第20話 与えられた勇気
ゆっくりと穏やかになっていく長野の息遣いを感じながら、ゆっくりと話し始める。
「ありがとうな、長野。でもやっぱり今の俺は恋人をつくるとか考えられないんだ」
「うん、なんとなくわかってた」
「決して長野のことが嫌いってわけじゃない。ちょっとお堅いところは苦手だけど、気安く話せるし、それに、えっと、まあ可愛いと、俺は思うぞ。いい匂いもするし」
「におっ、えっ、あっ!」
バッと体を離した長野がぷるぷると震える。あー、匂いのことを言うのはダメだったみたいだ。
ボディソープなのかなんなのかわからないが、どこか安心する匂いで心地よかったので特に他意はなく褒めたつもりだったんだが、確かに人によっては気にするか。
「すまん。ちょっとデリカシーがなかったな。でもいい匂いなのは本当だぞ」
「……それを聞いた私はどう反応すればいいのよ?」
「喜ぶ、とか?」
「いや、まあ嬉しくないかといわれればそんなことはないんだけど、なんか複雑ね」
くしくしと自分の顔を腕で拭い、長野が笑う。少し離れたとは言え、観測時よりも近づいた長野の顔はしっかりと見えていた。
告白して、断られて。傷ついていないはずがないのに、長野は俺に笑顔を向けてくれている。普段どおりにしようとしてくれている。
なんでこんないい女が俺なんかを好きになったんだろう。
「長野はダメ男が好みとか?」
「変な呪いをかけないでよ。私が陸斗を好きなのは昔からなの。ほら、小学校の頃によくサッカーで試合していた南部FCのセンターバック覚えてない?」
長野に言われて記憶を探る。よみがえってくるのは、地区予選の決勝戦。俺が人生で最後にサッカーをした試合、その対戦相手だったチームが南部FCだった。
ボランチとして俺も出場したのだが、エースストライカーだった司ともう一人のフォワードを中心に、ガンガンと点を取っていくスタイルだった俺たちのチームを1点に抑えた堅守のチームが南部FCだ。
なんどとなくチャンスを演出したのに、そのことごとくをオフサイドトラップによって防がれ、かなりイライラしたので忘れるはずがない。
その完璧とも言えるラインコントロールの要であったのが、南部FCのセンターバック。背が高く、フィジカルも強く、おまけに容姿端麗でファンの女の子まで応援にくるようなそいつの名前は……
「長野。えっ、マジで?」
「思い出したみたいね。しかもその反応からして、私が女だってことも知らなかったでしょ」
「いやだって、なあ。ファンの女の子たちからキャーキャー言われてたし、髪も短かったし、めっちゃ日焼けしてたし、あとは……」
「ごめん、もういいや。今思うと私でも仕方ない気がする」
次々と例を挙げていく俺に、長野が苦笑いしてそれを止めさせた。やっぱり自覚があったんだな。
でも、確かに言われてみるとその面影が今の長野に残っているのがわかる。目や鼻から口にかけての綺麗なラインなんかはそのままだ。肌が白くなり、髪が伸びたことでかなり印象が変わったというわけか。
そんな風にまじまじと俺が長野の顔を見ていると、「あんま、見んな」と少し恥ずかしそうにした長野に頭をはたかれた。
「小学校地区予選の決勝、覚えてる? 私たち南部FCはずっと前から対策を練ってきたの。陸斗のパスをどうやって止めるかってことに。そのかいあって初めのころは完璧に抑えられた、でも段々陸斗のパスが鋭くなって余裕もなくなって、前半終了間際には1点を入れられてしまった。このままじゃ負ける、そう思って気合を入れた後半、陸斗はいなかった」
「そうだな」
「後半に2点入れて私たちのチームが結果的に勝ったわ。でも私は全然それが嬉しくなかった。今度会ったら絶対に文句を言ってやるって決めてた。でも、会えなかった。陸斗はクラブをやめてしまったから」
時がたち、既に薄れてしまっているだろうに長野の表情にはいまだ悔しさが感じられた。それは、それだけ本気で長野がサッカーに打ち込んでいた証拠のように俺には思えた。
その姿に漏れ出してしまいそうな本音を、拳に力を込めてこらえる。こんなに正面からぶつかってきてくれた長野を前にしても、俺は……
「ごめん」
「ううん。あの頃は悔しくて悔しくてしかたなかったけど、今はなにか事情があったんだろうなってわかるから」
謝ることしかできない俺に、長野は小さく息を吐くとその表情を穏やかなものに変えた。
「そんなわけで、昔から私は陸斗を知ってたのよ」
「そっか」
そう納得しかけて、ふと気がつく。
「でもそれって俺を好きになる理由になってなくないか?」
俺の指摘に長野の目が明らかにおよぎ始める。しかしじっと見続ける俺の態度に観念したのか、長野はちょっと視線をそむけながら、ふてくされたように話しはじめた。
