帰還──食事


 彼女は自分がどこにいるのかも分からない。ボウと見つめる先にあるのは色の無い世界に思えた。伸ばす手は誰にも届きはしないと思えた。いま、自分が何者であるのかも理解出来ずにいた。


 ただ、誰かにジッと見つめられているように思えて──その青い瞳だけは強く凝らす。


 ──ヤツの口端は裂けた三日月のように上がり、その眼が酷く恐ろしい。



 彼女の意識は──再び──閉じてゆく。











 ***




 彼女リリィは眼を開いた。青い瞳が見つめる照明球の浮かぶ天井に見覚えがあったが、微睡みから帰還した意識をはっきりとさせるには時間がかかった。


(……ケヨウス砦なのか、ここは)


 自身がベッドの上に横たわる事を理解をすると身体をゆっくりと起こす。まるで何日も病に伏したような気だるさがある。


「っ……ぁぁ」


 呟く声は喉が張り付いて出づらい。酷く喉が渇いているようだ。リリィは傍にある机の上に幾つか置かれた飲料水球ドリンクボールに気づき無意識下に手に取り口を這わせて強く噛んだ。中身はよく冷えた水というわけではない。どちらかといえば温い水であったが寝起きの身体には逆に優しく喉を潤してくれる。リリィは一球分の水を一気に飲み終えるともうひとつ飲料水球を掴む。


「ワタシは……いったい」


 喉潤いに落ち着きつつあるリリィはまだ意識の定まらない中で、手にした飲料水球に映る己の顔を眺める。随分と酷い顔をしているなと観察していると誰かが部屋に近づく足音を聞き、部屋扉へと顔を向けた。


「おや、お目覚めかい?」


 青い瞳がとらえたのは褐色肌の長身な女の姿。テティフ・ブショーの姿である。彼女の口振りはまるで寝坊をした子を起こしに来た母のような気軽さだ。


「テティフ」

「みんな首を長くしてあんたの目が覚めるのを待ってるが。まぁ、まずは寝起きには飯が必要だね。食事、しに行くかい?」

「ああ……そうだな」


 リリィはテティフが言うように身体が空腹を訴え始めているのに気づき、迷いなく食事に向かう事を選んだ。




 ***





「ああっ、リリィさんっ」


 食堂に着くとその姿を見たベティが走りより抱きしめてきた。強く締め付けられるような胸への抱きにリリィは思わずとくぐもった声を苦しげにあげた。


「こらこら、病み上がりな隊長殿を絞め殺す気かい?」

「へ?──あっ! す、すみませんそんなつもりはっ!?」


 テティフに呆れ気味に指摘されてベティは慌ててリリィを胸から開放した。


「いや、驚きはしたが大丈夫だ。どうやら心配をかけたようだ」


 開放されたリリィは薄く笑みを作り、慌てなベティを落ち着かせた。


「食事を持ってきてやるから、席で待ってな」

「それではリリィさんはこちらにっ」


 テティフが食事を頼みに配膳口に向かい、ベティはリリィを自分が食事をしていた席へと案内をした。ちゃっかりと隣へと座らせる。


「ベティ、リリィ隊長はもう大丈夫なのか?」


 目の前には食事中のアルフがおり、着席したリリィへと声をかける。


「ああ、ワタシは大丈夫なのだが、この席におじゃましてもよかったのだろうか?」



 リリィが隣に嬉しげに着席するベティとアルフの顔を交互に見つめる。アルフを一瞬、リリィがどういった意図で言ったのか分からず「と、申しますと?」と聞き返した。


「いや、男と女の二人きりの食事というのは大事なのだとエイモンが言ってたのを思い出してな」


 その言葉を聞いたアルフは眼を丸くし、意図を理解するが隣座るベティは首を強く横に降り


「いえいえいえ、アルとはたまたま食事が一緒になっただけでして何もありはしませんわっ。そう、けっしてッ! 何にもありはしませんっ!!」


 全力で否定とした。アルフはそれを聞きながら手にしたパンを大きめにちぎり、ゆっくり咀嚼する。その姿が何故か溜息を着いているようにみえた。


(と愛称を紡ぐほどだから、大事な友達なのだろうが、何を否定しているのだろうか? そもそもと、何が無いのだろう?)


 色恋にさして興味もありはしないリリィは首傾げに青い眼をパチクリとさせる。


「ほら、病み上がりな隊長さんの前でわちゃわちゃとしてんじゃないよ」


 しばらくとして呆れた声でテティフが食事を運んできてくれた。


「起き抜けには胃に優しいもんがいいだろう」


 運んで来てくれたのは具の無い白いスープだった。シチューのように見えるがとろみは無い。口にすると随分と薄く、リリィは舌の上で味を探した。


「じわりとした味があるな。これはこれで悪くないと思える」

「無理に褒めどころを探さなくてもいいよ。優しい栄養しか取り柄の無い不味いスープだからね」

「……いや、本当に悪くはないんだ」


 食事にたいして美味しくないを意地でも感じたくはないリリィは「不味い」を否定して味気ないスープを噛みしめるように何度も啜り薄いを味わった。


「すまないことを聞くが、ワタシはなぜケヨウス砦にいるのだろうか? このスープ程では無いがどうも記憶が薄い」


 皿のスープをほとんど食し終わるとリリィは自分の記憶があまり無い事を吐露した。正直に言えば、魔獣の森の大穴を見つけた辺りまでの記憶くらいまでしか無いが、その事は言わないでおいた。


「そうですか、私も気絶してからの記憶はほとんどありませんけど、リリィさんとフィジカ隊長に助けられた事はあの大穴の底の状況とアル達の話から聞きました。その事も覚えてわ?」

「すまない、霞がかかったようで……」


 そこに際してはまるで記憶が無いが、らしくないとは分かってもリリィは曖昧と言葉を返す。


「その後はベティがお二人を助けましたよ。あの交信術式コンタクションが無ければ我々は大穴に飛び込む決断を遅らせていました」


 アルフが言葉を付け加える。どうやらベティに危機を救われたようだと、リリィは彼女に頭を下げた。


「ありがとう、生命の恩人だ」

「いえいえいえッ、私の方こそありがとうございますと言わなければなりません! リリィさんとフィジカ隊長こそ生命の恩人で──アル、余計な事は言わないでくださいましっ!」


 ベティは両手を涼やかな風が送られるほど高速で振り、アルフの顔を睨んだ。アルフは残りのパンを黙って口に放り込んで席を立った。


「それでは、私はフィジカ隊長達の元に」

「ああ、リリィ隊長さんが目を覚ました事を伝えとかないとね、こっちも行くよ」


 アルフの声にテティフも頷き、後を追う。


「待ってくれ、ワタシも行こう。フィジカもだが、皆の顔がみたい」


 リリィはちょうど空になった皿を持って立ち上がる。それを聞いたベティがリリィの顔をジッと見つめてそれを止めようとする。


「あの、今は皆さんのいる所に行くのは。その、刺激が強すぎると言いますか」

「?……何の話かは分からないが、少々な刺激で驚くほどヤワでは無いぞワタシは?」


 わけがわからないと首を傾げるリリィにベティは慌てたままだが、テティフは肩を竦めてリリィの顔を見る。


「遅かれ早かれ、分かっちまう事さ。なら、早い方がいいかもね」

「本当にいったい何があったというんだ?」

「フィジカ隊長は騎甲館ドールハウス区画にいます。エイモンやダイス達もそこに」


 いまだわけが分からないとリリィは表情を難しくしながら、皆がいるという騎甲館区画へと共に向かう事にした。









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