大穴の悪夢


 廻転剣撃をくり出した風刃波ソニックブレイドの勢いそのままにフィジカの〈リ・ガルナモ〉は奈落の大穴へと引きずり込まれてゆくベティの〈ガルナモ〉を必死に追い掛けてゆく。

 フィジカ自身、隊長としてこの行動が正しいとは思えない。得体の知れない何かに引きずり込まれてゆくベティ騎は感情左右されず冷徹に切り離し、残る小隊員が生き残る可能性を高めるために隊長である己が冷静に指揮を執ってゆかねばならぬだろう。彼の知る隊を束ねる長と呼べる魔刃騎団長尊敬に値する漢はそういった冷徹な判断をくだせる存在である。罪悪という楔を打ち込まれ続けても己が心は殺し続けてゆかねばならぬのだ。

 だが、フィジカは多を生かすために個を切り捨てる判断をくだす事はできぬ男だった。己は隊長という責務を果たせぬ甘い人間なのだと。だが、短い期間ながらも自分を慕う部下を、仲間を誰ひとりと失いたくはないというこの心は、偽ることのできぬ真実。故に、この心にて行動を起こしてしまったのである。


 地表ぶつかり引きずられゆくベティ騎の握られた魔騎装銃が手を離れ、広げられた腕部がフィジカ騎へと助けを求めるように伸ばされたように見えた。絶対に救い出してみせると重力低減を制御し追い掛けるが、下に降るにつれ濃さを増してくる自然魔力濃度に脳髄へと負荷が掛かり頭痛を伴い始め思うような制御ができなくなり、ベティが引きずり込まれる速度の方が勝り追いつく事ができない。最下部までゆかねば取り戻すことは厳しいかと思えたその時──


 ──フィジカ騎の背後から急速落下してくる水色の軌道が弾丸の如く〈リ・ガルナモ〉を追い抜いてゆく。


(水色の〈ハイザートン〉リリィさんっ!?)


 フィジカが一瞬と驚愕に眼を剥く目の前でリリィの〈ハイザートン〉は魔力濃度の負荷が掛かる中、重力低減術式グラビトロを背面に集中爆発させる推進軌道ブースターを身体への負荷ダメージが掛かるリスクも無視し躊躇なく連続と発動させ落下速度を上げて続けてゆく。


(追いついたぞッ)


 リリィは速度緩めずとした急降下のままに手にした鋼刃剣ソードを突き下ろし、ベティの〈ガルナモ〉の脚部を掴み続ける触手のように伸びてきた異形腕を断と突き斬ると魔騎装銃を背面固定し空いた片手でベティ騎を救出し脚部を落下先へと向け、重力低減術式グラビトロを脚裏中心に発動させ続け、中空を弾むような推進軌道制御で衝撃を緩め地の底へと着地した。


(まるで、地獄世界ゲ=ヘンナーだな)


 降り立った最下部は焼け焦げ炭化したアミ・メレオゥの遺骸に溢れており、まるで複製品の公国美術絵画で鑑賞した地獄世界ゲ=ヘンナーの入口のようにリリィは思えた。この地獄世界状態の大半はリリィの中空変則軌道攻撃によって引き起こされたものであるが、リリィにはそれを気に止める事では無い。いま、最重要とするはベティの容態。それと、彼女の〈ガルナモ〉の脚部を掴んだままである異形腕の正体だ。


『リリィさん、貴女という方は』


 遅れ、フィジカの〈リ・ガルナモ〉が重力低減術式を繰り最下部に追いつく。リリィは両脚部を折り曲げて着地する〈リ・ガルナモ〉を見やり、降りてきた上層を確認する。地表壁に埋もれ点在する魔結晶鉱石マギカラドはあれど、上層は月夜空も見えぬ程に暗く遠くに見えた。どうやら、上から見えた大穴の底は魔力濃度の高みが見せた幻覚のようなものだったのだろう、この大穴はもっとずっと深いものであったのだ。恐らく、上層から見た落下するリリィ達の姿は途中で不自然に消失したかのように見えたのではなかろうか。リリィが交信術式コンタクションを確認すると雑音ノイズばかりが走り繋がる事は無い。どうやら、上層との繋がりは完全に遮断されたようである。それを確認すると同時に、ベティ騎を確認してフィジカに声を張った。


