第22話 友達
翌日、窓のカーテンを開けると天気予報のとおりしとしとと雨が降っていた。
雨の中遊びに出かけるのか、という気持ちを押さえて俺は準備をすませると、午前10時少し前に紺色の傘をさして家を出る。
サッカー部は夏休み期間中でも平日はすべて練習がある。もちろん公立でサッカーの強豪校でもなんでもない俺たちの学校だから休んでもなにも言われないが、あの司のことだ。毎日欠かさず練習をしていたのだろう。
たまたま今日は雨でグラウンドが使えず、お盆ということもあり完全に休みとなったので司は俺を遊びに誘ってくれたというわけだ。だから雨なのはしかたがない。
向かったのは駅近くにある大型ショッピングモールだ。というより徒歩圏内で雨の日に遊べる場所といえばそこくらいしかない。
別に俺や司の家で遊ぶというのでも良かったのだが、司が買いたい物があるということもあってここに行くことに決まったのだ。
約束の時間より10分ほど早くショッピングモールに着いたのだが、その正面入り口の脇には既に司の姿があった。
だぼっとした大き目のTシャツに黒白のチェックのパンツという俺にはないチョイスの服を身につけた司は、スマホの画面に視線を落としたままでこちらに気づいている様子はない。
そちらへと足を向けて近づくと、あと数メートルといったところで司が顔を上げた。
「よっ、久しぶりだな」
そう声をかけた俺に、司はうろんげな目を向ける。そしてなぜか大きくため息を吐いた。
「陸斗、お前もうちょっとファッションを気にかけろよ。白シャツにジーパンって」
「動きやすくていいだろ」
「あー、はいはい。陸斗が本物ってことがよくわかったよ。んじゃ、行くか」
「そうだな」
司と連れ立って入ったショッピングモールは、家族連れや俺たちのように友達同士の学生で賑わっていた。
まあ雨だし、屋内で遊べるここに人が集まるのは当然かもしれないが、空調がきいていて涼しいはずなのにどこか熱気を感じる人ごみを眺め、俺はうなずく。
「よし、帰るか」
「絶対に言うと思った。俺が見たい店のある3階はもうちょっとマシだからさっさと行くぞ」
残念ながら俺の提案はあっさりと却下され、司に背中を押されながらエレベーターに乗り込む。
やっぱり家で遊ぶことにすればよかったと、少し後悔しながら。
司と馬鹿話なんかをしながらショッピングモールを巡り、司の目的の服屋だけでなくゲームセンターや本屋に寄ったり、フードコートでハンバーガーを食べてだらだらしたりしていたら、いつの間にか午後3時近くになっていた。
特になにをした、というわけでもないのだが、2人でこうして巡るのを俺も司も楽しんでいた。
「とりあえずこんなもんか?」
「そうだな。しかし遊びに来たのに参考書なんて買うなよ。女にもてるためにも服を買え、服を」
「司がお古をくれるなら必要ないだろ。よくわからんし」
「あぁ、そういえばこういう奴だったわ」
がっくりと肩を落とす司を見ながら、なぜこんなにも服を買わせようとするのか不思議に思う。
着心地のいい服で、奇抜なデザインでなければなんでもいい、というのが俺の正直に気持ちなのだ。今のままでも十分だが、司がお古をくれるというのならこれ以上服を買う必要など全くなかった。
しかしお古とはいえ、ただで服をもらうってのも司に悪いよな。
「なあ司、まだ時間あるか?」
「おう。別にいいぞ」
「この近所に、ちょっと面白い喫茶店を知ってるんだが行かないか。服のお礼に好きなもの……いや2千円以内のものならおごってやるぞ」
「へぇ、別におごってくれなくてもいいけど陸斗が面白いっていうのは興味があるな。でもなんで2千円までなんて言い直したんだ?」
「あー、それで失敗した人を知ってるからな」
好きなものといった挙句、とんでもない金額を請求されそうになって慌てる新美さんの姿を思い出し、こらえきれなかった笑いが漏れる。
