第26話 作戦名

 琴音の覚悟を確認した俺は、新美さんに向き直る。


「すみません、1つ聞きたいんですがこの特記事項って未成年のVチューバー共通のものですか? それとも琴音専用ですか? さっきの新美さんの言い方だと琴音専用のような言い方でしたけど」

「その認識で間違いないわ。琴音ちゃんの場合は前々から配信活動の実績があって登録者も多くいたところに、マギスタがスカウトという形で来てもらったから。お父様も含めて話し合いをさせていただいてできる限りそれを反映させてもらったの」

「そうですか。ありがとうございます」


 それがどうかしたの、と不思議そうな顔をする新美さんに感謝を伝え、改めて契約書の特記事項の部分をじっくりと読んでいく。

 一番重要なのはここだ。ここにきっと俺の違和感の正体があるはずだ。


「あの、リグガメ君……」

「しっ、少し待ってあげてください。陸斗がああなっているときはすごく考えているときなんです」


 なにか新美さんに声をかけられた気もしたが、特に続かなかったので後でいいってことだろう。

 わざとわかりにくいように書いているんじゃないかと思うほど、回りくどく書かれた契約書の文章を読み解いていく。何度も元の契約書の内容を確認してその意味を理解し、それの特例として追加された文言に隠された意味を予想していく。


 少しずつ、少しずつではあるが俺の中のもやもやが晴れていく。雄一おじさんに先ほど会ったときから感じていた違和感。ある程度予想していたそれが、この特記事項を読み込むことで具体的になっていく。

 そして読み終えたとき、俺の心に残ったのは……


「陸斗……」


 顔を上げた俺をじっと見つめる琴音の姿に、胸がしめつけられる。

 なんで琴音がミトとして動画の配信を始めたのか、その理由が今はっきりと理解できた。

 この小さな体で、琴音は一人でずっと頑張ってきたのだ。俺はそれに気づいてあげられなかった。


「ごめんな、琴音。俺、お前のこと全然わかってなかったんだな」

「なんのこと?」

「色々だよ。でもこれは俺の予想で確実じゃない。だから琴音、お前の話を聞かせてくれ。正直に言って嫌なことを聞くことになると思う。でも……」

「状況を打開するにはそれが必要だって陸斗が思うんでしょ。ならいいよ。私は陸斗を信頼してるから。いつも私を助けてくれる、陸斗の魔法を信じてるから」


 迷いなくまっすぐに琴音が俺を見つめる。そこから感じられるのは、俺に対する絶対的な信頼。

 目を逸らし、逃げ続けてきた俺をどうしてこんなに信頼できるのか。昔と変わらないその純粋な瞳が重くのしかかる。


 大人に対しての本当の交渉なんてしたことがない。しかも相手は俺に対して敵意をもっている雄一おじさんだ。

 でも琴音の願いをかなえるためにも失敗は出来ない。チャンスは一度きりしかない。


 大きく息を吐いて気合を入れなおす。そんなことは最初からわかっていただろ。

 覚悟なんてとっくにすませている。

 純粋な琴音の信頼を、俺の背中を押す力に変えるんだ。


「じゃあ、聞くぞ」

「うん」


 目と目を合わせ、俺たちは話しつづける。

 望む未来を手に入れるために、ばらばらになったパズルのピースを探してつなげていく。


 俺の質問に、琴音がつまることは何回もあった。でも、琴音が口をつぐむことはなかった。

 その覚悟に応えるために、俺も自分の不甲斐なさに対する後悔を後回しにして、どうしたら説得が成功するか、そのための情報をただ集めていく。

 ひととおり話を聞き終えたときには、机の上のホットミルクは完全に冷めてしまっていた。


「ありがとう、琴音」

「うん」


 少し涙ぐむ琴音が、にこりと笑顔を浮かべる。その顔はどこかすっきりしているようにも見えた。溜めていた気持ちを吐き出せたことで、少し心が軽くなったのかもしれない。

 笑顔で返した俺に琴音はその笑みを深めると、隣に座る新美さんを見て少し困ったように眉を寄せた。


「えっと、新美さん。ハンカチ使う? 濡れちゃってるけど」

「ぐすっ、いえ。だいじょうぶです」


 俺たちの話を隣で黙って聞いていた新美さんだったが、話の途中から泣きっぱなしだった。ただ俺たちの邪魔をしないために声をあげずにただ涙を流し続けていたのは、さすが大人の対応といったところか。

