第31話 しあわせウサギは宙を跳ぶ

 小型のプロジェクターによって天井に映し出された幾千の星空を私はベッドに寝転びながら見上げる。

 時刻は午後9時前。外はもう暗くなっているがこれ以上の星を実際に空に見ることは叶わないだろう。


「プルプルプルプル」


 もはや慣れ親しんだといっても過言ではないリップロールで声帯のマッサージを入念に行う。飛行機の時差ぼけもなんとか治り、この日のために生活を管理してきたおかげで体調も万全だ。


 ピピピピ


 15分前を知らせるスマホのアラームをすぐに止め、そこに写るオレンジの服を着て無邪気な笑顔を浮かべる男に軽くキスをする。

 いつものようにライトをつけ、ハンガーにかけたウサギ耳のついたパジャマに着替えるとパソコンとディスプレイの並んだ机に向かう。

 そして大切な古ぼけた髪留めでパチンと前髪を上げて、ディスプレイに目をやる。


 三日月に乗ってすやすやと眠るデフォルメされた月乃ミトと、三方に乗るおだん子たち。それは月乃ミトとして活動を始めて最初に使っていたオープニング。いつもは広告の流れていた三方の土台部分には「ありがとう」の文字が流れている。


「さて、頑張りますかー」


 そう声に出して気合を入れ、これからの配信を楽しみにする皆のコメントを目で追っていたあたしは大きく息を吐いた。


 残り十秒。


 さあ、始めよう。あたしのやりたかったことを。

 大好きなあの人が、きっと届けてくれるから。





 画面が切り替わる。

 スクリーンに表示されたのは昔話に出てくるような趣の感じられる畳敷きの和風の部屋と、上半身だけ映った金髪のウサギ耳の少女だった。

 画面の中のウサギ耳の少女が楽しげに体を揺らしながらきれいに微笑む。


「おだん子のみんな、こめ子のみんな、こんばんはーだピョン。元マギスタ3期生、月からやってきた月ウサギ、つきの~ミトだピョン。今日はあたしの最後の配信を見に来てくれて感謝だピョン」


 お決まりの挨拶とは少しだけ違うが、皆が「こんばんはピョン」やウサギのスタンプで返してくる。

 色つきのコメントなどに律儀に返しながらひととおりの挨拶をミトが済ませる。その中に昔は恒例だったリクガメからのものはない。

 しかしその頃のことを知る古参の一人がスパチャをした。


「ふふっ、ニセリクガメさん。スパチャありがとーだピョン。『今日は、日本人宇宙飛行士が初めて月に上陸する予定の宇宙船が発射される記念すべき日ですね。』うんうん、日本人宇宙飛行士の小早川陸斗さんだピョンね。いやー、私のあたしの生まれ故郷に日本人が降り立つなんて感慨深いピョン。そうそう、まだ時間があるし、先日の記者会見の映像を流すピョン」


 ミトが画面の隅に寄り、古ぼけたアンテナ付きのテレビが大きく表示される。レトロなフォンという音と共にその画面に流れ始めたのは、星空を思わせる壁紙の前で青いつなぎを着た4人の男女が椅子に座っている姿だった。


