第28話 琴音から陸斗へ
雄一おじさんの座る正面の席に琴音が座り、その隣に俺も座る。
新美さんは少し迷った後、雄一おじさんの隣の椅子を動かし、俺たちのほうでも雄一おじさんのほうでもなく、斜めに位置する場所に置いて座った。対決する俺たちの司会進行をするような席だ。
不機嫌そうにじろりと新美さんと俺を睨みつけた雄一おじさんは、そのまま琴音に視線を向ける。
「それで?」
あまりにも冷たく、あまりにも短いその言葉に思わず拳を握り締める。俺が出る幕じゃないというのはわかっているから我慢するが、こらえ切れなかった怒りのせいか、俺の手からポキリという関節が鳴る音が聞こえた。
しかし琴音は動揺を見せない。まっすぐに雄一おじさんを見続けていた。
「マギスタとの契約破棄の話を撤回してください。月乃ミトは私にとって大切な存在なんです。それを私から奪わないでください」
「その話はあの喫茶店でもう聞いたことだ。そのうえでもう一度言う。契約破棄の意思は変わらない。契約に違反し、適切な管理指導をせずに放置するような会社に大切な娘を預けるわけにはいかないからね」
琴音の思った以上に冷たく静かな声に少し驚く。そしてそれに対して雄一おじさんは驚くこともなく普通に返していた。
それだけでこれが、琴音と雄一おじさんにとって普通のことなのだと理解してしまった。
「それに、琴音には最初に約束したはずだ。学業を決しておろそかにしない代わりにこの仕事を許すと。期末テスト赤点だったそうじゃないか。それは約束を破ったことになると思わないかい?」
「それは、そうだけど。でも再テストではちゃんといい点をとったし、自分のわからなかったところも理解できた。次からは……」
「残念ながら次はないんだよ。悪い影響は早めに取り除く必要があるからね」
ちらりと俺と新美さんに視線を向けて、雄一おじさんが断言する。俺は真っ直ぐにその視線を受け返しながらも何も言わない。
ふるふると体を揺らし少しうつむいてはいるが、琴音の目に宿った闘志はまだまだ消えていなかった。
琴音が深く息を吐き、顔を上げてキッと睨みつける。
「じゃあ、なんで今なの?」
「……」
「陸斗が部屋に飛び込んできて配信されちゃったのは7月の半ばだった。期末テストが悪くて、私のために勉強を教える配信をしてくれたのは夏休みの初め。もう2週間以上前だよ。なんで今、契約破棄なんてことを言い出したの?」
「それはそのことを昨日知ったから……」
「つまりお父さんは、月乃ミトのことなんか、私のことなんか見てない。どうでもいいって考えてるってことじゃない!!」
両手でバンッと机を叩き、琴音が息も荒く立ち上がる。そして怒りの表情で座ったままの雄一おじさんを見下ろした。
そう、琴音が今指摘したのは俺が雄一おじさんの行動で抱いた違和感。なぜ今になってこんなことを言い出したのかということだった。
俺が飛び込んだミトの配信は、ネットニュースになるほど話題に上がった。少しでもその界隈に興味を示している人であれば、必ず目にするほどに。
しかしそれに雄一おじさんは反応しなかった。長野が気づいたように、雄一おじさんであれば俺だと気づくはずなのに。
いやすぐに気づかなかったとしても、琴音に兄がいないことは雄一おじさんが最も知っている。そこから俺の存在を推理することは難しくないはずだ。
つまり、雄一おじさんは、琴音の活動に興味もなければ、配信を視聴することもしていないということになる。
「どうでもいいなんて思っているはずがないだろう。琴音のことは大事に思っているよ。琴音の仕事に関しては私はタッチしないほうがいいと思ったんだ。親に見られていると思うとやりにくくなると考えてね」
動揺も見せず雄一おじさんは座ったまま琴音に言い返した。
たしかにその言葉には一理ある。それだけを捉えれば、娘のことを考えのびのびとできるように配慮したという風にも聞こえる。
「だから見なかった。気づかなかったって?」
「そうだ。そのためにすぐに気づかなかったことは私の落ち度だ。それは謝ろう。琴音、悪かった」
そう言って雄一おじさんが琴音に頭を下げる。琴音は立ったままその姿を眺め、すとんと椅子に腰をおろすと視線を下げてうつむいた。
頭を上げた雄一おじさんは、すこしほっとした顔をしながら琴音に語りかける。
「まだまだ琴音は若い。色々な選択肢がこの先には待っている。来年には大学受験もあるし、これもいい機会だと思って……」
