2/2 俺たち閉じ込められちゃった!

 一体、何時間たっただろうか。


 スマホをおもむろに確認すると、まだ、出かけてから二時間しかたっていなかった。

 長い……代わり映えのない場所に閉じ込められると、こんなにも時間が長く感じてしまうのか。


 ダメ元で左手でなく、右手を壁に付けて進んでみたが、結果は変わらず、出入口へと向かっている実感は湧かなかった。


「あーあ……」


 ぼうぜんとタイルの上に寝そべり、空を眺める。雲はゆっくりとだが動いている。こうしている間にも時間は刻まれていく。


「友博……ごめん」


 いつもより、トーンの低くなった声が聞こえた。


「私が興味本位で入ったばっかりに、迷子になってしまった……」


 普段、明るい性格の割に、イオは落ち込みやすい一面もある。憂いな顔でうつむき、合った目を逸らす。

「……」


 こういう表情をされると……胸が痛くなる。言い返せなくなるのもそうだが、励ましの言葉もなかなか出てこない。


「大丈夫。もうすぐ脱出の手がかり見つけるからさ」


 何とか絞り出したが、根拠のないただのハッタリである。

 こんな小手先のウソでは、イオの顔も晴れない。むしろ、気を遣わせてごめん、といった神妙な雰囲気が強くなってしまった。


 グウウウウウ……。


「あぁ……」


 体の奥から、胃の中の空気が移動する音が聞こえた。深く、重々しい音が狭い場所の中で反響する。


 まだ夕食前の時間だが……疲労蓄積の結果だろうか。


「友博、おなか減ってるのか?」

「別に……」

「私も食べるものが……いや、ある!」


 食べるものがある!?

 一体どこに? すぐさま上体を起こして、イオを凝視する。


「もしもの時は、私を食べてくれ!」


 細くしなやかな腕を、イオは伸ばしていた。日を浴びていないかのように肌は白く、指先までピンッと筋肉が張りつめられている。


「くっ、食えるか!」


 人魚の肉を食べたら不老不死になる、なんて話は古今東西に存在するが、イオをそういう目では見られない。ほとんど人間だし、食べ物と認識できるわけがない。


「そうか……確かに骨が多いもんな……」


 まるで俺が好き嫌いをしているかのいい草に、筋肉がこわばる。


 そんな変化を感じ取れるわけもなく、イオは自らの体をまさぐりはじめた。

 胸に手を当てると、何かを発見したかのように表情が明るくなった。


「ここなら食べれるか? 恥ずかしいけど我慢する!」


 頬を真っ赤にしながら、イオは自らの胸を持ち上げる。ワンピースの上からも視認できる盛り上がったソレが、手のひらに対応するように柔軟に形を変えた。

 服の上からでも、それなりのボリュームがあることが分かる。


「そういうことじゃない! 食わん!」


 火が吹きそうになるほど、耳の裏まで顔が熱くなった。口内の唾液も蒸発し、喉が渇いてくる。


 これ以上見続けるのがよくないと思い、急いで下に目を向ける。


 赤いタイルが並ぶ中、黄色いタイルがポツンと挟まれた謎の配置。

 ここ来てからかなり迷ったが、赤いタイルが大部分を占めていて、黄色や青のタイルはたまにしか見かけていない。


「…………」


 ふと思った。


 この並びに何か意味はあるのだろうか。ランダムに色が選ばれるとしたら、ここまで偏っているのは不自然である。


 これまでほとんど気にしていなかった部分。そこに何かヒントがある気がした。


「どうした?」


 不思議そうな顔で、イオが下から覗いてきた。


「なぁ、ここまでのタイルの色って、覚えてるか?」

「覚えてない。友博とハグれないよう、ずっと友博しか見てなかった」

「だよな。全然見てなかったよな」

「タイルの色が脱出の鍵なのか?」


 イオの口は広がり、整った歯が露出する。


「分からない……なんとなく、調べたほうがいい気がしてるんだ」


 過敏になっているだけかもしれない。でも、この状況では、他に手がかりになりそうな部分は一切ない。


「まずはどこにあるか。正確に覚えようと思う。ちょうど紙とペンを買ってただろ? これで少しずつ書いてって、全体像をつかんでみようと思う」


 幸いにも、均等な大きさのタイルが並べられている。比較的正確な図示が可能だ。


 現在いる通りの奥まで進み、壁を背にする。ここから見えるのは六マス分のタイル。赤が二つ、黄色が一つ、再度赤が三つ。一番奥に見えるタイルは左方向に曲がることができる。


 視覚情報をノートに正確に書き写す。消しゴムがないので、やり直しはできない。ペンの極細を使い、ゆっくりと線を引いていく。細いドット点線が縦に引かれているので、戦が大きくゆがむことはないい。ただ壁の位置を油性ペンで記せば、地図として十分な役割を持つ。

 黄色いマスにYと目印を付ければ完璧だ。


「ふぅ……」


 額に汗がにじみ出る。タオルなんてない、腕で拭くしかなかった。


「…………」


 地道な作業の一部始終を、イオがじっと見守っていた。


「書けたのか?」

「うん」

「うまく表現できないけど……、かっこよかったぞ」


 熱いまなざしのまま、イオはほほ笑んだ。


「そう……」


 励ましの言葉なのか? まぁ、悪い気はしない。


 先に進もうとすると、またイオが服の袖をつかむ。今のイオなら好き勝手暴走することはないだろうが、離れないに越したことはない。

 奥まで行って左に曲がると、正面には進めず、また左方向にしか道がない。Uターン以外に進む道はなかった。今度は三マス分しかなく、近くに赤が二つ、一番遠くに青いマスがある。