「私、ずっと陸斗に勝ちたくていつも考えてたの。試合や練習だけじゃなくて、テレビでサッカーを見ているときも、寝ているときでさえ。この場面、陸斗ならどう対応するだろう。ここで詰めたら、はたまたパスコースをふさいだらどうするだろうって。いっつも陸斗が頭の中にいて、それでいつの間にか……」
「好きになってた?」
「そうよ、悪い?」
ふんっと息を吐いて開き直る長野の態度が可愛くて思わず笑ってしまう。すぐにマズイ、誤解されると思って笑みを消したが、長野は気にした風もなく、ただため息を吐いていた。
「私自身、馬鹿な理由だと思うのよね。こんなに長い間引きずって、陸斗と接点をもつためにって、畑違いの天文部なんかに入っちゃうし。まあ天文部はやってみたら面白かったけど」
「全く興味がないのに天文部に入ったのか?」
「まあね。真面目な理由で入った子たちには悪いけど」
そんな冗談を言いながら長野がくすりと笑う。幽霊部員がほとんどの天文部に、真面目に天文部の活動をしたくて入った者がいる確率はほぼない。
そんな中で真面目に活動を続け、後輩にしっかりと指導できるまでの知識を長野は身につけたのだ。
「さすが長野。キャンプ場数、日本二位」
「陸斗のそのストック、あとどのくらいあるのかちょっと興味があるわね。ちなみに一位は?」
「北海道だな。あそこはでっかいどうだから」
「あー、たしかにそれは納得かも。でも北海道の冬ってキャンプできるの?」
そう聞き返してくる長野はもう普段どおりに戻っているかのように見えた。さぼる俺を長野がしかって、冗談でまぜっかえせば律儀にツッコミをする。
そんな元通りに日々が戻ってくるんじゃないか、そんな期待をわずかに抱いた俺に、長野は笑いを寂しそうな表情に変え、静かに告げた。
「ねえ、陸斗。小早川さんとなにかあったでしょ?」
「なにかって?」
「小早川さん、いつも陸斗の応援に来てた。観客席から一生懸命「陸斗、がんばれー」って応援してた。でもあの決勝戦のときは来てなかったよね」
「……」
「陸斗がサッカーをやめたのって……」
「やめろ!」
自分でもびっくりするくらいの大きな声が自然と出ていた。
後輩たちが驚いたのか「どうかしたんですか?」という焦りを感じさせる問いかけに、長野は「気にしないで、ちょっとちょっかいかけすぎただけ」と軽い口調でかわした。
長野は驚いておらず、ただじっと俺を見つめていた。その瞳が記憶の中の琴音と重なる。病院のベッドの上で俺を見つめた空虚な瞳と。
『リク兄が、サッカーなんてしていなければよかったのに……』
長野の視線から逃れるために空を見上げ、荒い息で呼吸を繰り返す。なにかが聞こえたような気もするが、全く頭に入ってこない。ただ猛烈な後悔だけに心が埋め尽くされていく。
なに普通の人生を歩もうとしているんだ、咎人のくせに。
俺の中のもう一人の俺が、赤いユニフォームを赤黒く塗りつぶした少年の俺が事実を告げる。
そうだ、俺は許されない罪を犯したんだ。元通りになりたいなんて、自分の幸せを願うなんて許されるはずが……
そのときふんわりとした何かが俺の頭を包んだ。どこか安心するその匂いが先ほどまでの絶望を薄くしていく。
そしてその匂いが誰のものかわかったとき、俺は長野の胸に抱きしめられていることに気づいた。
「ごめん、陸斗。こんなになるとは思ってなかった。ごめん、本当にごめん」
「なが、の?」
「陸斗の姿が私に似てたから、だから少しでも前に踏み出すきっかけになってくれればって。本当に最低だ、私」
ぎゅっと俺の頭を長野が強く抱きしめる。押し付けられた胸から聞こえる長野の心臓の音は、トットットッと早いリズムを刻んでいる。
それが俺のためであるという事実が、じんわりとした暖かさを俺に与えてくれる。
いつの間にかもう一人の俺はいなかった。いや、最初から本当はいないんだ、そんな奴は。俺が逃げるために作り出した幻想なんだ。
大きく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。間近で見る長野の瞳からはポロポロと綺麗な涙がこぼれていた。
こんなに優しい長野を、綺麗な長野を、そしてなにより覚悟を決めて前に進むことを選択した長野を、俺は振ったんだ。
だから俺は、少なくとも長野に恥じないように生きないと。それが長野の覚悟に報いるため俺にできる唯一のことだから。
「ありがとう、長野」
「陸斗?」
「お前のおかげで気づいたよ。俺がこれからどうしたらいいのか」
こちらを見つめる長野に、優しく微笑み返す。そして……
「お前、結構胸あるんだな」
「っ! 死ね、このクズ!」
落ちてきた長野の肘鉄により、俺の頭には大きなこぶが2つ出来ることになったのだった。
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