少し不思議な悪魔

1/3 イオ、初めての学校

 学校というものを初めて見た。


 話で聞いていたものより遥かに大きく、禍々しい。硬く冷たい人工的な壁に覆われ、正面の出入口は鉄柵で安易に侵入できないようになっている。

 出入口は特定の時間だけ開き、その時だけ出入りが許されるしい。今はその時間帯ではないようだ。


 普通なら侵入は不可能だが、私には魔法のステッキがある。

 常備しているイチゴジュースを一口飲み、ステッキを一振りした。

 体が一気に軽くなり、膝が地面から離れる。慣れてしまえばバランスを取るのも簡単だ。

 空を飛んでしまえば鉄柵などなんの障害にもならない。ステッキを手に入れられたのは運がいい。


 これで、友博の元にお弁当を届けることができる。






 志知間しちまによると、友博のいる教室には〈1―1〉という表札があるらしい。


 各部屋の前には日本語や数字が書かれている。おかげで、いちいち中に入る必要もなく、サクサクと部屋を調べることができた。


「見つけた!」


 数分もかからず、目的の教室に着いた。友博もそれほど待たずに済んだはずだ。

 扉の奥ではいくつかの明るい声が混ざって聞こえて来る。外観に反して、学校というのは各々が楽しめる場所のようだ。


 ゆっくりと引き戸を開けると、多種多様な食べ物が一気に鼻に入り込んできた。揚げた油に肉や魚、小麦、そして塩の匂いもする。

 舌の上によだれがにじみ、おなかからうなるような響きを感じる。


 ほどんどの人が、愉快な顔をして複数人で食事する中、友博だけは窓際の席で頬づえを付いていた。

 この空間で食べ物を口にできないなんて拷問そのものだ。すぐにお弁当を渡さなくては。


「友博ー! 待ってたかー!?」


 教室の奥でもしっかりと聞き取れるよう、おなかの底から声を出した。


「げっ、イオ!」


 声に気付いた友博は、一瞬だけこちらをぎょっと見た後、再びそっぽを向いた。


「お昼ご飯忘れてただろ!」


 こっちを向いてくれる気配がしないので、自分から友博の元に近づいた。


「…………」


 視界に入っているはずなのに、友博は無反応だった。顔の前で手を振るが、結果は変わらない。


「えっ待って待って!」


 と、声を上げたのは友博ではなく、隣にいる女だった。


「ほらほら……騒ぎになっちゃったし」


 友博から深いため息が出る。


 確かに、周りを見るとみんな私の方を見ている。鋭く新鮮なまなざしが集中している。


「おい友博、誰だよこの子! イオって呼んでたよなぁ? えぇ!? どういう仲なんだ!?」


 今度は前の席に座っていた大柄の男が叫ぶ。鬼気迫る顔をして、友博の肩に腕を置いた。


「……いろいろあって今ウチにいるんだ。足見ればわかるけど一応人魚だ」


 友博の額は少し青くなっていた。

 人魚であることを友博が明かすと、周りの目はさらに一点に集中する。


「わー! ほんとだー!」


 先ほどの女はさらに目を輝かせ、興味津々の顔をして私の尾びれを指差した。

 人魚であることを示す最大の特徴――私自身、最も誇らしいと思っている部位だ。それを見とれられると、こちらも悪い気がしない。


 そこで、体を「く」の字に曲げて尾びれを上げ、みんなに見てもらうことにした。


「キャーー!! かわいいー!」

「ねぇねぇ、不二君って家だとどんな感じなの?」

「触ってもいい? 触ってもいい?」


 今度は別の女たちが黄色い声で叫び、近づいてくる。


