目覚め



 エイモン・ストリバーゴは夢を見ていた。それが夢だと分かったのは、もういるはずの無い家族の姿があったからだ。顔のボンヤリとした笑っているのかも分からぬ父親と母親の姿に落胆としたものを覚えてしまう。当たり前だ、父母は自分エイモンが物心着く前に亡くなったと「──」が、言っていたのだ。血の繋がった肉親は「──」だけだ。どんなに苦しい現実が自分エイモンを打ちのめそうとしても「──」が必ず守ってくれた。だから、大きくなったら、強くなったら、力が持てたなら、今度は俺が「──」を守る番なのだと、心に誓った。あの時の苦しさの中でも、確かにたったひとりの血を分けた肉親の暖かみに包まれた少年時代の夢をいま、見てしまっているのだと。


 あぁ、なぜ「──」が思い出せない。大切な人だった筈なのに、家族だったのに。夢ならば、思い出させてくれてもいいじゃないか。どうして──



 ──エイモンの身体は急激に重くなり、精神は深く深く底の無い世界へと落ちてゆくようである。もうどうにでもなってしまえと身を奈落の底へと向かって委ねようと、全ての力を抜け落ちさせようとした。




「──……ん、おぁ?」


 エイモンの意識はボンヤリとではあるが、薄く覚醒してゆき、黒い眼は照明球の灯りに焦点を合わせてゆく。こいつは知らない天井だなと短くどうでもよい感想を頭に浮かべ、どうして寝ているのかとまだ覚醒仕切らない頭で考え、洞窟での長距離からの衝撃波攻撃を殺しきれず〈ハイザートン〉の全身を衝撃に包まれながらカッコつけに意識を失った事が思い出せた。


(寝て起きられたって事は……無事に生きていられたっつう証拠か)


 まだ気怠げの中にはあるが、どうにかくたばらずに済んだ事にエイモンは信じもしない公国の信仰する光の神さまとやらに一応の感謝はする事にした。


(しかし、身体が気怠いとはいえ、いやにズシンと重てぇな。なんつうか、腹の上に天井の照明球くらいある重しが乗っかってるような……)


 エイモンはゆっくりと頭をもたげて、視線を下に向けて腹周りを確認する。


「んぉッ?!」


 そこには、白い衣を頭から被った女がいる。エイモンの腹の上で突っ伏して小さな寝息を立てている。


「おま……サージェ?」


 こんな白法衣フードを被った女の知り合いなぞ、一人しか心当たりは無い。

 確かにそこにいるのはサマージェン・カーターその人である。


「……ふぅ」


 一瞬、頭を小突いて起こしてしまおうかとエイモンは考えたが、あまりにも気持ちよく寝息を立てているものだからその上げた手で自身の頭を掻いた。


(おいおい、俺のことは絶対に許さないんじゃ無かったのかよおまえさんは?)


 自分がどれほどの時間眠っていたのかは分からないが、こうして腹を枕に寝息を立てているという事は自惚れ承知で考えてもずっと長く自分のそばにいてくれたのだろうとエイモンは自然と口元を緩ませ、掻いた手をもう一度サマージェンの頭へと向かわせ、起こさぬように触らずの距離感で撫でるように手を左右に動かした。


「ありがとうな」


 面と向かってはお互い絶対に言わないだろう礼の言葉を静かに、優しく口にした。


「……ぁ?」


 その瞬間であった。突然に部屋扉が開いたのは。


 そこから顔を出した唇の厚い浅黒いア然とした顔と目が合った。エイモンにとってはあまり会いたくは無い相手、ガルシャ魔獣討伐第四小隊隊員ゼト・カイヘンである。


「あ、ぃウぇ……お、楽しみの所を──」

「──おいおい待て待て、そんなんじゃねえよッ」


 なんとも気まずそうな表情をして頭の耳をパタリと落とす。明らかに色恋の方向で勘違いをしている反応であり、ゼトの気まずげに彷徨う視線とドモリ気味に噛み噛みな口調から、何やら恋やら愛やら的な営みを致そうとしようとしていた最中だと誤解をされている可能性も高しと瞬時に理解したため弁明と声を大きく荒げてしまった。


