2/4 体を探せ
本来の歴史でいるべき場所、最初に思い当たるのは富鐘邸の玄関だ。
念のためチャイムを鳴らしてみる。
「誰もいない……」
家族で映画に出かけると言っていたのだから、誰もいるわけない。
「友博君の言っていた通りね。でもここに元の体がないってことは……」
目元の大きなゴーグルを、クロノさんは人差し指でコツコツと叩く。
「俺なら……探すと思います。ここの家の主を」
自分のことだから、自分がどう動くかを考えるのは容易である。
「外にいるということか。分かった、これから町で聞き取りを行う」
「その格好でですか?」
レザースーツとゴーグルで黒に統一された姿は、まだ見慣れない。一応言う事を聞いてはいるが、不信感は拭えない。
「倉庫内に一応服とかありますけど」
「ダメだ。別の時代との干渉は最小限にしなくてはいけない。この時代のものを借りるなんてもってのほかだ。だから……」
クロノさんは腰に巻いていたベルトのボタンを押した。
黒のレザースーツはノースリーブとキュロットに変わり、バイザーは麦わら帽子に変形して頭上まで移動。一気に現代人っぽい身だしなみに変化した。
「おぉ……」
口がポカンと開いたままになった。
目の前にいるのは未来人、ハイテクな装備があって当然だ。この格好なら話しかけられても警戒しないだろう。
「聞き取りなんですけど、俺の写真は……」
「それも問題ない」
今度は一枚の透明なカードを取り出す。こちらに向けてカードをかざすと、カードに一人の顔が浮かび上がってくる。俺の顔だ。
「先ほども言った通り、この時代との干渉は最小限にしなくてはならない。そのルールは未来人の介入によってねじれが起きた君にも適用される。周りにバレないよう、決して声を発さず、私の跡をついてきてほしい」
クロノさんの背中は、非常に頼もしかった。
俺への確認を取らず、クロノさんは道路へと足を運ぶ。言われた通りに後をついているが、意思の疎通ができないとちょっと不安になる。
なにか意味があるのか、ただ闇雲に歩いているのか、足取りを追うなら自分に任せるべきではないのか。聞いていいのか分からない。
そうこう考えていると、一人目の通行人と出会った。ポーチを腰に巻いている老人だ。
「早速発見!」
目をキラキラと輝かせ、クロノさんは小走りで駆け寄る。
しかしその時、悲劇が起こった。
「うぎゃあ!」
途中で小石につまずき、足を滑らせてしまった。受け身の体勢を知らないのか、両手を斜め上に上げた状態で、見事に全身を地面に強打してしまった。
「いいいっっっ!!」
言葉にならない言葉が響き渡った。
「だいじょ……」
「大丈夫ですか?」
俺より先に、老人がクロノさんの元までたどり着いた。
「ええ、まぁ」
「おや鼻血が……」
あれだけ勢いよく転んだだけのことはある。鼻の中から出ているのではなく、鼻先の表皮が擦れて血がにじみ出ていた。鼻血に区分していいのか少し悩む。
他にも、膝や手のひらが若干赤くなっている。
「大変です。さぁこれを」
老人は、ポーチからガーゼとばんそうこうを取り出した。
「いえ、そんな……受け取れません!」
この時代のものを借りるなんてもってのほか――先ほどのセリフが頭をよぎる。普通は嬉しいはずの親切も、今回ばかりは困りものだ。
クロノさんは引きつった笑いを見せていた。
「何言ってるんですか、小さな傷口でも細菌が入って大きな病気につながることもあるんですよ」
しかし拒否権はない。ガーゼで鼻を拭かれ、ばんそうこうを貼られた。
古い漫画でしか見た事がないような姿に、腹の底から笑いが込みあげる。声を出さまいと、口と鼻を手で覆って笑いが過ぎるのを待った。
「ううっ! あ、あぁ……」
「はい、これで大丈夫です。急ぎの用事でも、むやみに走らないほうがいいですよ」
老人は穏やかな笑顔を見せて、去ってしまった。
「…………」
ぼう然とするクロノさん。頬がどんどんと赤くなっていく。
人前で転んだこと、現代のものを借りてしまったこと、俺について聞けなかったこと、いろんなことが重なっているのだろう。
「こ、こんなんじゃなかったのに……」
ドンッ、とアスファルトと強く叩く。
クロノさんの顔はくしゃくしゃになっていた。
続いてクロノさんは若い女性に声をかけた。
「この男性知りませんか?」
