小隊長フィジカ・トッシュ
小国領ガルシャ──魔獣の森近郊の町ラムナッハ
ラムナッハは古くから
ガルシャの国色である深き森を表す濃い緑色の軍服に身を包んだ討伐小隊のひとりがラムナッハの入口でひとり立たずんでいた。痩せた顔に剣のように研ぎ澄まされた黒の瞳は鋭く力強い。短く刈り上げた黒髪はガルシャ人特有の狼のような耳と褐色肌を強調させている。
「隊長」
何やら後方より声を掛けられるが彼は真っ直ぐと前を向き微動だにせず。
「すみません、フィジカ隊長」
今度は名を付けて呼ばれ、狼耳が僅かに動き、横顔だけ声を掛けてきた薄い緑色の小隊服を着た男に向けられた。
「失礼、自分の事だとは思いませんでしたよ。まだ隊長という呼ばれに慣れてはいないものだ」
低く短い潰れた声は小さくも小隊服の男の耳には蛇が奥へとはい登り絡みつくように響き聞こえる。丁寧でハッキリとした声は相手の耳に届きやすいのか、それとも、この一切と表情筋を動かさずの恐ろしげな雰囲気と張り付くその真顔にいまだ慣れず拭えぬ緊張感を持ってしまうのか。そう他人に聞かれたら少隊服の男は両方だと答えるだろう。少隊服男は緊張に背筋を伸ばして隊長と呼んだ男にいま一度の敬礼をする。
「失礼いたしましたっ」
「……用事はもう済んだという事でしょうか? 私に話しかけるだけが用事であったと?」
「い、いえっ、そのような事はッ」
真顔と潰れ声に威圧を覚え何かを試されているのかと背中に冷たい汗を流しながら、少隊服男は決して話しかけるだけの用件では無い事を強調した。
「では、私への用事とは?」
「はっ、アギマスからの客人をお待ちになられるのなら奥の作戦室でお待ちになられればとアルフさん達が。隊長がお好きというラムナッハ自慢の
少隊服の男は一時的に作戦室としてしようさせてもらっている町長宅の客間へとお戻りになりませんかと促す。それを聞いた瞬間、瞬きひとつない剣のような眼がギョロと動いて彼を射抜いた。思わず肝が冷えた短い悲鳴をあげそうになるが、気力で空気と一緒に飲みこんだ。
「ああ、私はアギマスの客人をここで迎えると決めているのであしからず。その果物は後で客人をもてなすのにご用意を。私は私で馳走になりますので、君達も今はゆっくりと英気を養ってください。休める時に休むのも、良き働きをするために必要な仕事です」
返ってきた言葉は恐ろしげでがんと意志を曲げない声であった。隊員は流れる汗を拭いながら次にどう声を掛けようかと迷っていると再び隊長の口が動いた。
「それと、私に対して敬語も今は必要とありません。今回の討伐作戦の限定的な隊長職ですからね。着任ひと月ばかりとはいえ、あなた方もお飾りな私の下に着くのは窮屈でしょう」
「そ、そんな事はありませんっ。それに、隊長も我々に敬語を話していますので」
「私の口調は癖づいたものですよ。この癖で刻んだ人生の歩みは長い。今更と直せるものでもありません。お気になさらず「ウェックス」隊員」
ウェックスと呼ばれた少隊服の男は隊長とはひと月ばかりの浅い上司部下関係であるが、恐ろしく真面目な性格なのだと理解できる。凄みのあり過ぎる声と顔には緊張感しか持てないが、自分たちを上から押さえつけるといった抑圧的な態度を表した事は一度たりともなく、むしろこちらに気を使っているようにもウェックスには思える。遅れて配属された故、他小隊員の先輩達より付き合いは短いが、決してお飾りな隊長とは感じない。
「それに私、年甲斐もなく胸が高鳴る程に待ちどうしいのです。そういった状況では無いという事はわかってはいるのですがね」