「そんな一度に言われても……」


 内容はほぼ聞き取れなかった。期待には応えられない。周りの人間の視線を順番に眺めるが、どうしていいか分からず、体は縮こまるばかりだった。


「友博! どうすればいい!?」


 居ても立っても居られなくなった時、頼れるのは友博しかいない。


「はいはい……。とりあえずみんな落ち着いてくれ。状況が整理できない」


 露骨に嫌がる態度を見せながらも、友博は私の前に立ってくれた。


「だいたい、何で来たんだよ」

「弁当忘れてただろ? だから持ってきた」


 学校に来た目的――風呂敷に包んだソレを掲げる。友博が満面の笑みをする姿を思い浮かべると、自分の口角まで上がってしまった。


「はぁ……。別にいらねぇって、一食ぐらい抜いたって平気だし」


 しかし、友博はそっけない反応で、再び自分の席に戻ってしまった。


「いらないのか? 私が作ったんだぞ?」


 口元の力はスッと抜けてしまった。四苦八苦して作った、初めてで何もかも分からず作ったお弁当。全ては友博に食べてもらうために作ったものだ。


 なぜだか急に、心も重くなる。


「可哀想ー」

「やっぱり薄情なんだなぁアイツ」


 外野の声が右から左に突き抜ける。にぎやかな教室が、少し静かになってしまった。


「……いや、食うことには食うけど!」


 友博はまたも私の元に来て、顔を赤くしてお弁当箱を受け取った。

 風呂敷を開け、三段に重ねられた黒い正方形の箱が机の上に降臨する。


「デカいとは思ってたが……重箱て」


 家にあったお弁当で最も大きいものを選んだだけあって、友博は眉間にしわを寄せて喜んでいた。


 本来、お弁当というものは朝の短い時間で作らなくてはいけないらしい。そのため、朝に志知間が作っていたお弁当は、箱一段分にも満たない、小さなものであった。

 だが、昼時に届けるのであれば、午前中を存分に活用できる。「せっかくだからイオちゃんが作ってみる?」と提案してくれた志知間にも、帰ったらお礼を言っておこう。


「すっごーい」

「愛されてるねー」


 賛美の声が耳から入ってくる。つかみはオッケー、といえるだろう。


 友博は一段目を開けた。


「玉子……だけ……?」


 一面に敷き詰められた黄色と白のグラデーションに、友博は驚いていた。

 卵をフライパンに落とす、火を付ける、卵を混ぜる。工程自体は単純だが、奥が深い。フライパンにこびりついた卵を取るのは大変だったし、卵の数が少なければスカスカで見栄えが悪い。本格的な料理だけあって、一筋縄ではいかない代物だ。


 友博は二段目を開けた。


「ソーセージだけ!?」


 一面に敷き詰められた艶のある赤茶色の棒肉たちに、友博は驚いていた。

 棒状の肉をフライパンに落とす、火を付ける、程よく焦げ付くのを待つ。工程自体は単純だが、奥が深い。適度に転がさなくては熱の通りが均等にならないし、皮が破れて油がこちらにはねることもあった。本格的な料理だけあって、一筋縄ではいかない代物だ。


 友博は三段目を開けた。


「唐揚げだけええぇ!?」


 一面に敷き詰められた形と大きさがまばらな狐色の塊たちに、友博は驚いていた。

 商店街に行く、お肉屋さんで注文する、お弁当箱に敷き詰める。工程自体は単純だが、奥が深い。商店街が込んでいたら昼に届けられない可能性もあったし、入れる順番や場所を工夫しなければスカスカで見栄えが悪い。本格的な料理だけあって、一筋縄ではいかない代物だ。