 優しく琴音に頭を撫でられながらハンカチで目元を押さえている今の姿は、年下にしか見えないが。

 しばらくそうして泣いていた新美さんが、少し恥ずかしそうにしながら顔を上げる。


「琴音ちゃん、頑張ったんだね。偉いね。気づいてあげられなくて、ごめんな……」

「あぁ、もう。泣かなくていいですから」


 再び涙ぐみ始めた新美さんに、優しく声をかけながら琴音が苦笑いする。その姿を見てぐっと涙をこらえた新美さんは、小さくうなずくと俺に視線を向けた。


「それでリクガメ君、これから……」

「陸斗です。上田陸斗。それが俺の名前です。もうごまかす必要はありませんから」

「そっか。じゃあ陸斗君。琴音ちゃんのことはよくわかったけど、これからどうするつもりなの?」

「もちろん説得に行きますよ。今から」

「「今!!」」


 まるで双子のように声をそろえ、こちらを同時に振り向く二人に小さく笑いながら首を縦に振る。


「あの、もう少し対策を練ってからの方がいいんじゃない?」

「私もそう思うけど」


 2人が顔を見合わせながら聞いてくる。たしかに2人の言うことももっともだ。

 事情を知ってすぐに会いに行く、と聞けば考えなしに行動しているようにみえるし、もっと時間をかけて考えれば、良い方法が浮かんでくるかもしれない。

 でも……


「俺が取れる手段ってそこまで大したことじゃないんだよ。そして俺の考えが正しければ時間は大敵なんだ。だから今すぐ会いに行く。今なら雄一おじさんは家にいるだろ?」

「うん、たぶん」

「今を逃したら次に会えるのはいつかわからないしな。心強い大人の新美さんもいることだし」

「大人……うん、私頑張るから!」


 少し顔をにやけさせ、そして力強くまかせろと胸を張る新美さんに、若干の不安を覚えながらもそれを顔には出さずに琴音を見つめる。

 俺の目を見て本気だとわかったのか、琴音が真剣な表情でゆっくりと首を縦に振った。


「まあ、そんなに緊張する必要はないって。俺がダメでもマギスタとしてなにか対応は考えているはずだし」

「そうなんですか?」

「まあミトはこのごろ最も勢いのある子だし、本社もそれなりに対応してくれるはずだけど、まだ私まで詳細なことはおりてきてないわ」

「時間をかけて考え中ってことですね」

「そうね」


 先ほどの2人の言葉にかけた俺の返しに、新美さんが苦笑する。しかし琴音はくすりとも笑っていなかった。

 その表情は緊張のせいか固まってしまっている。そりゃあ琴音の状況を考えたら怖いし、緊張するだろう。

 でも、それじゃあ何も言えなくなってしまう。琴音が変わらなければ、雄一おじさんを変えることなどできない。


「よし、じゃあ最後にこの作戦の名前を考えよう」

「作戦の名前?」

「そんなのいるの?」

「いいから2人とも考えて。あっ、ついでに先に夕食も食べておきましょうよ。腹が減ってはいくさはできぬって言いますし。この前のお礼に俺がおごりますから」


 少し遅れてしまうだろうが、せいぜい30分から1時間程度のはずだ。琴音の緊張が多少でもほぐれるようであれば、それは無駄な時間じゃない。

 マスターに頭を下げて、なにか食べるものを作ってくださいとお願いすると、マスターは快く引き受けてくれた。このお礼はいつかちゃんと返さないとな。


 席に戻り3人で顔を突き合わせながら作戦名を考える。冷静に考えればなにをやってるんだって状況なんだが、2人ともそれに気づくこともなく真剣に案を出し合っていた。


「ウサギ奪還作戦とか?」

「ミトだからウサギはいいと思うんですが奪還はちょっと……。幸せウサギ計画が良くないですか?」

「脱走とかいれる? 捕まった檻から飛び出すって意味を込めて」


 3人で案を出し合うがなかなかこれという名前が決まらない。

 途中でマスターが持ってきてくれたサンドイッチをぱくつきながら、自由に意見を言い合っていると、少しずつだが琴音の表情も柔らかくなっていった。


「はじめての反抗、とか?」

「ちょっとあの音楽が聞こえてきちゃうからそれはやめて」

「あっ、私あの番組に申し込みしていたらしいです。落ちちゃったらしいですけど」


 そんな会話ができるくらいになった琴音の姿に少しだけ笑みを浮かべる。サンドイッチももう残り少ない。そろそろ決めないと。

 これまで出てきた意見をまとめて、いいとこ取りしていく。

 ウサギ、幸せ、檻からの脱出。月乃ミトが、琴音が望む未来へ、その先へ向かう第一歩になるように。


「幸せウサギはそらを跳ぶ、でどうだ?」

「空? ウサギなら地面を掘るほうが自然じゃない?」

「月乃ミトの最終目標は月に行くことだろ。その一歩として宇宙の宙と書いて、そらを跳べるように檻から踏み出すって意味で」

「私はもうなんでもいいわ。考えすぎて疲れちゃった」


 机にぐてっと体を預ける新美さんをねぎらいながら、琴音が小さな声で「月、宇宙か」と呟いて天井を見上げた。

 そこには天井しかないし、その先も厚い雲で覆われていて琴音が望んでいる月が見えることはない。

 それでも琴音にとってそれは意味のあることだったのだろう。俺に視線を向けた琴音は緊張はしてはいるものの、雄一おじさんと対決するときめたときの力強い瞳が戻っていた。


「うん、私もそれでいい。それに作戦名なんてどうでもいいしね」

「それを言ったらおしまいだろ。まあいいや、それじゃあ作戦名、幸せウサギはそらを跳ぶ、開始だ。絶対に成功させるぞ」

「「おー!!」」


 俺の突き出した拳に、琴音と新美さんの拳がぶつかる。俺たちは真剣な表情で顔を見合わせ、そして同時に笑みを浮かべたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る