第27話 対峙
午後6時45分。ぽつぽつと雨がまだ残る中、俺たちは琴音の家の前までやって来ていた。
外から見える窓からは室内の明かりが漏れており、家の中に誰か人がいることを示している。
「いるみたいだな」
「そうね」
俺と同じように窓に視線を向けながら琴音が応じ、心を落ち着けるように小さく息を吐いた。
そしてポーチから鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込もうとする。
「あ、あれっ」
戸惑いの声に視線を向けると、鍵がなかなかうまく差し込めていなかった。鍵を持った琴音の手は細かく震えており、鍵穴の周りに当たってカチカチという音を立てていた。
俺は黙ってその手に自分の手を重ねる。こちらを見上げた琴音に優しく微笑んでやると、琴音は小さくこくりと首を振った。
2人で持った鍵が、今度はすんなりと鍵穴に入っていく。そして回された鍵はカチャリと音を立ててそのロックを解除する。
「ただいま」
ドアを開けた琴音がそう声を出したが、中から返事が返ってくることはない。それを気にする様子もなく入っていく琴音の姿に、沸きあがってくる怒りをなんとか抑えてそれに続く。
「失礼しまーす」
小さな声でそう言っておそるおそる入ってくる新美さんの姿に、2人で目を見合わせて少しだけ笑みを浮かべる。
これまで打ち合わせはすべて純喫茶メイカで行ってきたらしいので、琴音の家に新美さんが来るのはこれが初めてらしい。
「どうぞ自宅だと思ってゆっくりくつろいでください」
「いや、無理でしょ。それにそれは琴音ちゃんのセリフであって陸斗君が言うことじゃないよね」
「ふふっ」
俺の軽口に新美さんが冷静にツッコミをいれる。少しわざとらしすぎたかもしれないが、琴音はそれでも小さく笑っていた。
「行こう」
そう言って前を歩き出した琴音に付き添って廊下を進み、明かりのついた1階奥のリビングに向かう。その扉の前で琴音は一度息を吐き、小さくうなずくとその扉を開けた。
リビングに置かれたソファーには雄一おじさんが座っており、テレビでニュースを見ていた。
琴音が入ってきたことには気づいているはずだが、雄一おじさんは背を向けたままで振り返ることはない。
琴音の顔がわずかに悲しそうな顔に歪んだが、すぐに首を振ってまっすぐにその背中に視線を向けるとずんずんと近づいていった。
「ただいま、お父さん。話があるんだ」
「契約破棄の話なら決定事項だ。残念かもしれないが、そもそもVチューバーなどという将来性もよくわからない仕事だ。琴音の未来にとっていい機会だったかも……」
テレビに視線を向けたまま、取り付く島もない態度で雄一おじさんが言葉を続けようとする。
しかしそれは琴音の怒声で遮られた。
「私の大事な仕事を奪おうとしておいて、残念かもしれないが、で終わらせないでよ!」
ビリビリと響くような大声に、雄一おじさんが驚いた様子で視線を琴音に向ける。ようやく目と目を合わせた2人だったが、雄一おじさんは琴音に付き添う俺たちに気づいたのか、さっと顔色を怒りに染めて立ち上がった。
「また君か。君が琴音をそそのかしたんだな。それに新美さんとかいったね。あなたには社会人としての責任感はないのかね? これは本当に会社を訴えることも考えないといけなくなってくるよ」
半ば脅しのようにも聞こえるその言葉に、新美さんの体がびくりと震える。しかし新美さんは目を逸らすことなく、しっかりと雄一おじさんを、そしてその隣に立つ琴音を見つめていた。
「私は今回、株式会社マギスタの社員としてではなく、お2人を見守る大人として同行させていただきました」
「詭弁だな。では君個人を訴えることになるかもしれないぞ」
「どうぞご自由に。私は琴音ちゃんが幸せになるための手助けをするって決めましたから。覚悟はできています」
