少し不思議な透明化

1/4 いやいやアルバイト

 この町では不思議なことがよく起こる。


 だが、今日ほど仰天した日はない。


「どうして……どうして!?」


 狭苦しい六畳の小部屋に、嘆いた声が反射する。


 机の上に置かれた紙幣を両手で持ち、天井に向けた。


 それでも目の前にある事実は変わらない。


 減っている。


 一枚、何度見ても一枚である。






 筋肉をこわばらせた友博は、志知間しちまのいる一階へと走った。


「おばさん! 俺、なにかした? どうして小遣い減ってるんだよ!」


 これまで毎月、お小遣いは二千円もらっていた。それなのに、今日置かれていたのはたったの千円であった。

 高校生が千円。大した娯楽がない祭風町に住んでいる点を踏まえても、少なすぎる。


「ん~っとねぇ~、半分はイオにあげたの」


 伯母はとぼけた顔で答えた。当たり前と言わんばかりの回答に、開いた口がふさがらない。


「なっ……! イオにあげるのは分かるとして、何でその分、俺のが減っちゃうわけ?」


 胸のむしゃくしゃの濃度が高まる。こんな理不尽なことがあってたまるか……!


「どうせアンタ使ってないでしょ。貯金するとかいって」


 伯母は動じない。だが俺もこれぐらいで抗議をやめる気はない。


「いや、それなりに使ってるって!」


 ただお金をためているわけではない。しっかりと資産運用をして、着実に元手を増やしている。そのための大事な収入源こそが、毎月の伯母からの二千円だったのだ。


「使うっていうのは、お金を消費するってことよ。こないだも嬢乙女さんの子に誘われたけど断ったんでしょう?」

「それはその……」


 確かに嬢乙女には、こないだ映画に誘われた。けれど、興味のあるジャンルではなかったし、そもそも町から出る必要がある。食事代まで考えると結構な出費だ。

 何から何までケチっているわけではない。ただ無駄な消費は極力避けたいだけだ。


 俺は決してケチじゃない。


「友博は何で貯金してるんだ?」


 結構大きな声を出していたいせいか、イオの耳にも会話が入ってしまった。


「ん? あぁ、話したことなかったな」


 興味ありげなイオを見て、ふと思い出した。

 貯金の理由どころか、貯金していること自体、この伯父と伯母にしか話したことがない。

 イオにもこのことを明かす、いい機会かもしれない。


「俺が貯金してるのは高校卒業後のため。ためた資金で一人暮らしするってわけ」


 オブラートに包まず言うと、とっとと祭風町から出ていきたいからだ。


 ド田舎で不便なことばかり、そのくせ変なことは頻繁に起きる、面倒くさいったらありゃしない。もともと両親と都会に住んでいた俺とは、ソリが合うわけがないのだ。


「でさ、この口座に、いろいろと詰まっているわけよ」


 俺はスマホの画面をイオに見せた。いわゆるネット証券口座である。口座ページの資産情報で自分の保有している資産を見ることができる。


「おぉ! すごい! これならずっと遊んで暮らせるな!」


 イオも生活をしていく中で、ある程度の金銭感覚はつかめているらしい。ここには月のお小遣いのほか、両親が残していった遺産も入っている。ずっと遊んで暮らせるほどではないが、日常生活ではまず目にかかれない金額なのは確かである。


「で! だからさ! たとえ千円でも俺にとっては貴重なものなんだ……!」


 話を戻すため、俺は伯母に体を向けた。

 総資産と比べたら大した金額じゃないかもしれないが、この積み重ねが着実な利益をもたらすわけである。


「そんなにお金がほしいならアルバイトすればいいじゃない」


 伯母には最後まで冷たくあしらわれた。






 アルバイトは大の苦手だった。多かれ少なかれ、人と関わらなくてはいけない。人見知りからすれば結構なハードルがある。特に接客業のように、毎回初対面の人と関わるのは嫌だ。かといって、ある程度顔見知りの人間と仕事をするのも気が乗らない。

