2/3 ビビリな悪魔のビビリアル

 イオが来たせいで午後の授業は全然頭に入らなかった。


 今はどこにいるのだろうか。下手なものに首を突っ込まぬよう、廊下で大人しくしていろと言っていたが、五限の終わりには既にいなかった。


 良くも悪くも、イオは常識が通じない面がある。せめて言ったことぐらいは従ってほしいのだが……。


「ぎゃあああああああああぁ!!」

「でたあああああああああぁ!!」


 廊下の奥から、イオともう一人別の叫び声が聞こえた。


 その方向を見ると、普段使われていないはずの空き教室から、妖しい光が漏れていた。

 一体何が起きているんだ……。


 友博は顔を深刻にゆがませ、空き教室へ入った。






「イオ!」


 手前の戸を引いた先には、イオが尻もちをついておびえていた。


「ととと、友博! 出た出た! 悪魔が出たぁ!!」


 涙目で震えながら、何かを指を差している。薄暗くてよく分からないので、電気を付けた。


「足がぁ、足がぁ……! 人魚!? 人魚なのか!?」


 悪魔……と思わしき人物は、魔法陣のような模様の上に、同じく尻もちをついて寄りかかっていた。イオ以上に泣きわめき、体を震わせていた。


「おまえは驚くなよ……」


 こっちからしたら悪魔も人魚も大して変わらない、空想の生物という分類である。この町の人間が人魚をいとも簡単に受け入れているというのに、悪魔が驚いているのには納得がいかない。

 確かに尻尾や羽はあるが、威厳がなさ過ぎて本当に悪魔なのかはなはだ疑問である。


 嫌疑の目を向けていると、後ろから男の声が聞こえてきた。


「うおおおおおっ!! 悪魔だ!! 本当に呼べたんだ!!」


 あまりの声量に思わず振り返ると、ほっそりとした背の高い男がいた。


「不二君? 不二君かい!? 悪魔を呼んだのは!」


 男は前髪で目が隠れていて、顔がほとんど確認できない。だが、口元が常にゆるんでいる上、

 肩も震えていて、興奮しているのは伝わる。


「いえ、俺は……」


 状況からしてイオが呼んだとしか思えないので、イオに手を向けた。


「そうか! 君か! 確かイオ君だったね」


 鼻息を荒くしたまま、男はイオに近づいた。


「友博、誰だ?」

「えっと……」


 ヤバい、知らない。

 でもこの声は聞き覚えがあるし、俺やイオの名前を知っていた。クラスメイトだと思われるが、全く名前が出てこない。


「せっかくだから、イオに自己紹介してあげてくれる?」


 とりあえず、本人に名乗らせるよう促した。


「むっ。それもそうだね。僕の名前は岡登おかと魔夜まや。悪魔とか好きでここでこっそりいろいろやってるんだ。不二君とはクラスメイトで、時々話すぐらいの仲だ」


 一度も話した記憶がないが、それはどうでもいい。目の前の難を乗り越えられたので十分だ。我ながら良いそらし方をできた。


「あのぉ……、そろそろよろしいでしょうか?」


 物凄い低姿勢で話に入ってきたのは、例の悪魔だった。体格の大きさからは想像もできないほどに縮こまっている。イオのことも心の整理がついたらしく、涙の跡は残ったままだが、最初の動揺は大分消えている。


「あぁ! そうだそうだ! 本題に入ろう! イオ君はどうやって悪魔を召喚したんだ?」


 岡登は腰を落としてイオと目線を合わせた。


「これを読んだだけだぞ。ルァーゴ・ルリャ・ラューズドムって」


 イオが手にしていた本は『魔の秘伝書』というタイトルで、いかにも胡散臭い。だが岡登のほうは困惑した様子で両頬に手を当てた。


「そんな! 僕が何度やってもダメだったのに……!!」


 事の経緯はだいたい把握できた。岡登が悪魔を呼ぶためいろいろ準備していたところを、イオが先に呼んでしまったのだろう。


「それに関してですが、私のほうに心当たりが……」


 悪魔がゆっくり、控えめに手を挙げた。


「やっぱり発音だろうか。日本語にはない発音だし……」

「そうだな。本にも正確に行う必要があるって書いてたし」


 しかし、またも無視をされてしまう。岡登は本当に悪魔に関心があるのか?


