第21話 変わっていく覚悟

 ペルセウス座流星群の観測を終えた翌日、というか日をまたいだ深夜まで観測は続いたから正確に言えば当日か。午前8時という、いつもより遅い時間に目を覚ました俺は布団からむくりと体を起こす。


 このコテージには宿泊用の部屋が2つあり、そちらは女性陣が使っているため俺は少し狭い荷物などを保管する用の小部屋で眠ったのだが、案外悪くなかった。

 ただ床に布団を敷いて寝ることには慣れていないため体が強張っており、軽くストレッチしながら扉を開けてリビングに出る。


「あっ、陸斗。おはよう」

「あー、おはよう。なが、じゃなくて綾」


 今まさにパンを頬張ろうと大口を開けていた長野、いや綾が少し恥ずかしそうにしながらしてきた挨拶に、こちらも若干照れながら挨拶を返す。

 昨日のことがあって、俺に道を示してくれた綾に感謝を込めて、なにかして欲しいことはないか聞いたところ、綾が要求したのはお互いに名前で呼び合うということだった。

 それくらいなら、と軽い気持ちで了承したんだが、なんというか改めてこうやって呼び合うと恥ずかしいな。


「みんなは?」

「まだ寝てるみたい。1年生たちは興奮して夜遅くまで起きていたみたいだから昼近くになるかも」

「そっか」

「えっと、陸斗も朝ごはん食べる? 簡単なサンドイッチだけど」

「もらうもらう」


 綾が机の真ん中に用意されていたサンドイッチから2つを小皿にとりわけ、俺が座ろうとしていた対面の席に置く。

 そのまま座ろうとして、手も顔も洗っていないことに気づいた俺は、流しに行ってそれを手早く済ませるとリビングに戻って綾の対面に座った。


「では綾の手料理に感謝して、いただきます」

「はいはい。いただいてください」


 用意されていたのはレタスを挟んだツナサンドと、スライスきゅうりを挟んだハムサンドだ。

 綾は簡単なとは言っていたが、食パンをそのまま丸かじりでも食べられれば問題ないと考えている俺にとっては十分に手間がかかっている。

 しゃきしゃきとしたレタスの食感を楽しんでいると、同じように食べ始めた綾がごくりとサンドイッチを飲み込み、口を開く。


「小早川さん、結局来れなかったわね」

「まー、あいつは例の仕事があるからな。今は東京にいるはずだぞ」

「そうなんだ。なんというかそういう話を聞くと、私とは別の世界の人なんだなって実感するね」

「本人はいたって普通なんだけどな」


 俺の答えに、綾はくすりと笑っていた。名前で呼ぶようになって、少しの戸惑いはあるものの、俺たちの空気は以前とあんまり変わっていない。

 俺があえてそうしているように、綾もそうしているのだろう。恋人同士にはなれなかったが、俺たちの関係がそれで完全に切れてしまうわけではない。

 都合よすぎるかもしれないが、尊敬すべき綾と縁を持ち続けていたい。それが俺の正直な気持ちだった。


「これで合宿も終わりね。どう、初めて参加してみた感想は?」

「いろいろありすぎて、流れ星に願いをかけるのを忘れたのが心残りだ。そういう綾は?」

「うーん、ちょっとだけすっきりしたかな。しいて言えば、私も願い事をし忘れたのが残念だったかも」

「2人とも忘れるなんて、似た者同士なのかもな、俺たち」

「かもね」


 顔を見合わせて俺たちは笑う。笑う綾の目は少し赤みが残っており腫れぼったくなっていたものの、見とれてしまうほど綺麗な笑顔だった。





 皆でつくった昼食を食べ終え、天文部の合宿の全日程が終了した。

 顧問の山田先生は俺が起きてしばらくしてリビングにやってきたが、後輩たちが起きたのは11時に近いくらいの時間だった。しかも起きたときにはまだ眠そうにしていたことを考えると、本当に夜更かししたんだろう。


「はい、1年生も忘れ物がないかちゃんと確認してね。陸斗は悪いけど外を見てきて」

「わかった」


 後輩たちの好奇の視線を軽く受け流しながら、綾の指示に従ってバンガローの周囲の確認に向かう。

 炊事場などを重点的に見回り、返却もれの調理器具などがないかを確認した俺は、そのままぐるりと一周歩き回る。流星群の観測以外はほとんどここから離れていないし、周辺には特になにも残されていないことを考えると忘れ物はなさそうだ。


