終章──エピローグ──

領主達


 ──小国領ガルシャ首都「エザカシア」ガルシャ城


「ほう、つまり其方が申すことは兵力不足故にやむなく戦中に徴兵した罪人共ざいにんらが勝手にやった事と、ジオッカそちら側は仰りたいわけか? 我らガルシャの民と隣国領アギマスの民へと働いた蛮行、魔獣騒動の責はジオッカには無く、全ての罪は文字通り離反の罪人共にありと」


 豪奢な椅子に深く腰掛けた浅黒い肌の初老の男は冷静とした低く嗄れた声とは裏腹な黒いまなこに光る鋭い刃の如き睨みを隠そうとはせず、眼前の魔結晶版面に映る身体の線が浮き彫りとなる扇情的な銀白色のドレスを着こなす外巻きな長い銀髪を肩口まで流した美女へと質問を返した。


『ええ、御領主おやかたさまからの言伝ことづてはただいま申しましたとおりに』


 女は赤い紅を引いた唇に細い指をあて、その盛りある蠱惑な見目とは裏腹な若々しく高い声色を吐息のように紡ぎ妖艶とした笑みを向けて悪ぶれもせず堂と言ってのけた。おおよそ謝罪を延べにきた態度とは呼べず、老人は癖のある首元まで伸びた白髪に隠れる垂れがちな頭の耳を震わせ、嗄れた声だけは冷静を保ち女の赤く血走ったような挑発の赤眼をつまらなげに眺め言葉を返した。


「その言伝とやらでは無く、こちらは直接ゴルドマ殿の口から伝え聞きたいのだがな。それが、領主として最低限の義務マナーではなかろうか? 我々は危うく民の生命を危険に晒されるところであった。大事な兵も何人か喪われてしまったという事実もあるのだよ」


 女は笑みを崩さずと己の身体を抱くように腕を組み直し言葉を紡いだ。


御領主おやかたさまはまだお身体が優れぬ御身。申しあげたとおり妻であるわたくしが代理を務めているのです。ガルシャとアギマスへの正式な謝罪はいずれ形として成しましょう』

「……あいわかった、汝に対しこれ以上の言葉なぞもう必要とすまい。私が聞きたい言葉は「マリゼル・レニングラア」では無く「ゴルドマ・ジオッカ」殿の言葉のみである」

『訂正をウォーレン・ガルシャ殿、わたくしはレニングラアでは無く、正式にマリゼル・ジオッカと──』


 ウォーレンはマリゼル・の言葉は最後まで聞きはせぬと一方的に通信を切らせ短く舌を鳴らした。


(ふん、蠱惑虫こわくむし女狐奴めぎつねめが。領主代わりに権力者を気取りたいのが透けて見える。ゴルドマの精と血を吸い尽くし、籠絡と妻たる地位を手に入れたか。遊戯あそびな権力にまつりがしかれるようになれば、危険だなゴルドマ)


 ウォーレンは酒杯グラスを手に取ると酒で口を絞めらせ苛立つ喉を焼いて落ち着かせると前を向きへと声を掛けた。


「すまぬな、客人の前でついと口を汚くしてしまった」

「いえ、お気になさらず。私もああいった御夫人は苦手な部類ではあります。と、口を出しすぎると要らぬ争いを生み出してしまいますな。吐き出す言葉には責を持たねば災いを呼んでしまう。ここは黙って真紅色酒ブラドライを楽しませて貰うのが良き事ではないですかな」


 客人である若い男は酒杯グラスに注がれた真紅の酒をあおり、酒特有の呑み喉を焼く感覚を楽しみ、耳がかりに整った金糸の髪と肩を揺らし、切れ長な青の眼を笑わせた。


「ガルシャの真紅色酒ブラドライも美味いものですな。アギマスの物にも負けてはいない。森で育つ葡萄ブドウが良いのですか?」

「民の努力の賜物だ。だが、その世辞は民に代わり受け取っておこう」

「はて、世辞のつもりは無かったのですが?」


 ウォーレンは客人の酒の感想にさして興味は無しと黒い眼で彼を見つめる。まるで値踏みをするような視線である。男は金の髪を癖づいた動きで指で梳き、苦笑とした顔でもう一度だけ酒杯グラスを口にし、表情を真剣なものと変えた。


「此度の魔獣騒動による討伐作戦は成功したと見てよろしいでしょうか? あまり喜ばしくは無い結果も招いてはしまいましたが……」

「ああ、そう見てもよいのだろうか。前線と立ち、魔獣を押し戻してくれた兵達に感謝はしきれぬ。アギマスの協力も改めて感謝するアギマス領主「クレイド・アギマス」殿。おかげで力を持たぬ民達たみらに被害が出る事は無かった」