「……私もそれだと思います」


 その上、二人に言いたいことを全て言われてしまったらしい。何だか悪魔がふびんに思えてきた。


「今度こそそろそろ……」

「友博はどうしてここに来たんだ? 授業は?」

「今更かよ! もうとっくに終わったからおまえを探してたの!」


 話が一向に進まない、わざと逸らしているのか? 苛立ちは足を震わせ、頭をのぼせにかかってくる。


「そっか、一緒に帰りたがってたもんな。私も同じだ」


 イオの言い方は誤解を招きかねないものだった。背筋に力が入り、勝手に胸が張ってしまう。


「俺は別に一緒に帰りたくないけど、他の人に極力迷惑かからないように一緒に帰るの」


 口を開くたびに変な汗が毛穴から吹き出てくる。こっちは仕方なく一緒に帰るのだ。

 一人で外を歩いては何のトラブルを起こすか分かったものじゃない。既に悪魔を勝手に召喚してしまっているし、嫌な予感はさらに強まる。


「それは、一緒に帰りたいってことだろ?」


 イオは首をかしげるだけだった。


「都合いいやつ……」


 もう何を言ってもイオは分かってくれないだろう。一緒に帰らざるを得ない、という概念をそもそも持ち合わせていない可能性もある。


「さ、帰ろうか」


 イオは手を伸ばしてくる。これ以上面倒事に関わりたくはないし、イオも無事である以上、ここに居る理由はない。


「ダメです!! 待ってください!!」


 伸ばされた手を握ろうとした瞬間、悪魔がはち切れそうな声で叫んだ。


「その……私を呼んでいただいたのであれば、契約をしてほしいんですけど……」


 悪魔は顔をうつむかせ、もじもじとしている。これまで会話に混ざろうとしていたのは、契約の話をするためみたいだ。


「契約? 何をするんだ?」


 イオは興味を示し、顔を明るくさせた。どうやらまだ帰れなそうだ……。


「何か今望んでいるものとか、ないです?」

「う~ん……。ないな、別に」


 あっさりと話の腰が折れた。


 悪魔は目元に大きな水玉をため、ポロリと床に落とした。


「そういうことではなくぅ……!! ううっ……!」


 一粒流れたのをきっかけに、涙がどんどんあふれていき、止まる気配がない。崩れ落ちて悲しむ姿はいたたまれない。本人にとっては、相当深刻な問題らしい。


「私ぃ……久々に呼ばれたから……! ここで絶対契約成立させないとマズいんですぅ……!!」


 震えた声は、場の空気を重くさせるのに十分な力があった。イオの顔まで険しいものにさせている。


「事情を、詳しく話してくれるかな?」


 岡登がしゃがみ込み、悪魔と目線を合わせる。ちゃんと興味はあるらしい、ここまで悪魔のイメージが壊れていても。


「悪魔界にもノルマってものがありまして……、私、もう何十年も達成できてないんですよ……!」


 悪魔の声は、どんどん不安定になっていく。


「これまではそもそも呼ばれないってことで首の皮一枚つながっていたのですが、呼ばれてしまった以上、絶対に契約を取らなきゃいけないんです!!」


 契約を取る大変さは、昔営業の仕事をしていた母親からよく耳にしていた。人間社会のそれと同じ類のものでないにせよ、悪魔社会でも似たようなことで悩み、苦しんでいる者がいるようだ。


「ね? ささいなことでもいいんです。どうにかご契約を……」


 悪魔は土下座した。契約が取れない恐怖というのは、ここまで切羽詰まるものなのだろうか。へりくだりすぎたその姿は、心が妙にズキズキとする。


 イオも心打たれたようで、眉をひそめている。


「……分かった。何か頼むよ、何がいい?」


 とイオが言った瞬間、悪魔は目の色を変えた。


「良かったぁ! では先にサインのほうを」


 ニコニコとした笑顔を見せながら、契約書とペンをどこからともなく取り出した。

 急に表情が固定された姿は、どうもうさん臭い。


「コラコラ!」


 サインが書かれる前に、俺はイオと悪魔の間に割り込んだ。


「ん? どうした?」


 イオは自分が危険な道に渡りかけたことを全く気付いていなかった。


「ちゃんと契約見ないと! 先にサインなんて怪しすぎ!」


 細かい内容を話さず契約など言語道断である。この悪魔、かなりあくどい。かわいそうな雰囲気を醸し出していたが、油断できない。もしかしたら、これまでの悪魔らしくない態度が全て演技の可能性もある。


「それに……悪魔の契約って言ったら魂が相場なんだよ。要は死んじゃうわけ。簡単に頼むものじゃないし……」


 友博は目を鋭くして、ビビリアルに警戒の姿勢を見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る