが受け取れた。


「嫌な予感がする。人魚というのは未来でも希少な存在だ。変な格好というのがもしも未来人だとしたら……」

「イ、イオが……」


 全身がゾっと震え上がった。

 万が一、誘拐なんてことががあったら……。考えたくもない。


「何としてでも、止めなくてはいけない……」

「はい……!」


 探すべき目標が、俺自身から未来人に変わった。

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