「すまない今は悠長に話している場合では無いよフィジカ、〈ガルナモ〉ベティ騎の脚部を見てくれ」

『む──コレはッ』


 リリィの緊迫とした声に促され、フィジカはベティ騎の脚部周りを確認し、思わずと息を飲んでいた。


 ベティ騎の脚部を掴んだままの手首だけになった泣き別れの異形腕の形がそのものに見えたからだ。手首の先には引きちぎられた木の弦のような植物が絡みつき脈打つように不気味に蠢き続けているのだ。


「驚愕固まりな所を申し訳ないが、すぐにでもここを離れた方がいい。上まで飛び上がれる余力はあるか?」


 嫌な予感が拭えぬリリィの張り詰めた声に賛同といきたい所だが、この最下部は明らかに魔力濃度が高まっているようで迅速と地上まで戻るのはさすがのフィジカと言えど困難であると判断できる。その条件は、リリィも同じであると考えるのだが、彼女にはまるで魔力濃度による辛さを感じられていないように見える。


『リリィさん──』


 ──貴女はいったい。と、フィジカが言葉を続けようとした瞬間、目の前の炭化したアミ・メレオゥの遺骸から何かが蠢き、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。


『なんだ──アレはッッ?!』


 立ち上がったのは人型の巨躯である。紛うことなき魔刃騎甲ジン・ドールの姿である。だが、その姿に勇壮と大地に立つ誉高さは無い。朽ちた外装が辛うじて張り付いており、剥き出した魔獣鋼化筋肉ブルートゥマルスは所々が引きちぎれ、頭部外装ヘッドガードは完全に剥がれ落ち剥きだした単眼なマギイリュアイが虚ろに見つめて来るようである。死骸がただ立ち上がっているような、異常と言える光景が目の前にあった。


「っッ──ッッっ!!」


 リリィの感情を抑え殺すような声ともならぬ声が魔繰術器コックピットを支配していた。

 遺骸のような魔刃騎甲が立ち上がっている事に恐怖したのでは無い。殺しきれぬ迎え入れようのない怒りが震えているのだ。あれは人の尊厳を踏み躙る異様だ。あの魔刃騎甲ジン・ドールは立ち上がっているのでは無い。だけだ。引きちぎれた片腕から伸びきった異形の植物が血を求めるように脈打ち蠢く。その異形植物は魔獣鋼化筋肉を媒介とし魔刃騎甲の全体に張り巡らされ魔刃騎甲はもはや別の存在に支配されているのだ。それはまるで昆虫類に寄生する菌糸類のようである。


 この魔刃騎甲ジン・ドール魔導神経マギニューロを排除し張り巡らされた異形植物に無理やり朽ちかけつつある魔獣鋼化筋肉を動かされて動くだけの虚ろな遺骸なのだ。


『シターロ……隊長』


 フィジカの震える声が交信術式コンタクションを通じ伝わってくる。その呟きからあれが彼の知る人物の搭乗していた魔刃騎甲ジン・ドールであると分かる。辛うじて確認できる形を保った緑色の鋭角な外装は〈ガルナモ〉の物だ。恐らく、ケヨウス砦でフィジカの口から語られた第五小隊隊長ノートカ・シターロの〈ガルナモ〉であるに違いない。もはや、変貌した骸といえるあの姿では魔繰術器コックピットが無事であろうとも中の魔繰術士ウィザードの生存が、絶望的であるのは明らかである。


「ッ──!!?」


 そして、それはシターロ隊長の骸だけでは無いと主張するかのように一騎、また一騎とアミ・メレオゥの遺骸を押しのけ骸の魔刃騎甲が立ち上がってくる。


 三騎の骸が蠢く異形植物によって愚かなる獲物を狩れと命じられ、リリィへと向かい動き出してきた。


 リリィの青き眼が震え閉じられ、繰術杖ケインを強く握り、か細くも覚悟を持った声を吐き出した。


「皆……許せよ」


 リリィの青の眼が見開かれ〈ハイザートン〉のデュアルアイが怒り燃え上がるように縦に大きく広がり紅く発光し始めた。鋼刃剣ソード魔騎装銃アサルトガンを両手同時に装備すると、襲い来る骸の魔刃騎甲を迎え討つべく反撃とリリィは動き始める。




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