2/3 怪しい怪しい球体
右側の壁が壊され、ホコリが巻き上がる。天井には大きな穴が開き、紺色の中にこまごまと輝く星たちが見えた。
「イタタ……」
濁った視界の奥から聞こえた声には、聞き覚えがあった。
「イ、イオ?」
「おお友博! 偶然だな」
舞ったホコリが収まり、落ちたモノの正体がはっきりする。そこにいたのは、想定通りの人物だった。
「偶然というか……奇跡だな」
もし上から押しつぶされていたら……考えるだけで恐ろしい。一歩間違えれば死んでいた。もし神様が存在するならば、今生きていることを感謝しなくてはいけない。
「それより何で空から落ちてきたんだよ」
「実は安奈たちとハグれてしまった。空を飛んで探していたのだが時間切れになってしまってな」
イオが空を飛ぶ方法と言えば、ステッキぐらいしかない。ステッキを振ることで宙に浮けるが、十分程度しか効果がなかったはずだ。
「そうだったか……」
最初は理解できなかった状況も、説明を聞けば納得だった。
少し視野を広げると、イオの周りは崩れた壁に、壊れた天井、下にはその破片がえげつないほど落ちている。
「まぁそれは置いといて、こっから逃げないとな……」
責任は持ちたくない。人が集まらないうちに離れよう。
トイレを出た先に、ちょうど裏口があったおかげで、すぐさま外に出ることができた。
ここも隠れスポットらしく、人がいない。このまま森を周って再度入口から入れば、うまくごまかせる。
「まずはいいかな……」
念のために周囲を見回す。何度確認しても他に人はいない、大丈夫みたいだ。
「友博、キャッチボールしよう」
のんきなセリフが横から入ってくる。こちらの警戒なんてお構いなしだ。
「何で……ってそれ持ってきたのかよ!」
振り向くと、イオは詳細不明のあの球体を持っていた。トイレから出る際に置いていったのに、いつの間に……。
「うん。楽しそうだし」
イオは球体を右手に持ち、肩を引く。キャッチボールをする気満々であった。
「まだやるって言ってないぞ! だいたいイオは嬢乙女たちを探してるんじゃかったか?」
「そう。探しても見つからなかった!」
体勢を維持したまま、イオは言う。
「だから探さなかったら見つかる! 命題と証明ってやつだ! さぁキャッチボールをしよう!」
何もかも間違っている。教えるのも面倒くさい。
「そう……。いいよ、キャッチボールね」
どうせ暇だし時間をつぶすにはちょうど良い。キャッチボールをするにはやや硬い気がするが、重くはないので、キャッチボールをしてもケガはしないだろう。
「いくぞーっ!」
イオがボールを投げようとした、その時だった。
「イオちゃ~ん!」
手を振ってこちらに向かって来る人影が見える。人影が近づくほど姿がはっきりと見えて来る。俺も知っているクラスメイト、嬢乙女だ。
「んん?」
嬢乙女を見つけたイオは口を大きく開け、ピョンピョンと飛び跳ねて彼女のほうに向かった。キャッチボールは一回も行われず終了してしまった。
「やっと見つけた! すごい音したからイオちゃんじゃないかなぁ、って思ったらその通りだったよ!」
嬢乙女もイオに負けないほどの笑みで、彼女の頭をなでた。
「すげえ……」
まさか本当に探さないほうが再会できたとは……。嬢乙女も探しているという前提なら、イオは動かないのは正解だったかもしれない。
「何してたの?」
「別に何もしてない。俺は戻るからじゃあな」
嬢乙女は多分他の女子と合流する気だろう。だったら俺はお邪魔虫だ。
友博は逃げるように二人の元から去っていった。
銀色に輝く細かな模様が美しい。細部まで計算しつくされたであろう人工的な造形は、いつまで見ていても飽きない。
しかし一点だけ、上部に描かれた数字だけが不自然で気になる。これをどうにかして、外せないだろうか……。
「ねぇイオちゃん」
安奈が声を掛けてくる。ボールを眺めながら歩いていたせいで気付かなかったが、いつの間にか森を抜け、露店に戻っていた。
楽しそうに人間が往来する。前を向かないとぶつかってしまいそうだ。
「ずっと気になってたんだけど……それなぁに?」
安奈はボールを指差し、首をかしげる。
「トイレで拾った、奇麗だったから」
「まぁすごい」
安奈もこのボールの魅力を分かってくれたようだ。
「最初は友博が持っていたんだが、トイレに置いて帰るみたいだったから、私が拾ったんだ」
こんな奇麗なものを捨てるなんて、友博は実にもったいないことをする。
帰ったら家に飾ろう。球体型ですぐに転がってしまうので、透明な箱に入れて飾ろう。
「ふぅん」
安奈は露店のほうを見ながら返事をした。
会話が終わると、鼻に食欲をかき立てる臭いが入ってきた。油分と肉が混ざったこってりとした感じは、想像だけで味覚を刺激する。
「……?」
ちょうど隣にあったフランクフルトの臭いだ。よだれが舌から湧き上がるが、ゴクりと飲んで我慢する。