 その中の一人、中央右に座っている唯一のアジア系の男性が話し始める。その言語はもちろん英語だ。

 コメント欄が『わからん』『字幕は、字幕はないのか!?』といった文字で埋まっていく。


「皆しかたないピョンねー。あたしが通訳してあげるピョン」


 映像の中の宇宙飛行士たちのコメントをミトはほぼ同時に翻訳していく。ときおり冗談を交えながら、記者たちとのやりとりを笑顔で彼らは交わしていた。


『ところで陸斗さん。あなたは今回の月面着陸で重要な任務があると聞いていますが本当ですか?』


 そう聞かれた小早川陸斗は、不敵な笑みを浮かべると首にかけていたネックレスをつなぎから引っ張り出した。

 その先についていたのは金髪のウサギ耳をした美少女の人形。それはまぎれもなく月乃ミトだった。


『ええ、12年前に月から日本に降り立った月乃ミトという月の住人の帰還を手助けするという特別な任務があります。月に行ったら彼女の家族とも会う予定ですよ』

『それは人類史上に残る快挙となりそうですね』

『そうですね。彼女のおかげで私は宇宙飛行士を目指す夢を持ち、こうして夢を叶えることができることになりました。そんな最愛の人に恩返しが出来る幸運に感謝しなければ』

『最愛の人というと奥様に怒られませんか?』

『いえ、全く。なぜなら妻の方が私より月乃ミトにはまっていますから』


 その冗談に会場が笑いに包まれる。そこで映像を止めたミトは、少しの間目をつぶったまま黙り、そして胸を張ってドヤ顔をした。


「どうだピョン。あたしのおかげで月面着陸を果たす日本人宇宙飛行士が生まれたんだピョン。しかもあたしを月に連れて行ってくれるってすごくないかピョン?」


 そのあまりのドヤぶりに、『すごいねー』『さすがです、ミトちゃん』といった同意のコメントよりも、絵文字のピーマンが大量に発生していた。


「やめろピョン。地球土産ならもっといいものを投げるピョン! 最後の最後まで本当に変わらないピョンね、あんたたちはー」


 呆れながらも嬉しそうにするミトは咳払いをすると、少し表情を真剣なものにしてコメント欄が落ち着くのを待った。

 そして一人一人に届くように、ゆっくりと語り始める。


「今日、あたし月乃ミトは月へ旅立つピョン。この地球に降り立ってからの12年間は本当に楽しかったピョン。月に帰るというあたしのわがままに、卒業配信を企画してくれてそのうえ卒業後も月乃ミトを使用してもいいと言ってくれたマギスタ、お世話になりっぱなしだったマネちゃん、そして仲良くしてくれた同期や先輩、後輩たち。そしてなによりここまであたしについてきてくれたおだん子やこめ子の皆。本当に、本当にありがとうだピョン。月に帰ってもあたしはずっと皆を見守っているから、皆も頑張るんだピョン」


 画面のミトは変わらず笑顔だったが、漏れ聞こえる鼻をすする音に皆、ミトが本当は泣いていることを察していた。

 しかしそれを見せないようにするミトに応えるためにも、コメント欄では『達者でなー』『ミトも頑張れ』といった軽く短いコメントが多く流れていった。

 そんな中で、クラゲの美少女のアイコンの横に色つきのコメントが表示される。


『泣くな、アホウサギ。さっさっと行ってこい。あっ、お土産よろしく』


 それを見つけたミトは、先ほどまで泣いていたのが嘘のように声を張り上げた。


「クラクラー! ここは最後の最後のあたしの見せ場ピョン! なーに台無しにしてくれてるピョンか!」


 体を思いっきり揺らして不満を露にするミトに、コメント欄が笑いに包まれる。

 深海クララの突然のスパチャのせいで色々と吹っ切れたのか、ミトは笑いを浮かべると明るく話しはじめる。


「まあ最後は笑ってお別れする方があたしらしいピョン。さーて、これから2時間くらいの間でいつ発射するかは決まってないから、それまで雑談するピョン」


 そう告げたミトは、打ち上げられるロケットを映したライブ映像を流しながら、コメントされる思い出を懐かしみながらずっと話し続けた。2時間では語りきれないほどの思い出を、ここにいる全員が共有していた。

 そしてその時は訪れる。


「あっ、そろそろみたいピョンね」


 画像には変化がなかったが、そう告げたミトが小さくした自分を映像のロケットへと引っ掛けるように並べる。

 すると映像の中でカウントダウンが始まり、それがゼロになった瞬間、ロケットは大きな火を噴出しながらゆっくりと上空へと飛び立っていった。ミトもそれにあわせて上昇していく。


「じゃあみんな、本当にありがとう。それじゃあ、バイバイぴょーん」


 画面からロケットとミトが消えると同時に、その配信画面も切り替わり、人ぐらいの大きさの跳ねるお団子にまたがったミトのアニメーションが流れ始める。

 ミトを乗せたお団子は山のように詰まれたお団子を駆け上がって頂点で一際高くジャンプすると、タイミングよく跳んできたロケットに掴まってミトと共に月に向かって飛んでいく。

 振り返ったお団子とミトは画面に向かって手を振ると、2人で月を指差して笑う。そのお団子の背中には小さく亀のイラストが書かれていた。

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しあわせウサギは宙を跳ぶ 宇野サキ @uno-saki

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