 ウォーレンのシワ深い眼にどこか哀しみが見える。魔獣討伐作戦により生命を落とした魔操術兵士ウィザード兵も決して少なくは無い。同時に他領国の蛮行により引き起こされた森の野生魔獣の必要以上の殺生をしてしまった事も辛く感じている。ガルシャ領主として民も魔獣も国に富をもたらす大切な存在であるからだ。


「心中はお察しします。我々アギマスも隣国領として他人事とは行きませんでしたので協力要請には応じましたが、やはり民を喪う事実は哀しみでしかない。最も哀しみにあるのは彼らの家族ではありますが」


 クレイドも領主としてその民想う気持ちは理解できると息を漏らした。


「そうだな、最も哀しみに昏れるのは民の家族だ。我々の哀しみは見せるものでは無い。今は国に平穏を戻す事を考えねばならぬ」


 ウォーレンは眼を暫し瞑り、天を仰ぐとその眼に哀しみを消し、精悍な領主の顔付きを取り戻した。


「して、クレイド殿。貴公は本当に自国領独自の魔刃騎甲ジン・ドール開発に拘るのか? 此方の〈ザートン〉を基礎とした〈ハイザートン〉で充分と国は護れると思うが?」


 本題に入ったウォーレンの声は険しく厳しいものだ。隣国領故に新たな戦力を保有しようとするこの若き領主に警戒としたものを見る。クレイドはその険しき声と眼を真っ直ぐと受け止め、声を柔らかく返した。


「ええ、やはり民を護るためには自国の戦力が必要となりましょう。そのために組織造られた武装実験部隊でありますから」

「我が友、貴公の父上であるトルフーリが幾つかの武装実験部隊を組織造ったのは新たな術式を売り出す意味合いであると聞いていたのだが?」

「亡き父の残す意味合いなぞ、もう関係はありますまい。いま意志を持っているのは現領主たる私であります。父とどんな約束事をしていたのかは気になりますがね」


 クレイドは酒杯グラスを煽り真紅色酒ブラドライを空にすると、静かに机へと置いた。


「それに、まだ未開の魔獣の脅威も去ってはおりますまい。特に報告に聞く得体知れぬ蝙蝠の巨大魔獣がいつと我が小国領アギマスを襲い来るとも限らない」

「貴公、もしや開発せし魔刃騎甲で魔獣の森に踏み込むつもりではあるまいな」

「まさか、魔獣の森は其方の領土故、我が国が手を出す事はありませんよ。ただ、魔獣に我々の引いた国境なぞは関係ありますまい。あちらが踏み込んで来れば討つ通りはできる。身を護る刃はやはり懐で磨きあげてこそ。そうは思いませぬか?」


 ウォーレンは真っ直ぐと見つめてくる青の瞳を止める事はできないだろうとある種の予感を覚える。自国領を護るための力は必要であると理解はできるからだ。それは、虐げられてきたガルシャの父祖達が築いた理念と同じでもあるからだ。それでも、ウォーレンは今一度の説得を試みた。


「四年と続く平穏の世で、新たな戦力は本当に必要であろうか? 蝙蝠が其方に向かうような事があればガルシャの戦力を貸す事も考えよう」

「ハハ──いや、これは失礼。異な事を仰りますな。千と続いた戦事を止められるほど人間という生物いきものは利口ではありますまい。四年の平穏なぞ、岩削られる砂のようなもの。特に、より上に立つお方は戦をしたがるものですよ。そう、王は何時でも戦争を望まれている。公国も帝国もね。そもそもと、小さな国を名乗る事を許しても王と名乗る事を許しはしない我が王は、どこまでも小国を領土としてしか見てはいない。我々はどこまでも領主以上にはなれない身分だ」

「……それ以上は公国への不敬とみなされる言葉を吐いておられると理解しておろうか?」

「失礼、これ以上の言葉は紡ぎはいたしませぬ。私はただ、愛する自国を護りたいだけの愚か者なだけですよ」


 クレイドは最後に不気味な程に柔らかな笑みを見せて席を立つ。


「さて、それでは改めての魔刃騎甲ジン・ドール開発の宣言はいたしました。また我が国の力が必要な時は仰ってくださいウォーレン殿。では、私はこれで」


 部屋を退室とするクレイドの背中をウォーレンは止めることはせず、ただその背を見送った。


 クレイドが部屋扉に近づくと、扉の傍に立っていたガルシャ人特有の褐色肌と黒髪の丸眼鏡マイクルを横の耳に掛けた女が静かに扉を開け、クレイドは退室する。女はウォーレンに向かって一礼と頭を下げると一房に束ねた長い黒髪が垂れ、それを刺し指で治すとクレイドの後に続き退室し、部屋扉は音も無く閉まるのだった。



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