そして、どうも今から待つ客人の到着を心待ちにしているのは本当のようである。本当に損をしているのは外見からくる初対面の偏見だけなのではないかとウェックス隊員は日はまだまだ浅く凄みに縮こまり気味な彼には難しくはあるが「フィジカ・トッシュ」隊長という存在を何とか理解しようと励んでいるのである。
***
しばらくとすると、ラムナッハの町に一台の大きな「
──鉄馬車とは。本物の馬ではなく「
フィジカは微動だにせず、その巨大な荷台を轢いた鉄馬車がラムナッハの町に到着するのを眺め、彼を呼びに来たウェックス隊員もそのまま彼の側から離れぬまま姿勢正しに到着を待っていた。
やがて、鉄馬車がラムナッハの町入口に近づくと門の前に立つフィジカ達の前で二台の
しばらくして輪鉄馬と鉄荷台の先端扉が重い音を立てて横に開き鉄と植物弦で編み作られた縄梯子が降ろされると軽快な足運びで赤い隊服の少女が降りてきた。
「失礼、我々はアギマスからやって来たものなのですが」
そのまま姿勢正しな歩みでフィジカ達の前に向かってきた少女はどこか丁寧な喋りに慣れていない語り口調でフィジカへと声を掛ける。その可愛げのある声質と月の光に照らされているような不思議色な髪の少女を見て、隣にいたウェックス隊員は「……可憐な」という惚けた言葉が横にいるフィジカから聞こえたような気がしたが、気のせいだろうと表情崩さずに少女を見やる。確かに、目を奪われる程に可憐な少女であると心で頷く。きっと先程の言葉は自分の心の声だったに違いない。その証拠に話しかけられたフィジカ本人は表情をひとつと崩す事は無いのだから、あの呟きが隊長であるはずが無いのだと。
「貴女が魔獣討伐要請に応じていただいた部隊の「隊長さま」ですね初めまして」
フィジカは低く潰れた声に抑揚を付ける事無く敬礼をした。少女も敬礼を返しながら小さく息を吐き、言葉を続けた。
「なんだ──おっと、隊長だとよく気づきましたね」
「ええ、肩口の腕章を見ればすぐにわかりますよ」
「ああ、なるほど。確かにこれは気づくよ──気づいてしまわれますね。そういうあなたも隊長さまで、よろしいのだろうか?」
隊長の役職を示す肩口にはエイハート公国の国色である白地にそれぞれの小国領の国色に合わせた二本線が入った腕章が隊服に縫いつけられている。お互いにそれを確認して、赤い隊服の隊長はやはりどこか慣れていない敬語で聞き返す。フィジカもそれに挨拶交えな言葉で返す。
「ええ、一時のお飾りではありますがガルシャ魔獣討伐第四小隊の隊長を務めさせていただいておりますフィジカ・トッシュと申します。それと、同じ隊長同士、敬語は無しでよろしくお願いいたします。話しやすい言葉で接してくださるとこちらもやりやすいので」
「そうですか……いや、そう言って貰えるとすごく助かるな。本来はちゃんとしなくてはいけないのだが乗せすぎた肩の荷が随分と降りたよ──と、あらためてワタシはアギマス武装実験部隊フレイム隊長リリィュ・フレイムだ。皆はリリィと呼んでくれているのであなたもそう呼んで貰えると嬉しいトッシュ隊長」
リリィはそう言って手を差し伸べるがフィジカは瞬きひとつせずにその手を眺めてから、自身のゴツゴツとした岩のような手を差し出して握手に応じた。
「わかりましたリリィさん。私もフィジカで構いません。我々の間は
「ハハ八、そうだな。うん、あなたはとても楽しそうな人だなフィジカ」
「そうですか……初対面でそんな事を言われたのは刻み疲れた人生で二回程ですね」
どこか似たものを感じるのか片や無表情な強面、片や薄く笑みを零す可憐な少女との奇妙な
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