今度は転ばずにちゃんと目的を果たせた。まずは一安心である。
「さぁ? 知りませんわ」
上品な出で立ちの女性は、話し方もお嬢様のようだった。
「そうですか……ありがとうございます」
クロノさんはペコリと頭を下げた。
「人探しだったのですね。先ほど見知らぬ男性に声をかけられて……、また同じような目に遭うかと警戒してしまいました」
「は、はぁ」
適当に相づちを打つクロノさん。現代との干渉を最小限にするという観点から見ると、会話が長引くのも良くないのだろう。表情に苦しさが見える。
グウウウウウ。
「あっ、これは、その」
クロノさんがまたも頬を紅潮させ、おなかを抑える。
「ふふっ、恥ずかしがらなくていいですよ」
女性は目を細めて笑い、持っているカバンに手を入れた。
「どうぞ、これ」
カバンから取り出したのはフランスパンだった。
なんでこんなものが……しかも裸で。
「いえいえ! そんな!」
クロノさんは手を振って拒否をする。アメとかならまだしも、フランスパン丸ごと一本は困惑が勝る。
「ダメですわ。生き別れた弟さんを探すんでしょう?」
そんな話は一切していないのに、女性は真剣な眼差しをしていた。かなり思い込みの激しいタイプらしい。
「ちゃんと食べて、元気な姿で会わなくては」
そして、クロノさんの口に無理やりフランスパンを突っ込んだ。
「フングッ! フガフガ!!」
物理的に反論の道を閉ざされてしまった。全体の三分の一ほどが口内に入り、赤かった顔が青みを持ちはじめた。
「では、ご健闘を祈りますわ。ばんそうこうの方、決して忘れませんわ」
しかし、何食わぬ顔で女性は去ってしまった。
「ク、クソォ……!」
クロノさんはパンをなんとか取り出し、目元にたまった涙を拭った。
その後も捜索を続けるが、友博の行方に関する情報は全く手に入らなかった。
仕方ないので、公園で一休みすることにした。公園とは名ばかりで、砂場とベンチぐらいしかない寂れたものだ。
ベンチは木陰に作られているため、一休みするには最適である。
「成果ゼロか……せめて方向ぐらい分かればな。はぁ……」
クロノさんは深いため息をついてうつむいた。右往左往しながら探すのには、やっぱり無理があると言わざるを得ない。
「なんか……すみません」
舌上にほろ苦い味が広がり、唇をかみしめる。
「というか、俺が透明化する直前に戻るのは無理なんですか? そっちのほうが探しやすいと思うんですけど」
現状の方法には限界を感じる。もっと方向性を変えなきゃいけないと思った。タイムトラベル技術があるのなら、もっと活用すべきだろう。
「いや無理だ。いろいろあってな。いろいろ。歴史の修復が面倒くさくなるんだ」
クロノさんは顔を上げ、遠いほうを見た。
「そうっすか……」
寸分も納得はできないが、説明する気がないのは分かった。
SF作品ではこういったツッコミに読者を納得させる理屈を付けるのが定番なだけに、落差が凄まじい。
「えっと、そうそう、言えないんだ。こう……ルールで。別の時代への干渉を最小限にする必要があるからな」
突然、クロノさんの目が泳ぎ始める。頬を人差し指でかき、口笛を吹き、分かりやすく動揺していた。
「その割に俺が透明になった理由は詳しく説明してません?」
あまりにも不審だったので、話に踏み込むことにした。
「目の間で起こっている事象を納得させるための最低限の説明として、仕方なくだ。それに後で記憶を消すから」
「え? 記憶消すんですか? 記憶を消せるならいろいろある件も話してくれないんですか?」
話に筋が通っていない。
何を隠しているのが丸わかりだ。
クロノさんは、ダラダラと汗を流し、口をもごもごとさせていた。
「分からないんです!!」
そしてついに、鬼気迫る表情で怒鳴った。声が裏返り、顔をピキピキとさせている。
「授業受けたけど理解できなかったの! ごめんなさいね!!」
「すっ、すみません……」
肩がスッと上がり、縮こまった。完全に地雷を踏んちゃった……。
「はぁ……」
そっぽを向かれ、耳の裏が赤くなっているのが確認できた。
うすうす感じていたが、この人はあまり……優秀というわけではなさそうだ。
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