はっきりと言い返した新美さんの態度に、雄一おじさんが顔をしかめる。凛としたその姿は、本当に頼りになる大人だった。
これ以上新美さんと話してもらちが明かないと思ったのか、雄一おじさんがその矛先を俺に変える。
「上田君だったね。君には金輪際娘と関わらないようにと言ったはずだが」
「そうですね」
「ならなぜここにいる」
「琴音のことが大事だからです。だから雄一おじさんのお願いを聞くことはできません」
「君は……」
「それより先にすることがあるんじゃないですか?」
顔を赤くして怒りをぶつけようとした雄一おじさんの機先を制し、ほんのわずかな願いも込めてそう伝える。
しかし雄一おじさんは、俺から視線を変えなかった。
「人の家庭をぶち壊したお前が、堂々と口をきくな!」
先ほどの琴音と同等、いやそれ以上の声量が俺を襲う。その憤怒の表情とあわせれば、普段であれば普通に萎縮してしまうであろうほどの威圧感があった。
しかし俺の心はざわつくことも恐れることもなく、自分でも驚くほど凪いでいた。
やはりか、そんな思いが心の中で広がっていくだけだ。
「2人は今関係ない。私の話を聞いて!」
「琴音の話はこの2人を追い出してからちゃんと聞く。だから少し待っていなさい」
「聞いて、聞いてよ。お父さん!」
こちらに詰め寄ろうとする雄一おじさんに、懸命に琴音が声をかける。しかしその声はどこまでいっても雄一おじさんに届くことはなかった。
真っ直ぐに自分に背を向ける雄一おじさんを見つめる琴音の目に涙は浮かんでいない。でも俺には、どうしても泣いているように見えてしまった。
そのかける声が、届かない声が、琴音の心の叫びのように聞こえ、ふつふつとした怒りが俺の心を埋め尽くしていく。
「2人とも出て行ってくれ。これから娘と大事な話をしなければならないんだ。君たち2人にはもう関係のない、琴音の将来に関わる大切な話だ。出て行かないなら、不法侵入として警察に……」
「なんでだよ」
「それは君たちが……」
「俺たちの話じゃない。これは琴音の話だろ。なんで琴音を見てあげないんだよ! このごに及んで目を逸らして逃げるんじゃねえよ。父親だろ!」
パンという衝撃が俺の頬を襲う。思わずふらつきそうになるほどの威力だったが、どうにか足を踏ん張って倒れるのは防いだ。
手を上げた姿勢のまま冷たい目で俺を見つめる雄一おじさんをキッとにらみ返す。絶対に倒れてなんかやるものか。
「お父さん!」
「言いたいことはそれだけか」
「言いたいことは山ほどあるさ。でも今回の主役は俺じゃないんでね」
にらみ合う俺たちの間に琴音が割り込む。俺を守るように手を広げて目の前に立った琴音に、わずかに雄一おじさんが顔をしかめたが、それ以上その表情を崩すことはなかった。
「私の話を聞いて。お願いだから」
「……いいだろう。悪い縁を切る必要もありそうだしな」
雄一おじさんはそう冷たく言い放つと、背を向けて4人掛けのテーブル席へ向かって歩き出した。
こちらを振り向きもしないその背中には、拒絶する意思がのっているように俺には見えた。
「ごめん、陸斗」
ぎゅっとなにかを我慢するように顔を歪ませなながら、琴音が俺の頬に手を伸ばす。ひんやりとした琴音の手が、じんじんと熱を持ち始めた頬に当たり気持ちいい。
正直に言って結構痛かった。全く反応できなかったしな。歯がぐらついているようなことはないのでよかったが、俺の頬はきっと真っ赤に腫れているんだろう。
「琴音にビンタされたのと反対側だからバランスよくなったか?」
冗談めかしてそんなことを言った俺に、琴音がわずかに目を緩める。
「うん、格好いいよ。陸斗は」
俺の頬からそっと手を離し、琴音がテーブルに向かう。なぜか頬の痛みはほとんど感じなくなっていた。
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