「ウゥゥン──んぅ?」

「げっ」


 腹の上の頭が急に身動ぎ、ゆっくりともたげ、まだ眠たげなサマージェンのほうけた顔と目が合った。


「エイモ──ッ」


 一瞬、花が咲くような笑顔を魅せてくれるが後ろに人の気配を感じサマージェンはハッと振り向くと慌てて口をアワアワとさせ両手をバタバタと動かしたのち、慌てているのが分かりやすい動きでゼトの身体をすり抜けるように超高速で部屋の外へと逃げ出していった。


 残された二人の間にはただ気まずげな空気が流れてゆく。ゼトは一瞬とどうしたものかと迷いながらもドカリとサマージェンの座っていた椅子に腰を降ろしてエイモンの顔を見つめ引き結んだ分厚い唇をモゴモゴとさせてからようやく口を開いた。


「身体の調子は、どうなんだよっ?!」

「……はァ?」


 いきなり何を言い出すんだコイツはとエイモンは瞬きひとつにゼトの顔を見つめ返した。オマエと俺はそんなに親しい事を言い合う仲かと言いたげだ。ゼトは言葉に詰まったようで視線を天井へとさ迷わせ、部屋扉に視線を移してからもう一度口を開いた。


「あ、あの子。さっきの白法衣フードの子って、肌は白いけどガルシャの子だろ。小さいがよく尖った牙が見えたし、あの白法衣フードも頭の耳を隠してるようにも見えたんだが?」

「ァ?……だったら何だ、ガルシャお得意の差別をアイツにも向けるつもりかッ──つぉっ!!」


 ゼトが話の中心をサマージェンに向けた瞬間エイモンは堪えきれない怒りのままにゼトの胸倉を掴もうとしたが腹から怒鳴りの声を吐き出した瞬間、頭と腹部に激痛を覚えうずくまる。


「お、おいおい無茶すんじゃねえよ。丸一日寝てて身体の魔力の流れも上手くいってねえて話だぞ」

「うるせ……アイツに、ッっ」

「分かったから落ちついてくれよ。あの子の事を俺は話さねえから、な?」


 ゼトはなるべくとエイモンを刺激しない言葉を探して落ち着かせようとする。そこにエイモンは気持ち悪いものを感じる。ゼトとは殴り合いをするまでにいがみ合った仲のはずだ。いったい俺が気絶してる間に何があったのだと痛む頭と腹を擦りながら警戒に睨みつける。


「なぁ、ガルシャお得意の差別と言ったが、そんなに俺たちガルシャは差別的に見えるのか?」


 ゼトの発言にエイモンは奥歯を強く噛み睨みを厳しくする。


「見えるかだって? あぁ、見えるね……というかな、ガキの頃にこの肌で体感した事だよ。ガルシャ人は過去に区別という名の差別を受けた歴史を持つクセに、自国民の肌の色、耳の違いで差別をする……差別をされたヤツらはより強い差別感情を持っているって事さ」


 エイモンの苦しげで吐き捨てな言葉をゼトはしばらくと眼を瞑り受け止め、ゆっくりと口を開いた。


「アンタも昔はガルシャにいたって話は聞いた。アンタの暮らしていた地域が何処かは知らねえが、俺たちはそんな古臭い差別感情なんて持っちゃいない。ガルシャは、ウォーレンの御領主おやかたさまも祖父の代な古臭い差別感情には厳罰を与えるほどだ。御領主令嬢「ミウォネリネ」さまもお父上の考えに誇りを持たれる慈愛に満ちた──」

「──んな話は知らねえよッ……くぉっ」


 ゼトの言葉はエイモンにはガルシャ民の自己弁護にしか聞こえず、また怒鳴りを挙げて、頭と腹の痛みに蹲りながらゼトを睨みつけた。


「俺は、俺の家族は確かにガルシャで差別ていうヒデェ地獄を味わってんだよ。アギマスまで逃げて多少はマシな暮らしはできるようになったが、ガキの頃のキズは永久に癒える事はねえ。アイツサージェだって、言わねえだけで想像もつかねぇ目にあっている筈だ。でねえと、ガルシャに着てからずっと鉄馬車に隠れてる筈はねぇ……アンタだって、俺の事を半端者はんぱもんだって言ったろう。ありゃ、差別以外のなんだってんだ」