 役目を終えた俺は、その報告をしに戻ろうとバンガローに足を向ける。そのとき、視界の端できらりと何かが光った気がした。


「なんだ?」


 そちらに歩いていった俺は、山頂へと向かう道の端にぽつんと落ちた古ぼけたピンクの髪留めを見つけた。安っぽい、100均などで売っているようなもので、人によってはゴミに見えるかもしれないものだ。

 俺は首をひねりながらそれを拾ってポケットにしまうとバンガローに戻る。その頃には1年生たちも自分たちの確認を終えていた。

 全員が戻ったところで山田先生が締めの挨拶をして色々な波乱に満ちた天文部の合宿は終わりを迎えたのだった。





 天文部の合宿を終え、家に戻ってきた俺は『マギスタ流星祭』を見て切り抜き動画を作成した。

 2択を10連続で間違えるという、0.1%未満の確率を引き寄せるミトの凶運には思わず笑ってしまったが、見せ場としてこれ以上のものはなかった。


 既に流星祭の切り抜き動画はいくつも投稿されており、早さではもう敵わない。だからこそ丁寧に動画を作りこみ、ミトの魅力を最大限に引き出すことに注力した。

 遅れをとったぶん、再生数という点では振るわないかもしれないが、ミトの魅力を伝えるという一番の目的を考えればこれでよかったのかもしれない。


「さて、明日からどうするかな」


 ちらりとベッド脇の目覚まし時計に目をやると時刻は午後11時を過ぎていた。

 これからの大まかな方針は決めたものの、具体的な方法はまだ決まっていない。夏休みで琴音に会うのは二学期に入ってからになるだろうから、そこまでに決めれば……


「いや、それも逃げか。ははっ、完全に癖になってるな」


 背もたれに体重を思いっきり預けて天井を見上げる。

 ペルセウス流星群の極大日は過ぎたが、しばらく流れ星には事欠かない日々が続いているはずだ。こんな光あふれる街中で流れ星が見えるかどうかは別として。


「まっ、昨日し忘れた願い事をしても別にいいよな。きっと星は流れているだろうし」


 我ながら適当すぎるだろ、と自嘲しながら祈ろうかと思ったそのとき、ブルルと机の上においてあったスマホが振動する。

 画面を見るとそれは、司からのメッセージが届いていることの通知だった。アプリを立ち上げ内容を確認すると、そこには短く『明日、雨で練習を中止するらしいから久しぶりに遊ぼうぜ』という誘いの言葉が書かれていた。


 いつもなら適当な理由をつけて断っていた。司といるとどうしても昔のことを思い出してしまうから。

 俺が逃げていることに気づいているはずなのに、ずっと司は俺のそばにいてくれた。断られるだろう誘いをなんどもしてくれた。それが司にとって辛くないはずがないのに。

 綾といい、司といい、本当に俺にはもったいないくらいだ。


 スマホのキーボードに指を滑らせ返信を打つ。それは簡単な3文字の言葉。『いいぞ』それだけだ。なんとなく、それ以上書くのは恥ずかしかったため、そのまま送信ボタンを押す。

 その直後、スマホが着信を告げた。画面に表示されたのは、司という一文字だけだった。

 そのあまりに早い反応に苦笑しながら、画面をスワイプしてスマホを耳に当てる。


「どういうことだ!?」

「いや、遊びに誘ったのは司だろ?」

「それはそうなんだが……お前、本当に陸斗か?」

「おかけになった番号は、陸斗のものではありません。もう一度番号をお確かめになってからおかけ直しください、とでも言えばいいのか?」

「確かにその性格のひん曲がった返しは陸斗っぽいが……」

「切るぞ、おい!」

「いや、だって。陸斗が俺の誘いに乗ってくるなんて……そういえば昨日は天文部の合宿って言ってたし、宇宙人にのっとられたとか? それなら納得できる」

「納得すんな!」


 開口一番、ありえない言葉から始まった司との会話で再認識したのは、やっぱりこいつは馬鹿で、しつこいってことだった。

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