「よしよし……」


 少しずつでも、着実に地図は出来上がっている。小手先の知恵じゃどうしようもなかった以上、こうして全貌を把握せざるを得ない。


「よしっ、じゃあ次の……」

「待った友博!」


 突然のことだった。イオの声からは荒だちを感じる。


「ん?」

「ここ……」


 イオは真下を見ていた。俺の袖からも手を離し、両手で口を抑えている。


「えっ……」


 俺も目を落とすと、どういうわけか、さっきまで青かったはずのタイルが黄色く変わっていた。


「見間違える……わけないもんな……」


 変わった。色が変わった。

 一体どうして? 何か条件があるのか?


「これまでの色はどうなってる?」


 急いで来た道を戻った。といっても数マスだったが、その中にも変化が見られた。


「青……」


 地図を書き始めた最初の通り、六マス連なったタイルは、一カ所だけ黄色かったはず。

 しかし今は、それが青いタイルに変わっている。


「友博、もしかしてタイルが入れ替わったのか?」


 イオは角からひょっこりと顔だけを出す。


「う~ん……確かに状況だけ見たらそうだけど」


 少し引っ掛かる。タイルが入れ替わることが、脱出の妨げになるとは思えない。


「もっと何か大きなからくりが……」


 遠目で見るだけじゃ分からない。タイルに仕掛けがないか、間近で観察することにした。

 まずは触り心地を確認するため、指の腹でタイルに触れる。


 その瞬間、タイルが一瞬で黄色に変わった。


「なっ……! おい見たか!?」


 すぐさま振り向いて叫ぶ。しかしイオがいない。


「イオ? どこだイオ!」


 曲がり角に隠れたのかと思ってのぞいてみるが、そこにもいない。神隠しかのごとく消えてしまった。


 どこだ? 何で消えた?


 一気に起きる異変は、真実へ近づいていることを示唆しているようだった。


「友博!」


 背後から突然聞こえた、なじみのある黄色い声。背中にキュっと力が入る。


「なんで後ろに……」


 イオの動きは、まるで瞬間移動を手に入れたかのようだった。


「分かったぞ! これはワープだ!」


 イオの目は輝き、自信ありげに鼻の穴を膨らましている。


「ワープって、あの?」

「青いタイルを触った瞬間、友博が消えた。私がこの目でしっかり見たし、私自身もワープできた」


 実際に体験したと言われたら、納得せざるを得ない。


「そうか……ワープ! ワープしてたからもとに戻れなかったんだ! 青いタイルは黄色いタイルに、気付かれないように似たような場所に!」


 なぜ左周りの法則が崩されたのか……原因はきっとワープのせいだ。現時点の情報ではそう考えるのが自然だろう。


 謎が一本の線につながった……。心拍数が上がり、胸が熱くなる。


「で、どうするんだ? 出れないんだろ?」

「俺たちが入った時に見た最初のマスは黄色だった。だったら、出入口につながる青いタイルがあってもいいはずだ」


 青から黄色に移るシステムが絶対なら、希望はある。


「一カ所だけ心あたりがある。俺たちが踏んでない、青いタイルが……」


 迷路に入ってすぐの場所にあったあのタイル。他は線を書くような配置だったのに、そこだけは、九マスのタイルが正方形に並べられていた。


 やっとできた目標――ゴール。一度は抜けた全身の力が元に戻り、けん怠感が吹っ飛んだ。






 二時間が経過した。


 目標の場所ができたとはいえ、万が一のことを考えて地図を書き続ける必要がある。単純作業な上、ワープをするせいで全貌が把握しづらい。


 目がかゆい、肩が重い、足が痛い。体に溜まった疲労感を気力でごまかそうと踏ん張ってはいるが、それにも限界が来そうだった。

 何度目か分からない角を曲がると、その奥で求めていたものが見えた。


「見つけた……」


 赤いタイルが数マス並んだ先に、九マスのタイルが正方形に並んだ小部屋。中央には、もちろん青いタイルがある。

 左側にある細道といい、最初のほうに見たのと同じ場所だ。


「ここが、ここに行けば出れるんだな!」

「ああ……行くぞイオ!」


 手を指し伸ばすと、イオは強く握る。手のひらは高い熱を帯びていた。


「ゴールだああああああ!!!」


 これまでの苦労を吐き出すように、友博は力強く青いタイルを踏みつけた。






 目の前の景色は、見覚えがある商店街に変わった。


「良かったぁ……」


 緊張の糸がプツりと切れ、脱力する。


「これで帰れるな」


 イオは口元を緩ませて周囲を見回す。


「ん? 友博、アレは何だ?」


 指を差したのは、向かい側のお店とお店の間。

 誰かが手入れをしていないとあり得ないほどに、新品同然の美しさを保ち、存在感を放っている青いタイルがある。よくは見えないが、その奥にもタイルは続いているようだ。


「カラクリが分かった今ならすぐ帰れるし、ちょっとだけ行っていいか?」

「行かない行かない! というか青タイルはマズいだろ!」


 全然懲りていないイオの態度に、友博は顔を引きつらせて怒鳴った。

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