「なんで……」
「琴音?」
琴音の呟きに雄一おじさんの言葉が止まる。不思議そうに呼びかける雄一おじさんを、琴音は顔を上げてじっと見つめた。その瞳からは涙がこぼれていた。
「じゃあなんて私を喫茶店に置いていったの? 大切なんじゃないの? お父さんの大切がなにか私にはわからないよ!」
「それは冷静に考える時間が琴音にも必要だと……」
「お父さんはいつもそう。そうやって自分を正当化して、自分だけで結論付けて。お父さんの中に本当は私なんていない。お父さんの目には私なんか映ってないんだ!」
「いい加減に目を覚ましなさい!」
振り上げられた手を前に、琴音がぎゅっと目をつぶって身を縮こまらせる。しかし雄一おじさんの手が琴音に当たることはなかった。
「なんのつもりだ?」
「その追い込まれたら平手打ちするのって癖ですか? やめたほうがいいと思いますけど」
「離しなさい」
「琴音をぶたないって約束してくれるなら」
間一髪で掴んで止めた腕をギリギリと締め上げながら、俺は雄一おじさんとにらみ合う。これまでのイライラを発散するようにかなり力を入れているせいか、雄一おじさんは顔をしかめていた。
俺の質問には答えなかったが、雄一おじさんが力を抜いたことを察してその腕を離す。俺が掴んだ部分にはくっきりと赤い跡が残っていた。
「琴音、あとは任せてくれ」
「ごめん、陸斗」
「ははっ、お兄ちゃんに任せろ」
涙を流す琴音の背中を軽くさすり、そう冗談めかして伝えて正面を向く。先ほどまで琴音と話していたときには見せていなかった、敵意をもった視線が俺を貫く。
「きみは琴音の兄じゃない」
「血が繋がりという意味ではそうですね。逆に雄一おじさんは血の繋がりしかないように俺には見えます」
「どういう意味だ!?」
「琴音に聞きました。あの事故以来、雄一おじさんは変わってしまったって。仕事に打ち込んで帰ってくるのは平日でも深夜。土日も出勤することがほとんどだそうですね」
「琴音が安心して生活できるように仕事に励んでいる。すべては琴音のためだ!」
「ひとりぼっちの琴音が可哀想だとは思わなかったんですか?」
「別に一人というわけではないだろう。琴音にだって友達はいる。私は父親としての勤めを……」
「可哀想だと思うのか、思わないかを聞いてんだよ。そこから逃げるんじゃねえよ!」
「その原因である君がそれを言うのか!?」
叩きつけられた雄一おじさんの拳によって、テーブルがミシっと嫌な音を立てる。俺を睨みつけるその瞳は憎悪の炎に染まっており、ここに琴音や新美さんがいなければ確実に掴みかかってきていただろうことがよくわかった。
だが俺にとってはそんなことはどうでもよかった。ただ雄一おじさんが哀れに見えた。
「俺がいなければ美琴おばさんは死にませんでした」
「そうだ。全部お前のせいだ! お前がいなければ美琴は、俺たちの家族はこんなことにならなかったんだ」
「それは違います。家族をこんな風にしたのは雄一おじさんのせいです。まあ琴音にも責任がなかったかと言われれば、少しはあると思いますが、まだ小さかった琴音にそれを求めるのは酷でしょう?」
「き、きさま!」
「お、落ち着いてください!」
逆上して立ち上がりかける雄一おじさんを、新美さんが体を張って止める。その見た目こそ木に抱きつく子どものようだったが、勇気ある行動に俺の心が温かくなる。
さすがに新美さんを振りほどくことはできなかったのか、雄一おじさんは椅子に座りなおした。しかしその激情は決して治まってはおらず、殺そうとするかのような鋭い視線を俺に向けていた。
「君に何がわかる」
ぼそりと、低い声で呟かれたその言葉はとても重々しいものだった。
それはそうだ。最愛の妻を亡くした絶望も、その後のことも、当事者ではない俺にわかるはずがない。
だけどな……
「わかりますよ」
その瞬間、雄一おじさんの瞳が見開かれた。その全身は膨張し、ゆらりと背後になにかが立ち上っていくような威圧感が放たれる。
そのぐらいの絶望を雄一おじさんは抱えていたんだろう。でもだからといって琴音にしたことを許すわけにはいかない。
「俺にはわかります。雄一おじさんが逃げているってことが。美琴おばさんのことも、そして琴音のことからも。だって……だって俺もずっと同じように逃げてきたんですから」
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