 エイモンの吐き出した言葉をいま一度、最後まで聞き入ったゼトは唇を小さく震わせて頭を下げた。


「アンタらが、他のガルシャ民から差別を受けたていうのは本当の事なんだろう。俺の下げた頭で癒えるキズじゃねえはずだが、この頭は下げさせてくれ、ガルシャの人間としてすまねぇッ」

「……よしてくれよ」


 エイモンはゼトのガルシャの人間としての謝罪を受けるつもりは無いと小さく拒絶をした。ゼトはその言葉を聞いて、椅子からゆっくりと立ち上がる。


「すまねぇ、俺の顔なんて見たくもねえだろう。ただ、礼だけは言っておきたかった」

「礼だと?」

「ああ、洞窟でアンタは盾になって俺を守ってくれただろう。大事な人らを守ったついでだとしても、俺はエイモン・ストリバーゴて男に命を救われたんだよ。直接の礼は言いてぇだろ。俺のただの自己満足てやつだがな。邪魔をした、ゆっくり休んでくれ」

「……待てよ」


 最後に命の恩人への伝えたい礼だけを伝えて部屋から出ようとするゼトをエイモンは呼び止めた。


「そうやって礼を言いに来れるアンタが、なぜあの時、俺を半端者はんぱもんだって差別的な事を言ったんだ?」

「それは……アンタの、フィジカ隊長への態度が、気に食わなかった。頭に血が登って吐き出しちまったヒデェ言葉だ。差別的な意図は無かった。こんな言葉は、もう二度と使わねぇよ」


 ゼトの言葉にエイモンは目を閉じて、小さく息を吐いた。


「そうかい、アンタはあの隊長さんが好きなんだな。へ、そいつは俺と同じじゃねえか」

「同じって、待てよッ。俺は隊長の事をひとりの人間として尊敬してるってだけで──て、おい、アンタの好い人はさっきの白法衣フードの子じゃないのか?」

「色々と混乱しちませて悪いが、俺もリリィ隊長を尊敬の意味で好きってだけだぜ? 俺の相棒は知らねえがな。あとな、サージェもそういうんじゃねえ。勘違いはするなよ」

「あ? あれだけアンタの大盾魔刃騎甲の整備を入念にしてて付き添ってたような子が好い人じゃねえわけあるかよ? 騙されねえぞ俺は」

「騙されねえも何も──て、俺の騎甲整備やってくれてんのかアイツ。ハッ、ハッハッハッ」


 エイモンはひとしきりに笑って、腹を擦りながら扉の前で突っ立ったままのゼトを真面目な顔で見つめる。


「正直な、ガルシャへのわだかまりが消えるなんて事は永久にやってこねえかも知れねえが、頭を下げる誠意をくれたアンタって人間は信じられる気がするよ。もう一度、名前教えて貰えるか? あの時は心がトンガリすぎて素直に聞きゃしなかった」

「……ゼト・カイヘンだ」

「そうかいゼト。俺は、エイモン・ストリバーゴだ」

「知ってるよ。恩人の名前は意地でも忘れねえもんだぞ」

「そいつは光栄だねハハハ」


 エイモンは今度こそ友好的な表情でゼトを見つめる。


「ゼト、身体が癒えたら直ぐにでもアンタの隊長さんに謝らせて貰うぜ。舐めた態度を取っちまったからな」

「フィジカ隊長は気にはしねえと思うが、先ずはその身体を休ませろよ。明日には禁足地である森の最奥に向かう決断をすると言ってはいたが、最悪アンタはよ」

「おいおい、置いてけぼりは無しって話だ。こんくらいでっかいミートパイ二つたらふく食っちまえば直ぐにでも治っちまうさ」

「で、でっかいミートパイ二つって──あの子のかッ」

「は?……ちげぇよッ! 俺の大好物だってだけだッ。隠語じゃねえよッ。てか、オマエあいつで妙な想像してんじゃねえって!」


 男二人の慌て声が部屋中に響き渡り、何事かと衛生員が駆けつけるのにそう時間は掛からなかった。








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