そんな俺の様子を少し不思議そうに司は見ていたが、「まっ、いいか」と呟くと、喫茶店に行くことを俺に告げたのだった。
ショッピングモールから以前新美さんに会うときに使った純喫茶メイカはおよそ10分弱の距離でそこまで離れていない。
しかしいつの間にか強くなっていた雨のせいで、俺の履いていたスニーカーは濡れてしまい、不快感と共にぐちゃぐちゃと愉快な音を奏でる楽器に変貌していた。
同じように新たな楽器を手に入れていた司が、純喫茶メイカの古びた看板を眺め、顔を引きつらせる。
「あれっ、俺タイムスリップした?」
「残念ながら人類初のタイムトラベラーにはなれていないぞ」
司の言葉にそうツッコミを入れながら、俺が入り口の扉を開ける。カランカランというベルの音が店内に響き、カウンターの奥にいたマスターに小さく頭を下げる。
俺を見てマスターがハッとした顔をし、少し慌てた様子でこちらに来ようとするのを見て俺が首を傾げていると……
「待って、お父さん!」
「お願いします、話を聞いてください!」
そんな切羽詰った女性たちの大きな声が俺の耳に届いた。
その声は、どちらも俺にとって聞き覚えのあるものであり、そしてその声を背に受けながら一顧だにすることなくこちらに向かってくる細身の鋭い目をした男性の姿に俺は硬直した。
スーツ姿のその男性は、俺を視界に捕らえるとメガネの奥の鋭い瞳をさらに厳しいものにする。
「君か。私たち家族の幸せを奪っておいて、よくのこのこと娘の前に姿を現せたものだ」
「雄一おじさん……」
「クラスが一緒なのはしかたがない。しかし金輪際、娘とは関わらないでくれ」
憎々しげな目で俺を睨みつけ、それだけを言い残して琴音のお父さんである雄一おじさんは出て行った。
100%純粋な敵意。心の底からの憎しみを感じるその姿に、俺の体はこわばり、心には大きなひびが入っていく。でも、そこまでだ。
息を吐いて心を落ち着け、前を向く。綾が俺に示してくれたように、俺も前に進まなくては。
視線の先には新美さんと、今にも泣き出しそうなひどい顔をした琴音が立っていた。
「リクガメ君? なんでここに」
混乱した様子で尋ねてきた新美さんに答えようと、俺が口を開くと同時に、俺の耳に琴音の声が届く。
「リク兄のせいだ。リク兄のせいでまた私は、ミトは……っ!」
「あっ、おい!」
突然駆け出した琴音が、俺の横をするりと通り抜けて外へ飛び出す。としゃぶりの雨の中、傘さえ差さずに走り去ろうとする琴音の姿に、慌てて俺も走り出した。
「おい、陸斗!」
「悪い、おごるのはまた今度な」
司にそう謝罪し、扉を乱暴に開け放って琴音の背中を追う。大粒の雨が瞬く間に全身を濡らしていき、滲む視界を手で拭って強引に走り続ける。
「琴音のやつ、意外と足速いな。いや、俺が遅くなってるのか」
徐々にしか縮まっていかない距離に少し焦りながら、見失わないように懸命に追いかける。
最近運動をほとんどしていなかったせいで、自分の体が思うように動かない。昔ならこんなことはなかったのに、と後悔の念がつのるが、そんなことより今は琴音のことだ。
状況ははっきり言ってかなりまずい。先ほどの場面と琴音の言動から想像すれば、なにが起こったのか、おおよその予想はつく。
きっと雄一おじさんに、俺がミトの配信に出たことがばれたのだろう。そしておそらく琴音は、月乃ミトとしての活動を辞めるように言われたに違いない。
もしかしたら違うのかもしれないが、新美さんまで来て説得しようとしていたのだから、それくらい重大なことが起こったのは確かだ。
「くそっ!」
細い路地に姿を消した琴音を追いかける。いま琴音を独りにするわけにはいかない。
その一心で追いかけ続けたかいがあり、その路地は奥で行き止まりになっていた。琴音はじっとその壁を見つめ、俺に背を向けたまま立ち尽くしていた。
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