 ろくな娯楽がないこの町では、アルバイト自体が限られている。大体の場合、商店街のお店の手伝いをしているそうだ。

 接客業かつ客と店員の距離が違いなんて、まっぴらごめんだ。


 それだけは避けたい、どうしても避けたい。


 死に物狂いで探した結果、やっと一つ、俺に合うアルバイトを見つけられた。


「まさかねぇ、いやぁすごいまさかだよ。資本家と労働者の関係になるとはね。十六歳にして。同級生と」


 富鐘とみがねがニタニタとした気味の悪い笑顔を見せた。

 そうだ、こいつは嫌みったらしい部分はある人間だ。顔と名前は覚えているが、特段仲良くなりたいとは思えない性格のクラスメイトである。


 しかし、彼は町の中でも一、二を争う富豪だ。今いる玄関だけでも、うちの何倍も広いし、奇麗だし、格が違うのがすぐにわかる。


「仕事内容は分かってるな? 一応確認しておきたい」

「大丈夫だよ。ここの庭にある倉庫の物を外に出せばいいんだろ?」


 富鐘邸の庭から少し離れた所に大きな倉庫がある。うちの物置小屋とは違う、ちゃんとした倉庫だ。


「その通り。だいぶごった煮になっているからね、友博がやりたいといって助かったよ」


 終始、上から目線の富鐘がうざったいが、ここは耐えるのみである。これでも、この町では一番良い条件のアルバイトなのだ。


「これから僕は家族で映画に行く。何かあっても対応できないから何も起こさないように」


 何が良いかというと、一人で行えるアルバイトなのだ。

 周りに誰もいない状態で仕事を黙々と行える、こういうのをずっと探していた。それでいてもらえるお金もそれなりだ。


「ちなみにこの映画を見に行く。もちろん一人分余っているなんてことはないから、あげられないけどなぁ」


 見せてきたチケットには『カップルで見るのにちょうどいい恋愛映画・ザ・ムービー』とあった。

 嬢乙女が誘った映画と同じヤツだ。一度見たら忘れられない強烈なタイトルの、身もフタもなさそうな映画だ。


「いや……別に興味ないからいらないよ」


 その代わりに突っ込みたいところは山ほどある。でも口にはあえて出さなかった。






 それ以上富鐘は何も言わず、去っていった。

 後は一人でのんびりと作業をするだけだ。特にノルマもないので、必要以上に頑張らなくてもいい。

 五分ほど歩いた先に倉庫はあった。富鐘邸自体の外装は奇麗な状態を保っていたのに対し、倉庫はろくに手入れがされていないようだった。


「不用心だなぁ……」


 さらに扉は鍵どころか、閉まってすらいなかった。庭に入ることがめったにないのかもしれないが、防犯上良いとはいえないし、せっかくの南京錠も意味がない。


「うっげぇ……」


 電気を付けて中を見ると、その物量に圧倒される。どう見ても一人で作業しきれない。

 物量に関しては、一日で全てを外に出すわけではないが、運ぶことすら難しいものも何個か見受けられる。


 一目見ただけで、胸やけがしそうになった。






 仕方なく運べるサイズの物を、チマチマと外に出していた。

 これが正しい選択なのかは分からない。だが、現場監督がいないような作業である以上、自由にやっていいと判断した。


 異変に気付いたのはしばらくしてからだった。


 ふと自分の腕に目を向けると、本来は見えないはずのものが見えていた。


「うわあああっ……!」


 骨だった。服の袖が透け、皮膚が透け、筋肉が透け、中心で体を構成する骨が見えていた。腕だけではない。全身がどんどん透明になっていく。


「透明人間になっちゃったよぉ!!」


 異様な事態に体が震え、寒気が走る。一体どういうわけなのか、何か変なものに触ってしまったのか。

 直前に持っていたのはただのダンボール箱、これが関係あるとは思えない。


「あらあら、大変ね」


 その時、奥から変な声が聞こえた。


「誰だ!?」


 それまでいなかったはずの場所に、一人の女性が立っていた。


「落ち着いて。私は味方よ」


 女性がゆっくりと近づいていく。全身黒いレザースーツで、スキーゴーグルのようなもので目元を隠している。いかにも怪しい。味方と言われても警戒せざるを得ない。


「私の名前はクロノ・スミレ。端的に言うと未来人よ」


 クロノと名乗った女性は、両手を上げて無抵抗の意思を示してきた。


「あなたの体に起こっている異変……、それは未来人がこの時代に来てしまったせいなの」


 クロノさんはにんまりと口角を上げた。


「あなたのせいですか?」

「いや私じゃない! あぁもう、どこから説明するかのマニュアルとかあればいいのに……」


 クールな様子は一瞬で消えた。頭を抱えたクロノさんは、しばらくの間、考え込むように固まってしまった。


「まず未来では、タイムトラベルの技術が普及して、誰でも過去や未来にいけるようになってしまったのよ」


 やっと話がまとまったらしい。よほど自信があるのか、鼻の穴を広がっていた。


「でも時間の流れというのはね、ちょっとしたことでも変わってしまうの。今、あなたの体が透けているのもその一つ。未来人の介入によって本来いる場所とは違う場所にいるせいで起きている、肉体位相バグと呼ばれているわ」


 ゆっくりと落ち着いてクロノさんは話し続ける。


「そして私は、そういったバグを元に戻す仕事をしているの。分かった?」

「う~ん……」


 分かったようで、分からないような。本来いる所と別の場所にいる状況になるのはわかる、そこから透明人間になるのが飛躍しすぎである。

 とはいえ、実際に透明になっているのだからその理屈は受け入れなくてはいけない。


「俺はどうすればいいんですか? 元に戻るために」


 それより大事なのは元に戻る方法だ。ずっとこのままで暮らすのは不便すぎる。


「あなたが透明になった代わりに、あなたが本来いるべき場所にあなたの体が動いているはずなの。それを見つけて重なれば元に戻るわ」

「つまり……、もう一人の俺を見つければいいんですね?」


 尋ねると、クロノさんは無言でうなずいた。だいぶ話の筋が見えてきた。


「でもどうやって……。いや、それ以前に、未来人と介入した覚えがないんですけど。クロノさん以外と」

「だから私は関係ないって……。別に直接関わらなくてもいいのよ。ここで時間の移動をした痕跡が見られるから、何かしらのことをして、あなたの行動に影響を与えているはずなの」


 クロノさんは不敵に口角を上げた。


「何か異変はなかった? ここに来た時、または来てからの間」

「異変ねぇ……」


 直接じゃないと言われても、そこまで違和感のある出来事があっただろうか。透明になり始めた時を起点に少しずつ記憶をさかのぼる。


 物を外に出し、明かりを付け、倉庫の中に……。


「あっ……! 倉庫が開いてた!」


 頭に電流が走ったような感覚だった。南京錠があるのに外されていた。そのおかげで今俺は倉庫の中にいる。


「それね。未来人は倉庫の中にタイムスリップした後、鍵開け機で鍵を開けてここに出たのだわ!」


 指を鳴らす音が倉庫に響いた。


「本来の歴史では鍵を取りに戻っていたのに、鍵が開いていたせいで戻らなかった、これならバグが発生してもおかしくないわ」

「それだけのことで……」

「言ったでしょう、時間の流れはちょっとしたことで変わってしまうって」


 クロノさんの口調は、非常に重々しかった。


 時間の流れ……その繊細さに鳥肌が立ってしまった。

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