「友博も一緒に来ればよかったのにな」
森にいてはフランクフルトの臭いを嗅げない。本当に今日の友博はもったいないこと尽くしだ。
「男の子には男の子の世界があるってことね。私たちは私たちで楽しめばいいのよ。何か食べたいものあれば後で私がおごってあげる」
「う~ん、全部だけど……」
焼きそばやフランクフルトのようなものから、チョコバナナやわた菓子まで、どれもこれも食べたいものばかり。選ぶのが難しいが、全部食べるなんてのはちょっとずうずうしい。
「う~む」
悩みながらさらに歩き続けた。
決断ができないまま、藍、朱音の元までたどり着く。
「ごめ~ん、待った~?」
彼女たちの姿を見つけると、安奈は手を振る。私も左手を大きく振った。藍と朱音も手を振り返してくれた。
「ん? 友博?」
見間違えかと思い、目を細めて確認する。
「…………」
藍と朱音の後ろには、確かに友博の姿があった。
よくよく考えると、俺は森から町会館入口の道のりを知らない。何も考えず走ったせいで、道に迷ってしまった。
たまたま同級生と出会い、それが嬢乙女やイオを待っているという偶然には、感謝しなくてはいけない。
そろそろ第一ラウンドが終わるだろうし、一緒に結果見ちゃいましょう――という嬢乙女の鶴の一声により、俺も女子集団に付いていくこととなった。
それはそうと、あのゲームをラウンド制にするのは理解に苦しむ。
「ああっ……! ジャガー・サンが!」
ホールに入った瞬間、イオは顔をしかめた。
「イオはあの人応援してたわけ?」
すごろくは三人が接戦の中、ジャガー・サンだけがふりだし付近でウロウロしている。ふりだしに戻る、場所交換、などといった理不尽なマスがあるため、こればかりはしょうがない。
「うん。でもここからきっと逆転できる!」
「いやさすがに……」
目を輝かせているイオには申し訳ないが、夢の見すぎと言わざるを得ない。そんな都合のいい展開が来たら世の中苦労しない。
「問題!」
アシスタントの大きな声が会場に響く。終盤の局面だからか、若干の緊張が解答者たちには伺える。イオも口を閉じてじっと彼らのほうを見ていた。
「うろたましらう、逆から読むと?」
クイズなのか? ボケ防止の脳トレなのか? 相変わらずの問題に、体の力が抜けて知った。
解答者たちは問題文をぼそぼそと復唱し、答えを探る。
最初にボタンを押したのは、イオが賭けている解答者、ジャガー・サンだった。
「うらしまたろう」
「正解!」
「うおおおおおー! いけいけー!」
会場が沸き上がる中、特にイオはガッツポーズを取ってしゃいでいた。すごい熱中具合だ。下手すれば力動たちよりハマっているかもしれない。
ジャガー・サンは喜びの声を上げながら、サイコロを振った。
「サイコロは4! ということは〜! 場所交換!」
場所交換マス――最初の問題でも見たマスだ。
「一位の長須賀さんと場所を交換しま〜す!」
ジャガー・サンはふりだしから一気に進み、ゴール一歩前のマスまで来た。
場所交換マスは、基本的に最下位の人と場所を交換するのだが、最下位の人が止まった場合のみ、一位の人と交代するらしい。
理不尽故に最後まで結果が分からない、実に恐ろしいすごろくである。
「一気に大逆転しました! さぁ次はどうなるか!? 問題!」
再びアシスタントの声が響き、会場も静まり返った。
「歩行者用の信号機、上にあるのは赤? 青?」
まさかの二択問題。これには解答者たちも早押しクイズらしくボタンを叩く。
接戦の中解答権を得たのは、またもジャガー・サンだった。
「青?」
「……あーー、残念不正解!」
ピンポーン! と、再度ボタンを素早く押す。
「赤!」
「……正解!」
本当に展開が読めない。早押しクイズなのに二択問題。二択問題なのにお手付きなし。その結果、二連続で早押し勝負に勝ったジャガー・サンが見事ゴールにたどり着いた。
「やったあああ! わーい! わーい!」
満面の笑みを浮かべながら、尾びれを床に叩きつけてイオは飛び上がった。
偶然を通り越して奇跡にしか思えない。急な展開に心にぽっかりと穴が開いた気分だった。
こんな偶然があって良いのか? 神の手によって何か操作がされている気分だ。
「さっきからイオの言った通りに……ん?」
ふとこれまでのことを思い出した。
イオのダービー予想が当たったこと、イオと嬢乙女が再会できたこと、どちらもあり得ないと思っていたことが真実に変わった例だ。
そしれ俺自身も……話し相手がほしいといったそばからイオが落ちてきた。
これらの出来事には、ある共通点がある。
ふと、イオの持っている球体に目線を向けた。
「まさかな……」
偶然で済ませるには無理がある。
まさか、あの球体は……、願ったことを実現する力があるというのか……?
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