「どうだ? 男子高校生の好物をいっぱい入れておいたぞ」

「どこで調査した……。それに、米はどうした米は!」


 友博は手を震わせながら、ゆっくりとこちらをにらむ。むっすりとした顔は、思っていたのと少し違う。


「米? 米が好きなのか?」


 志知間はそんな事全く言わなかった。だが思い返すと、毎日のように食べている。

 あまりにも好きすぎて、当たり前という感情に分類されていたのだろうか。


「運動会みたいだね」

「ククッ……良かったな! 良かったなぁ友博……!!」


 周りの人たちは皆ニヤニヤと笑みを浮かべて喜んでいる。友博の好みとズレてしまった部分はあるが、初めてのお弁当作りはおおむね成功と言って良さそうである。


「まぁ無いよりはいいけど……ところで箸は?」

「箸?」


 箸はお弁当箱に詰める際に使った。出かける時も、箸箱に入れたものをちゃんと一緒に風呂敷に包んだはずだ。


 その後は……から揚げを詰める時に使った。それで……そのままお肉屋に……。


「うん。忘れた」


 青白かった友博の顔が、さらに白くなった。






 午後になると学校では授業というものを行う。将来につながるさまざまなことを、十代の人間たちに教えるそうだ。

 急に堅苦しい雰囲気になってしまい、友博たちと話をするのも難しい空気である。


 用自体は済んだので、家に戻ってもいい。だがせっかくなので、一緒に帰りたい。友博と約束をし、授業が終わるまでの間、学校内を探索することにした。


 昼時とは打って変わって、静けさが場を支配している。教室内から時々声は聞こえるが、笑い声のようなものはなく、堅い雰囲気は廊下からでも感じ取れる。

 もっと自由でのびのびできる場所はないか、私の肌感に合う場所はないか。


 そんなことを考えていると、明かりのついていない部屋を見つけた。


 周りと比べてもどんよりとしていて、使われている形跡がない。


 これは……なんだか面白そうだ。






 中に入ると、案の定誰もいなかった。


 薄いカーテン越しに、わずかな光が差し込むぐらいで、部屋全体がどんよりとしている。

 机が隅のほうに追いやられていて、床には謎の模様が書かれている。巨大な円を基盤とし、その中に円と正多角形の組み合わせが無数に描かれている。一体何の目的でこれを描いたのだろうか。


 模様の隣には一冊の本が置いてあった。


「魔の秘伝書……?」


 怪しげな日本語のタイトルは、背中をソワソワとさせる力があった。






 要するに、この部屋では悪魔召喚の儀式がされているようだ。


 本によると、悪魔の召喚には魔法陣と呪文の二つが必要で、それらは寸分の狂いも許されないほど、精巧に召喚する必要があるという。


 召喚の話は、人魚の村にいた頃に聞いたことがある。この手の本は大抵デタラメで、悪意のある人が詐欺目的で作成されているそうだ。再現するのは難しい、といった文面がある本は特に怪しく、召喚できないことを嘆く購入者に、さらに別の商品を売りつけるのが目的らしい。


 十中八九この本も怪しい。知らない人間からすれば、自分自身に原因があると思い込ませてしまうのだから、言葉の力は恐ろしい。


 呪文の下には、カタカナでの発音表記が手書きされている。涙ぐましい努力が全て無駄だと思うと、胸のあたりが痛んでくる。


「ルァーゴ・ルリャ・ラューズドム」


 こんな言葉を発しても、悪魔など召喚できるはずないのに……。


 と思っていたのだが、呪文と連動するように、床に描かれた魔法陣が妖しく輝き始めた。


「えっ?」


 併せて煙が立ちこみ、部屋全体に白いもやがかかる。前がほどんど見えない中、その奥に微かに人影ようなものが確認できた。


「ひれ伏せ! 我が名は焔界えんかいの番人! ビビリアルぞ!」


 煙が立ち消えると、とげとげしい黒と金の衣装を来た者が後ろを向いていた。背中にコウモリの翼、腰に先のとがった尻尾。滑らかに動く様子は、それが造り物でないことを語ってくれる。


「ん? こっちだったか」


 召喚されたヤツは不敵に笑い、鋭くとがった歯を見せる。雲のように白いそれは、牙のように思えた。


「我が名はビビリアルぞ!!」

「ほ、ほん、もの……」


 確信した。悪魔だ……本物の悪魔だ。


 膝がガクガクと震え、立てなくなってしまった。ドシリと尻もちをついたら、その震えは全身に広がっていった。


「ってか……足が……!」


 悪魔のほうも、私の足を指差して、なぜか顔を引きつらせる。


「ぎゃあああああああああぁ!!」

「でたあああああああああぁ!!」


 両者の叫び声は、空き教室を通り越して廊下まで響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る